パズミティヤースガ(はじめまして)宮古島

 

                                       人間科学専攻2期生・修了 吉田 里美

 
 GW明けに4日間の休みが取れることとなり、我が家の旅行計画が唐突に始まった。めったに取れない連休である。最大限に活用したい。安全性や予算を考慮して国内旅行に決定。ちょうど天候不順な時期だったので、寒い日には南国に行きたくなり、暑くなると北国がよく思え…。沖縄に行くなら夏服を出してこなければ。東北の渓流、川下り、ハイキングにしようか? 北海道だとまだ桜が楽しめるらしい。さすが縦長日本、国内ツアーも多種多様。迷いに迷って喧喧囂囂、盛り上がった末に旅行会社に電話したのが出発予定日の10日ほど前。パンフレット掲載のツアーはたくさんあったが、GW明けの平日出発となると催行が決定しているものはごくごく限られていたのであった。そしてあっけなく決定した旅行先が、宮古島。どこにあるのか知らなかったので、まず一番に地図を探した。私たちにとっては、初めての沖縄方面である。
 
 宮古5島めぐりの旅! 私たちが訪れたのは宮古諸島のうち、宮古島、そこから橋を通っていける池間島と来間島、そしてフェリーで行く伊良部島とその隣の下地島の5つの小さな島。沖縄本島からは300キロ離れている。今回青くカタカナで表記したのは、宮古ふつと呼ばれる宮古方言である。ウチナーグチと呼ばれる沖縄方言とはかなり異なる。島それぞれに違う文化があるらしく、宮古諸島でも違う方言が話されているらしい。以下に、宮古島の平良市の方言をいくつか取り上げてみたい。にわか勉強で書いているので、誤解や間違いがあった場合には、どうぞお許しを。

                                             
 
アガリヘンナザキ(東平安崎)

 変な名前のこの岬は、沖縄を代表する景勝地。ドラマやCMのロケにも使われている。春には一面に咲くという白いテッポウユリや南国の見慣れない花々が風に吹かれて咲いていた。ここからは東シナ海と太平洋の合流地点が見える。340度の地平線は地球が丸いことを実感させてくれる。ちなみに、東はアガリ、西はイリ。太陽が上がる、入る、からきているらしい。南はパイで、南風はパイカジとなる。そして何故だか北はニシである。

アパラギ(美人、きれい)

 バスガイドさんは笑い声がいかにも大らかそうな長髪の宮古島美人だった。「はい、ここの生ジュースは飲み放題ですよぉ。飲み放題は飲み放題でも、あとで払い放題ですよぉ」といって、ころころと笑っていた。こちらもすっかり南国気分。

アガイタンディ(びっくりした)

 宮古島はもうすぐ梅雨に入るらしいが、私たちが滞在した3日間のお天気はこの上ない快晴であった。風も穏やかで、これが海の色をいっそう鮮やかに見せてくれた。なんという幸運! 海岸を通るたび、澄んだ海の絶妙の色に驚き、ため息をついた。何回見ても信じられないほどに美しかった。けれど、その昔、海辺ゆえの悲劇も起こっている。1771年、マグニチュード7を越える大地震の影響で、80メートルを越える大津波が島に押し寄せ、生き残ったのは男の子たった一人だけだったそうだ。この写真の巨岩はその時海岸に打ち寄せられたものである。

                                          

アツーアツ(暑い・熱い)

 仲のよいカップルをいうのではない。日中の日差しは強く、紫外線が飛び交う。日焼けを気にする方々は、日焼け止め、帽子、日傘、サングラスで完全防備が必須。けれども朝夕はそれほど暑くはなく、涼しい風が吹いていた。宮古島の観光シーズンのピークは、暖かな2月前後だそうだ。寒い、はピシーピシ

イタッツアシー(無料)

 ホテルや空港には、2冊の無料の立派なガイドブックがおいてあった。これがまた、優れもの。全島の詳しい地図や地元の情報が満載である。大阪の本屋で買った一番詳しい宮古島ガイドを持っていったが、現地では必要なかった。しかし、帰宅後、急遽この拙稿を書くことになって、『んみゃーち宮古』というこのガイドブックが大変役立つこととなった(宮古島の方言はここからも引用させていただきました)。

ウプーウプ(大きい)

