「東武練馬まるとし物語」

                       その六 「健康であること」

 

 

                                    国際情報専攻3期・修了 若山 太郎

   
   その六 「健康であること」

 3月、正式な修了決定の通知があり、修了式・学位記伝達式・祝賀会などの行事案内が届いた。やっとこれで一区切りついたと実感する。その通知の中には、この2年間の研究の評価である単位履修票も同封されていた。

 修了後の進路について、今年、研究科に博士課程が新設されたことで、受験をされる先輩や同期の仲間の声も伝わってきた。

 僕は、仕事に専念したい気持ちと研究を続けたい気持ちが半々あった。しかし、研究を支えてくれた家族に対して、更に継続的な負担は避けたいことから、マイペースで学べるであろう、研究科の科目等履修生への受験をすることにした。

 科目等履修生とは、修了生を対象にしたもので、選択科目の履修を10単位まで、1年間認められる制度である。結果として、今年僕を含め14名の入学が認められた。研究科で学ぶことは、僕のように自営で時間に追われている者には、最適な環境であると、この2年間で実証されたと思う。

 今回選択した科目は、以前より興味のあった人間科学の分野の2科目を履修することにした。

 修了式の数日前、IT社会創造研究会のつながりから、近藤ゼミ主催のサイバーゼミに参加した。講師は電子マガジンの実務でもお世話になっている荒関仁志先生。テーマは「ユビキタス社会の技術的な問題と将来像」であった。

 サイバーゼミとは、自宅でパソコンを前に、リアルタイムでの講師の映像と、講義主旨をまとめたスライドの画面表示、音声による双方向のコミュニケーションが可能なものである。

 一昨年の8月、僕たちゼミ生からの要望をお受けしてくださり、指導教諭の小松憲治先生による、研究科初めてのサイバーゼミが開催された。その講義内容の充実ぶりから、再度ゼミ生の要望があり、11月に2度目の開催もあった。僕個人としては、ゼミは違うが1年4ヶ月ぶり、今回で3度目の参加となった。

 サイバーゼミは、講義内容の質が高ければ高いほど、参加者にとって、より充実したものになる。その利点は、参加する時間に自宅にあるパソコンの前に座れば、その前後は仕事をすることができること、また、後日その講義を再生することで、何度も復習が可能であることが挙げられる。

 ユビキタス社会については、1年前にこの分野で有名な東京大学大学院教授の坂村健先生の講演を聴講したこともあり、僕も注目していた。日頃この電子マガジンの編集でお世話になっている荒関先生の熱弁、大変有意義な講義であった。

 こうしたイベントに限らず、研究科において一番大事なものは、人的なコミュニケーションだと思う。積極的にいろいろなことにチャレンジしたことで自然に人の繋がりが広がり、研究を充実させるヒントを沢山いただけた。

 3月25日、学位記伝達式に参加した。特に、開講式以来の瀬在幸安総長のご挨拶には、感慨深いものがあった。専攻別の学位授与式に会場を移し、直接指導をいただけた先生から学位を受け取ることができた。諦めなければ、夢はかなう!苦労が報われた瞬間である。

 アルカディア市ヶ谷で行なわれた祝賀会では、この2年間で知り合えた同期の仲間、先輩、先生方、その時々の節目でお世話になった方々との、楽しいひとときがあった。仕事と研究の両立、自分一人だけでは成し得なかった。それは、その時々に励まし合ったゼミや同期の仲間たちと家族のお陰である。

 話は変わるが、この4月から、僕は正式に事業主となった。名前を代える時期は、今まで何度もあったが修了するまでは、おやじさんの顔を立てたい気持ちが強かった。これからは、今まで以上に、思いきった決断をすることができると責任感が芽生えた。

 店を引き継ぐにあたり、おやじさんがしたくてもできなかったこと、その一つ一つを地道にクリアーしていきたいと思う。店主としても、そして親子関係としても。

 その最初の大きな決断は、おかみさんについてのことである。

 長年悩んでいた股関節の痛みを、周りの状況を考えて先延ばししていた。しかし、おかみさんの気持ちを直接聞き、それを尊重して手術をすることになった。

 少し前まで、有名な病院は遠くて通うのが不便だとか、失敗したら大変だなどと言っていたが、「店のことは心配ないから、絶対やりましょう!」という僕の言葉を受けて、調べてみると意外にも、近くの総合病院に専門の科があり、1日に何人も方が手術をしていることが分った。

