「ポール・ゴーギャンまたはキャリア」  

 

                        

                        人間科学専攻 2期生・修了 笹沼 正典

 

 

   著者紹介

 
 Born:      東京
 Family:     妻と2人だけ
  Work:      メタキャリア・ラボ代表
  Career:        損保会社
32人材サービス会社4年。うち教育研修分野16
 
Favorite:      ミニシアター&美術館&Jazzだが、なかなか時間がとれない のが悩み。
 Membership:日本産業カウンセリング学会、日本キャリアカウンセリング研究会(JCC)」等

      
   
 

 

 

 

 

 

                               

 

 

 

 

 1848年パリに生まれたポール・ゴーギャンは、25歳から10年間ほど株式仲買人とし成功を収めたあと、30歳半ばを過ぎてから画業に専念する。そして、パナマ、マルテイニーク島、アルルといった「熱い南の方」への遍歴を経て、ゴーギャンは1891年にタヒチのパペーテに到着する。43歳であった。ゴーギャンにとって、タヒチ行きは「熱い南の方での魂の再生」という意味の世界を実現するための旅であったと言われている。

 

 キャリアの内的な側面を「仕事に関わって生きて行くことの意味を追求する世界」と定義するならば、ゴーギャンの旅は「キャリア行動」そのものであり、タヒチは何よりもまず彼の「魂の再生」という「キャリアゴール」が据えられるべき場所であったと言える。ゴーギャンは、19世紀後半のヨーロッパ文明から脱出して、南太平洋の原始を目指すことを最終的に決意したとき、「この観念の世界(前述の魂の再生という意味の世界:筆者注)の追求の中以外にはもはや自分の芸術(仕事:筆者注)の居場所がないことをはっきりと覚る」(宮川淳)のである。この時の覚醒こそ、ゴーギャンにとって自分の「内的キャリアへの気づき」であり、「気づき」は一瞬であるとともに永遠のものになったと言える。

 

 ゴーギャンは、1897年に最愛の娘アリーヌの死の知らせを受ける。彼は大きな衝撃を受け、自殺を念慮し、その実行に失敗する。49歳のときである。この年、彼は、『われわれはどこから来るのか、われわれは何者か、われわれはどこに行くのか』(141×389cm、油彩、ボストン美術館蔵)という遺言的大作を一気に描き上げる。題名は、キャリアをめぐる最も基本的な問いそのものである。因みに、キャリアカウンセリングとは”Who am I ?, Where am I going?, How can I get there?”という3つの問いに答えることである(JCC)と言われている。

 

 ゴーギャンはこの絵画において、キャンバス上に青とエメラルドグリーンの後景と誕生から死に至る人間の身体群を、すなわち目に見える外的な現実世界を描くとともに、目に見えない内的な非現実の世界を描いている。ここには、宮川によれば、ゴーギャンの絵画における「二重写しの構造」が見て取れる。このことは、キャリアにおける「目に見える外的キャリア」と「目に見えない内的キャリア」との重層性と見事に見合っている。

 

 ところで、絵の左上隅にこの長い題名が文字で書き込まれている。ゴーギャンはしばしば画面上に文字を描いているが、彼は文字に、絵を見る人を、目に見える画面から目に見えない意味の世界へ導いていく入り口としての役割を与えているのではないかと思われる。何故なら、文字は、内的に感じられているが未だに言葉になりきれない「暗黙裡の意味や知の閃き」を概念化し、明確化する(E.ジェンドリン,1961)ものであるからである。実は、ここに内的キャリアが創始される原点がある。

 

 さらに、キャリヤにおける「統合」のテーマは、人それぞれに異なり一様ではないが、「統合とは二つの対照する概念がより上位の意味によって解釈されること」であるとすれば、ゴーギャンはこの大作において、造形的な世界と意味の世界の「統合」を目指した中で、原始と文明、誕生と死、幸福と苦悩、愛と孤独などといった二つの対照するものの「統合」を描き出したと言えるであろう。私は、キャリアにおいて、外的なものと内的なものがより上位の意味によって「統合」された状態を「メタキャリア」と呼んでいる。

 

 ゴーギャンは、この「統合」から6年後の1903年に心臓発作で死去した。享年54歳であった。「魂の再生」という「キャリアゴール」に彼は到達しえたのか?という問いを残して。

(注)本稿は『新潮美術文庫』30「ゴーギャン」1969を参照して作成した。(完)