「さようなら」は「さようなら」?
人間科学専攻 5期生 吉田 香 |
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もう随分昔の話になります。旅行である国を訪れた時のことです。私と友人たちは、ツアーを選ばず、往復の飛行機チケットのみ日本で予約し、後は電車で移動したり、地元の人がアパートがわりに利用している安ホテルに宿泊したりしていました。ガイドも無く、頼りになるのは自分たちのカンとジェスチャーだけでした。それでも、町を気ままに歩きまわったり、シエスタに少々いらいらさせられたりと、それなりに、その土地の空気を十分感じることができたと思います。
ある町に到着し、さっそく買い物にくり出した時のこと。通りを歩いていると、地元民らしき人がすれ違いざまに「サヨナラー」と言うのです。最初は、自分たちが声を掛けられているとは気がつかずにいました。商店に入ると、私たちがドアを開けるなり、お店の人が、「サヨナラー」と言います。第一声で「さようなら」と言われた私たちは、歓迎されていないのだろうかなどと戸惑いました。けれど、お店の人たちは笑顔で、中に入ってくるよう手招きをしているではないですか。
その土地ではどうやら、日本では「さようなら」という別れの言葉として訳されているその言葉を、日常的には「こんにちは」と「さようなら」の両方の意味をもつあいさつ語として使用している様子でした。私たちを親切に日本語で迎えてくれていたのです。最初のうちは「サヨナラー」と言われると、「こんにちは」と、日本語の正しいあいさつを返答していましたが、「サヨナラー」に違和感がなくなると、私たちも、「さよならー」と言って店に入り、そしてまた「さよならー」と言って店を出るようになっていました。
どのようにしてこのような使われ方をするようになったか、帰国してから調べてみました。その点に関する情報はどこにも見当たりませんでした。いまだナゾであります。でも、この、たった一語との出会いは、大きな体験でした。 その場の状況と状況の変化で、意味が180度変わってしまう。そんな言葉は、その機能を考えるとあいまいでもあり、意思の疎通を阻害するようにも感じられます。しかし、たった一語でコミュニケーションをはかることができる、しかも心のこもったぬくもりのある接触が出来る、そんな「あいまいさ」を大いに歓迎せずにいられませんでした。
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