 やると決まれば早いほうがということで、予約の取れる、ゴールデンウィーク明けに入院・手術・リハビリで約一ヶ月、おかみさんは家を留守にすることになった。今までは夜店に出ていたおかみさんの代わりに、妻が、祝日などは従兄の奥さんに、その間の子守りは、僕の母や妻の叔母さんにお願いすることになった。

 入院後おかみさんは、同病室の、他の患者さんたちから手術に関する経験談や後遺症のことなどを聞いて、日毎に不安になっているようだった。そして、先日約3時間におよぶ手術が無事に済んだ。術後、落ち着いてから、元気そうなおかみさんと会った。

 結婚した義妹の背中に続き、義母の背中も、今回僕が押した分、ほっと一安心である。

 そういえば、妊娠している義妹から妻の携帯電話に、メールでお腹の赤ちゃんの写真が送られてきた。2ヶ月ほど前になるが、その義妹が一週間ほど、泊まりで里帰りをした。妻や子供たちも春休み期間だったこともあり、泊まりに行き久々に皆が集まった。順調にお腹の赤ちゃんは大きくなっているようだ。

 修了してから大きく変わったことの1つに、子供たちとの関係がある。

 この4月から、次女が小学校に入学、三女が幼稚園に入園した。特に毎朝、三女の登園を僕が担当し、生活のリズムは、夜型から昼型へと大きく変更した。

 学業と仕事を両立させてきたこの2年は、子供たちとのふれあいも限られていた。これからは、仕事柄、休みは取りづらいが、親子でいろいろなイベントに参加したいと思っていた。

 そして、5月5日子供の日、「JA全農チビリンピック2003」に参加した。チビリンピックのキャッチフレーズは、「転んだっていいんだよ、元気いっぱいが金メダル」。そんな言葉に惹かれて、参加した。会場は昨年、サッカーワールドカップ決勝戦(ブラジル対ドイツ)が行なわれた横浜国際総合競技場である。

 当日は、よい天気に恵まれた。入院前のおかみさんに、仕事の引継ぎを兼ねて店に出てもらい、親子で出掛けることができた。自宅から横浜へは距離があるので、皆が起きられるか心配していたが、6時には朝食をとり、全員無事出発できた。

 僕らの参加種目は、朝一番の開会式直後に行なわれた。長女の小学3年生親子マラソンと、次女の小学1年生親子マラソンである。会場に入るとゼッケンをもらい、そのまま開会式に参加した。その直後には、親子マラソン1年生のスタートで、それに遅れること15分、2年生と3年生のスタートとなる。

 当初はそのどちらも僕が一緒に走る予定だったが、時間的に無理な事がわかり、急きょ、次女は妻と参加し、僕は長女と走った。三女を、スタンドで1人きりには出来ないので、すぐそばにいる会場係の方に申し訳ないが仕事ついでに見ていただくよう頼んだ。心細げに少しむくれてはいたが、三女も頑張った。

 マラソンの距離は1キロなので、会場内のトラックを一周し、外に出て軽く走り、またトラックに戻って、すぐゴールとなる。僕と一緒に走った長女は、初め飛ばし過ぎたせいか、真ん中あたりと後半の2度、「疲れた!もう歩きたい」と言ったが、何とかそのまま無事完走することができた。そして僕は、長女、次女の2人をよく頑張ったねと誉めてあげた。

 会場は広く、トラックで走っている時は、迫力があった。スタンドには人はまばらだったが、観客があふれているところを想像すると、出場する選手が自分の能力以上の力を発揮できるのが実感できるような気がした。

