国際情報専攻  渋倉 慶二

    「 ひとり言月刊総合雑誌無用論」

     

 明治、大正期における月刊総合雑誌誕生の背景には、キャッチアップ西欧型の近代化政策があった。月刊総合雑誌には政治・経済・文化等々西欧のあらゆる教養が紹介され、それらに関する議論があり、それらを媒介として、日本人は近代化のゴールを眺め、そこに至るまでのハードルの高さを測り、方向を確かめながら歩んで来た。

 20世紀に入り、ゴールまであとわずかと思った矢先に、焼け野原のスタート地点に否応なく戻された。そして、再スタートに際し、今度こそゴールに到達するために、右から進むか、左から進むか、はたまた大男の後ろについていくか、様々な議論がやはり月刊総合雑誌には存在していた。

 21世紀に入った現在、国民の所得水準は西欧先進国に追いついて久しいが、不幸なことに我々は果たしてゴールに辿り着いたのか、また、そもそも100年以上の歳月をかけて目指してきたゴールとは何だったのか、誰も明言できないのではないか。少なくとも過去の月刊総合雑誌において存在した、日本の進むべき方向についての活発な議論は、現在見られなくなってしまった。かつて誌面を賑わせたイデオロギーの対立は、現在ネット上の氾濫する情報にかき消され、また、陳腐化した論点は日刊新聞上の寄稿や論説により代替され得る。

 月刊総合雑誌は日本の近代化の過程を体現したものである。先にも触れたとおり、そこには西欧にキャッチアップするという明確なスタンスがあった。そのようなものが存在しない現在、一定の役割を果たし終えた月刊総合雑誌はもはや無用であると言える。