熱 力 学 を め ぐ っ て

         ――ニュートン以後の科学史の1断面(承前)――

 

                         人間科学専攻1期生・修了 大槻 秀夫

 

 

 

 

著者紹介

大正14年生まれの元高校教員(昭和61年に定年退職)。福島市在住。数学を(時には現場の事情で物理や電気を)担当していた現役教員時代以来、「近代科学」を産み出したのは何であろうか、という疑問を懐いてきた。通信制大学院が出来るのを知って、本研究科に入学。上の疑問を自分なりに解き明かしたいと願い修士論文のテーマに「アイザック・ニュートンと科学革命」を選んだ。

 

    

 

 

 

 

 

前回述べたように、電気磁気学は科学として関心をもたれるというより、実用的観点から注目された。この事情と似たように、いや、更にそれ以上に、熱エネルギーは実用的効果が重視された。人間が火を使い始めたのは今から60万年ぐらい前、体を温めたり、料理したり、獣から身を守るために、そして紀元前5千年ごろには火力によって青銅器が鋳造されていたと言われている。しかしながら、熱を使って器具を動かしたりしたのは遥かに後のことで、18世紀に入ってからのことである。すなわちニュートンの物理学革命が完成して後のことである。そしてその後における熱の研究は急速に目覚しい発展を遂げて行くことになる。但しその研究の焦点は実用を目指しており、ニュートン以前におけるように未知の現象に対する好奇心とは異なり、あくまでも実用を主体として研究は進展して行くのである。
 

ところがその研究は熱の本質的な正体が分らないままでは進歩が頓挫してしまい、結局は純粋の真理の探求が不可欠になり、正統的な科学の発展を促すことになるのである。確かにセーバリーやニューコメンも蒸気を利用しているが、直接には大気圧によって力を得ている。しかしワットに至っては蒸気の力によって大きな力を出している。そうなると蒸気の性質すなわち熱の本質の究明がどうしても必要になってくる。単なる経験によって機械の仕組みを工夫するだけでは行き詰まりを生ずるのはやむをえないであろう。原始的技術から近代的科学への移行が要求されるのは当然の成り行きなのである。
 

熱を用いた暖房や加工に比べると、熱を使って器具を動かしたりしたのははるかに後のことで18世紀に入ってからのことである(この点は上記の通り)。そして技術の進歩の過程において必要に迫られて温度計が発明されるにいたる。長い間、科学者たちは熱と温度を区別しないで来た。温度を客観的に把握するために温度計が発明され、患者の体温が分るようになる。それだけでなく、熱との関連がわからないままでも正確な温度の変化を表せるようになる。こうなると、熱容量や潜熱という現象が注意を引くことになる。そして熱と温度の区別も理解しなければならなくなる。必然的な成り行きである。熱や温度についての現象が実用的対象としてばかりでなく、科学的対象や哲学的対象として着目されるのである。

 

「熱とは物体から物体へと移動する、重さのない流体である。」

 

この説を熱素説という(この説は後に否定される)。熱素説の強力な提唱者の一人にジョセフ・ブラックがいる(ちなみに、彼は古典経済学の祖アダム・スミスの友人であった)。彼は「熱容量」や「潜熱」の概念を作り上げ、定量的で数学的な熱力学の理論を構築した。

 

この理論によって温度と熱の区別が出来るようになり、温度の測定が正確に行われることによって熱容量や比熱、延いては潜熱という現象が認識されるようになった。ブラックによって熱力学は近代物理学として形成される出発点を得たのであり、その意味で彼は力学におけるガリレオに相当するといっても過言ではない。彼は温度の概念と熱の概念をはっきり分けた。勿論彼はその考えを熱素説にしたがって解釈したのである。だが、熱素説が否定された後でもその重要性は失われなかったのであり、その意味で、ニュートンに対するガリレオの立場に対応するものであるといってもよいのではないかと思われる。ブラックは実験結果に基づき、物質から出たり入ったりして、その温度を変える大気のような目に見えない流体(すなわち熱流体)が存在するということを主張した。当時の主導的な物理学者(ラボアジェなど)や数学者もこぞってこの理論を支持している。彼の理論は一応もっともらしく、実験の結果に一致するように見えたからである。ラボアジェはこの新しい「熱流体」を新たに「熱素」と呼んだ最初の人であった。

 

ここから明らかなように、18世紀後半までは蒸気の性質や振る舞いなどについては殆ど何も知られておらず、熱や仕事やエネルギーが互いに関係があるなどとは、夢にも考えられないことであったのである。

 

熱素説に対して異議を唱えたのはベンジャミン・トムソン(ランフォード伯)であった。彼は大砲の砲身を穿孔するときに発生する摩擦熱を研究しブラックの熱流体説に対する明確な反証を示している。熱流体説に対して始めて明確な反証を示し、熱は物質ではなくて運動であると主張したのがランフォードである。彼は大砲の砲身に穴をあける時に熱を発生することから、力学的仕事と熱の間に密接な関係があると思いつき実験を行った。そして、このように、熱と仕事との間に密接な関係があることは19世紀に入ってマイヤーや特にジュールらの努力により益々確実な見方になっていったのである。

 

ところで熱容量が注意を引いたのは科学上からの必要に応じたのではない。前述のように患者の体温を知ること(日本においては養蚕における必要性などが動機ともなっている)が必要なことから工夫されたのである。いざ温度の測定が可能になると熱容量という概念が意識される。更には相転移に伴って潜熱の現象が観測され、それまでの熱の概念が一新されなければならなかった。それだけでなく、必然的に温度と熱の区別がはっきりしてくることになったのである。要するに科学上の関心からは思いもかけぬ、それとは全く関係のない実用上の要求から工夫され完成されたものが思わぬ経過を経て科学上の発見につながったといえるのではないだろうか。ブラックによって熱力学が近代物理学として形成される出発点を得たのは温度計の発明という科学とは無縁の技術の進歩がその引き金を引いたことになるといわざるをえない。所謂、仏教で言うところの因縁である。すべての現象は悉く見えざる、あるいは思いがけない因縁に結ばれているということができよう。そしてこの熱力学の発展が更に、分子の発見につながり、量子力学へとつながって行く。この経緯を見定めるには、この後もう少し熱力学の学習を続けることが必要と思っている次第である。