 子供たちに「疲れた、疲れた、もうこりごりだ」などと終わってから、いろいろ文句を言われたが、後になれば、よい思い出になると思う。

 商店街では、毎年夏に、阿波踊りが開催される。昨年この物語でも紹介したので、憶えていらっしゃる読者の方もいるだろう。

 3月、店に食事に来られた、阿波踊りの連長会会長に「今年は、子供たちを踊らせたい」と、お話したらご紹介していただき、地元の商店街の連に加わることができた。

 子供踊りだけの参加の場合、練習には、他の方の迷惑にならぬよう、家族の付き添いが必要である。4月、5月、月にして2度3度、練習を重ねていくうちに、僕も何度か付き添った。練習では、連員の方々が、楽しんで気持ちよさそうに踊られている。

 「ヤットサー」という掛け声、「一拍子」のお囃子のリズムが響き、自分のフォームを確認しながら音に合わせひたすら練習する、そんな子供たちの姿を見ていると、僕も自然に体が動いてくる。

 自宅での練習用のCDをお借りした時、僕も連長に、鏡の前で、掛け声をかけるタイミングと踊りの基本を教えていただいた。その姿を見ていた鳴り物の方から、一緒に踊ろうなどと声をかけられた。将来はやってみたいな、などと思ったりもした。

 店について、今回もふれたい。今年の4月は、都知事選挙、そして、区長、区議の2度の選挙があった。その両日とも、近くの小学校の投票所から、お昼にまとまった数のお弁当の注文をいただいた。

 もちろん地元の区議候補者の選挙事務所への配達もしたが、特筆すべきは、区長に見事初立候補で当選された方も、選挙の準備期間中に店に直接来られ、一番大きなかつを、関係者3人ともどもぺろりと召し上がって行かれたことで印象深かった。他にも店に挨拶に来られ、食事をされた方、すべてが当選されていたのは、うれしいことである。それぞれの方々の今後のご活躍を期待したいと思っている。

 僕が正式に店主になる前の3月までは、店の売上や利益を上げることに加え、思い切った仕入先の変更、新しいメニューや品揃えを増やすことなど、こだわってやってきた。言ってみれば、おやじさんを安心させるための実績作りだったと思う。

 でも世の中デフレの真っ只中である。昔から、同じように商売をやっているが、ここ数年、駅周辺は、チェーン店の低価格の食べ物屋がいっぱいできた。伝え聞く高額な家賃や、その商売の仕方(低価格が魅力で薄利多売)では、個店としての採算より、積極的な出店でそれを穴埋めする状態だろう。本部が儲かるだけで、働いている人はいかにも大変そうに思える。そんな目先の商売でいいのだろうか。

 僕は、そんな世の中に流されまいと、今まで店になかった高額メニューも作ってみた。それは、まるとし定食と名付けた。

 組合せのねらいは、まるとしの揚げ物のほとんどを味わえるようにというもので、ホタテ・エビ・一口ロース・クリームコロッケが各1ヶとカキ・一口ひれかつが各2ヶの盛り合わせ。価格は2,000円とした。休みの日や給料日の支給される時期には、いろいろ思いっきり食べたいというお客様に注文していただける。

 メニューといえば、店内のメニューに載せていない限定メニューがある。それは、アスパラの肉巻きあげやピーマンの肉詰めなどをコロッケなど他のものと組合せにした定食である。アスパラには、にんじん・大葉なども一緒に加える。

 そういえば、最近、カツカレーやかつ重には、ミニサラダもつけるようにしている。肉料理と一緒に、キャベツやパセリなどの野菜もお客様に食べていただきたいからである。

 僕は10年以上も前、まるとしに入るまでは、キャベツは食べられなかった。でも、いつの間にか、食べられるようになった。店には、ドレッシングを2種類テーブルに置くようにしたが、僕と同じように、キャベツを食べるようになったお客様もたくさんいる。

 サイドメニューのもつの煮込みには、お豆腐を切って入れるようにした。いつまでもお客様が健康でいられるような食材を、これからも取り入れていきたいと考えている。

 勉強をすること、スポーツをすること、肉・魚・野菜、いろいろなものをバランスよく食事をすること。そして心身共に元気でいること。慌しい日々が続くが、人それぞれの楽しみを見つけて、心も体も常に健康でありたいと思う。

以下、次号 
             (撮影・藤原幸博氏 および 若山理香氏)