「東武練馬まるとし物語」
                          

                      国際情報3期・修了 若山 太郎

 

 

 

    

 

   その七 「大きな決断」

 

店を営業していて、季節の移り変わりを感じるのは、のれんの色を変える時、そしてほうじ茶を麦茶に切り替える時である。今年の夏は、天候がはっきりしないことも多く、例年よりそのタイミングは遅かった。 

5月25日、大学院祭の2日目、僕は、実行委員の方から推薦され、パネリストとして、「通信制大学院の将来を考える」というテーマの討論会に参加した。選ばれたのは、1期から4期までの専攻が違う4人で、この春、博士課程に進学された方も含まれる。それぞれの立場を代表しての経験談を語り合った。 

事前に店で、司会の方を中心に、顔合わせと懇親会を兼ねて、全員が集まり、打ち合わせをした。当日は限られた時間の中、他の方とのバランスも考慮して、準備していたことの一部のみをお話させてもらった。パネリストのスピーチは上々と言って下さる方もいらしたので、ほっとした。

この討論会で何よりうれしかったのは、僕が参加すると知って、同期の友人の何人かが、当日わざわざ所沢の会場に足を運んでくださったことである。そのお礼に、後日行なわれた、その友人の勉強会に、台風の真っ只中、仕事を抜けて駆けつけたりした。 

「将来は今の積み重ね、先輩方から続くゼミ・サイバーゼミなどや個人としての学究の成果としての修士論文、サークルや電子マガジンなどの活動・ゼミ仲間などを中心とした人的交流が何より大事ではないか。そして、研究活動は、現代において、専門特化するだけでなく、総合的かつ創造的に進化させ続けていく」今まさに僕自身、実感している考えである。 

この大学院祭は、実行委員の方々はもちろん、発表する側も、積極的なボランティアにより院生側が主体となった手作りものであった。“通心”制大学院を象徴するイベントであったと思う。 

店では、実行委員の広報担当の方から頼まれ、大学院祭の一ヶ月前から店内に、当日の一週間前から店の外にポスターを掲示した。 

そういえば、同時期、個人的には、こちらもご推薦いただいた紀要論文の執筆の締め切り直前でもあり、店はもちろん、日々精一杯、精神的肉体的にきつい日々が続いた。結果は別として、何とか、それぞれをやり抜くことができ、達成感はあった。 

6月、うれしい知らせがあった。妊娠していた義妹に無事赤ちゃんが生まれたのだ。予定日よりひと月も早い吉報だったが、無事退院したばかりのおかみさんにとっても、何よりうれしいことだった。 

赤ちゃんは、2,400g、当初はその体の小ささに、義妹は心配していたが、順調に育っている。妻とのメールのやりとりも、母乳のあげ方に始まり、いろいろな相談が来るようだが、やはり、直接電話で話すことが多くなったように思う。妻は自分の3人の子供を育てるにあたって、母乳はもちろん、ベビーネンネの布オムツ使っていた。 

「母乳で育てているが、体が小さいから、少し飲むとすぐ寝てしまい、ベットに置くと起きてしまう、何も出来ないでひたすら、おっぱいをあげている状態が続いている。」義妹は親になる大変さを身にしみて実感している様子である。 

「お姉ちゃん、よく3人も、しかも布オムツで育てられたよね。」とため息をつく義妹。赤ちゃんが可愛くて仕方がない様子らしいが、「もう1人で十分かも」という言葉。 

「大変、大変で日が過ぎて、笑った、寝返りした、ハイハイした、可愛い可愛いなんて言っているうちに、気がついたら1年経って。その頃、少し楽になったなぁ、もう1人ほしいと自然に思えたら、いいんじゃない。今はまだ始まったばかりだから」と妻は返事をした。 

夏といえば、毎年7月末恒例、店の商店街で行なわれる、きたまち阿波踊りが開催された。今年は初めて子供たちが地元の商店街の「じゃじゃ馬連」に参加した。 

「じゃじゃ馬連」は、「ダイナミックな男踊り」「華麗な女踊り」「元気よく跳びはねる子供踊り」「息の合った鳴り物」で構成され、踊る方々のその踊りに対するひたむきさや誠実さがその技に現れ、観ている方々の心を惹きつける。 

ありがたいことに、今年も、本番一ヶ月前の連長会議では、通常のメニューにはないが、カツサンドを35人前、夜食として注文をいただきお持ちした。大事な会議なので、近くのパン屋さんに、すぐ売れ切れてしまうという厚切りのパンを予約し取り寄せ、パンにはさむ肉は、通常の倍以上時間をかけ、十分な下ごしらえをした。 

もちろん、店では、この時期、商店街には、提灯の列がきれいに並ぶが、その取り外しの作業があった。汗だくになったスタッフの方々が食事に来られ、今年の阿波踊りも無事終わったなぁと思った。

阿波踊りの練習には、僕や妻、そしておやじさんやおかみさんが、交替で付き添った。長女は、年上であり、動きについていきやすく、すぐ踊りが好きになった。次女はマイペース、基本的に小学生以上が対象であり、幼稚園に通い始めたばかりの三女は、連長の厚意で練習を許可された。やはり、当初歩幅の違いから、なかなかついていくことができなかった。 

回数を重ねるごとに、親子共々、いろいろな方と顔見知りになる。子供同士も自然と仲良くなり、踊りが楽しくなる下地ができる。それに、姉妹同士の絆にも支えられ、三女は、諦めず、練習をやり抜いた。 

それを見守る僕たち親は、具体的には、半休や仕事の合間に、練習に連れて行くことで、大忙し。でも、子供たちが踊りを楽しんくれていたので、張合いはあった。

そして、阿波踊りの日がやってきた。前日は激しい雨、心配していた当日の天気は、曇。あまり暑すぎても、踊り手にとっては厳しいことになるので、絶好の舞台が整ったのである。 

妻がはっぴを着て、子供たちに付き添うので、店は、昼間仕事をしてくれているお姉さんに、この日ばかりは、昼夜通して働いてもらった。僕は厨房に立ち料理を作り、出前はおやじさんが担当。退院後、無理のない事務の仕事に専念していたおかみさんも、この日だけは、洗い物をしてもらった。 

日暮れと共に、段々と盛り上がってくる雰囲気に、鳥肌が立った。上の2人はニコニコ顔で元気に踊ったが、三女は恥ずかしがり屋なので、終始真剣顔。妻の話によると、道で観戦している方々から口々に、「頑張って」「可愛い」などとかかる声援に、踊る側のエネルギーになると実感したそうだ。 

2時間踊り続け、戻ってきた子供たちに、常連のお客様から、アイスの差し入れがあった。例年通り店は忙しく、皆が力を合わせて、その役割をこなした。でも、この日ばかりは、子供たちが主役であった。

8月に入ると、僕は科目等履修生として、人間科学のスクーリングに参加した。2年前の暑さに比べれば、今年は通いやすかった。参加したスクーリングを一言で表現するなら、3日間通して講義いただいた佐々木健先生のお話には、心に残る言葉がいくつもあった。

人間科学のスクーリングでは、各授業の前に数名、在籍番号順に、自己紹介をすることになっている。僕は、その誰もが、それぞれの立場に対して、尊敬できる志を持っていることに、改めて気付かされた。自分の原点に帰る気持ちであった。一期一会、僕もその姿勢を見習いたい。 

三女の幼稚園では、それぞれのクラスでモルモットやうさぎなどを飼っている。夏休み、希望者には、幼稚園からその動物を短い期間預かることができる。三女のお気に入りは、うさぎのクロピー。 

幼稚園には、店でキャベツを切るときに余る葉を、頻繁に持っていき、喜ばれた。適材適所、リサイクルは、身近なところから生まれる。

7月に今年も新しく作った配達メニューには、店で評判になった新メニューも加え、以前お話した通り、フリーダイヤルの電話番号を加えた。配り始めると、反響は上々である。ご注文、ご来店いただけるお客様に、感謝の日々である。 

店では、去年同様、今年もお盆休みは取らなかった。商店街では、この時期、一斉に店が休みになることが多い。その中で「店の明かりは消さない。それと、商売というものは、お客様がお休みの時こそ商いをすべきではないか。」そんな心意気で営業した。

店の変革も一段落したことで、僕も次のステップに入ろうと考えていた。待ちの姿勢ではなく、新たなお客様を迎えるために。そのためには、対外的に、店の紹介をすべきではないか。 

商店街には簡単なホームページがあるが、今回は、僕自身が主体的に動くことで新たなホームページを作ることにした。 

自分で全部こだわって作ることも考えた。ただやるからには、ある程度、客観的な意見も取り入れる必要がある。いろいろ調べたが、最終的には、タイミングよくお話をいただいた、東京ウォーカーのグルメサイトに店のホームページを掲載していただくことに決めた。

取材は7月。もちろん担当の方に、料理をしっかりお食べいただき、店の話を十分した。そして、先日完成したばかりである。読者の方々でご興味のある方は、ご覧下さい。

http://www.marutoshi.tokyo.walkerplus.com 

広告にも掲載することにした。店の沿線周辺での無料配布雑誌、スケイルデザインズの月刊「タイル」がある。僕の店もその雑誌の配布場所として、6月の創刊号から置いている。創刊間もない雑誌である。こちらは、3ヶ月連続、さりげない広告をお願いした。

このような新しい対外的な動きは、今までなかったことでもあり、その反響のほどは、自分でも楽しみにしている。それ以外にも、商店街の理事長から、理事になってもらいたいとお話をいただいた。 

おやじさんは、商店街のイベント等の協力は惜しまなかったが、店に専念していた。僕は今の不況が長引く時代、店に専念することも大事だが、店からもう一歩踏み出すことも、自分の出来る範囲で必要ではないかと考え、お受けすることにした。 

そして、最後にもう1つ、大きな決断がある。妻の実家、つまりおやじさんの家を増改築して同居すること。もう1年前から、具体的には話を進めている。年内には、取り掛かることになっている。僕が妻と結婚式を挙げてから10年。私生活でも、店でも、いろいろな動きがある。難しいことにも、諦めず、地道に日々を過ごしていくことにした。 

この物語は、研究科の電子ブックとして初めてここで1つの形となります。今まで数々のご協力をいただいた電子マガジン実務担当者の方々、ご声援を頂戴した多くの読者の方々、本当にありがとうございました。また、お会いしましょう!その時まで、お元気で。 

(撮影・宮嶋貞雄氏 若山理香氏 中島泉氏 唐牛謙氏)