 島で大きかったのは、お墓。小さな小さな家のような、屋根付、かぎ付の立派なものであった。年に一度しか墓参りに行かないとか、生け花ではなく造花を飾るとか、この土地独特の方法で大切に祀られていた。
風力発電用の大きな白い風車や、自衛隊の巨大な球形の観測施設が、風害で倒れたり壊れたりしたという話には驚いた。南国の風は時に猛威を振るう。島の民家は、台風の被害を避けるために工夫され、低めに造られているようであった。

ゾーギ(美しい)

 しつこいようだが、海が美しい。砂浜の白砂は細かく、水はどこまでも澄んでいた。その色といったら、なんと表現してよいのやら。行く先々で違う海の色は4色あるというが、4色で表現しきれるかどうか。他のところには行った事がないので本当のところは分からないが、海の美しさ、白砂の海岸の美しさは沖縄屈指だそうだ。この写真であの感動が伝わるだろうか。 

                                                 

 タンディガー タンディ(ありがとうございます)

 どうやら、島ではめったなことでは言ってもらえないようである。島で雨が降ると、ご近所がお留守のときは、洗濯物の取入れを一手に引き受けなければならない。それでも別に感謝されるわけでもなく、「どうせなら、たたんでけぇ」といわれてしまうとか。

バカー バカヤー(お若いですねー)

 響きがとってもいいんだけど、これって、言われてうれしいんだか悲しいんだか…。

バタフサリズ(しゃくにさわる)

 夫は日の出の写真を狙っていた。地平線から神々しく昇る朝日を。一日目、早起きして分かったことは、宿泊中のホテルの方向からだと山の上の日の出しか見られないということ。これは迷カメラマンの癪に障ったらしく、御機嫌斜め。2日目もまだあきらめず、日の出のシャッターチャンスを狙っていた。まだニュータニュータ(眠い)状態だったが、生まれて初めて日の出前に海岸を散歩し、取れたのがこの写真。来年の年賀状候補である。

                                             

パリ(畑)

 飛行機が空港に近づくと、色鮮やかな幾つもの四角いパリが広がっているのが見えた。宮古島には川がなく、水は地下水を巨大地中ダム(世界初だとか!)に蓄え利用している。スプリンクラーを使って畑に水を撒くという。やはり、スプリンクラー設置にはお金がかかるようで、そのほとんどが収益のよいタバコ畑かホテルの庭にある。さとうきびやひまわり、そらまめ等、他の畑にはどうやって水を撒いているのだろう?

ブーズ(さとうきび)

 観光スポットでは、1メートルをゆうに越えるさとうきびを、素朴な旧式の(?)絞り器でダダダダとその場で絞って作る生ジュースが売られていた。ダダダダにつられて思わず行列の最後尾に。1,2本から小さなコップ1杯分がとれる。1杯100円。うーん、ンマヌフ(おいしい)。生臭さやしつこさを予想していたが、意外や意外、程よい甘さ。あっさりした果汁のような、冷し飴を上品にしたような、抜群の美味だった。

フォウムン(食べ物)

 旅行前、沖縄の料理は我々の口に合わない、と夫はどこからか聞いてきたのか得意気に語っていたが、これは多分間違い。ホテルや観光地で食べただけだが、沖縄郷土料理や宮古そば、生ジュースはおいしかった。残念ながら泡盛のことは私にはわからないけれど。

 なぜか、土産物売り場には試食があまりなく(商売っ気があまりなく)、ガイドブック推奨銘柄のお土産を自分たちの分も買ってみた。どれも素朴でこれまたンマヌフ(おいしい)。バナナケーキ、うずまきサンド…。

                                                

プカラス(うれしい)

 水面下1メートルのところにある船の窓から、珊瑚礁を泳ぐ熱帯魚を見た。なんて鮮やか! 魚たちといっしょに泳げているような気がして、うれしかった。ダイビングに夢中になる人の気持ちがよくわかる。渡口の浜(伊良部島)、砂山ビーチ(宮古島)等の海岸では、白くて細かい砂が素足に心地よい。身も心も吸い込まれるように水辺で足をつけてピチピチ、チャプチャプ、ルンルンルン。(スイスイ、ブクブクへの挑戦はまた今度!)

 ところで、地元の子供たちにとっては、もっと別のことがうれしいらしい。池間島に池間大橋がかかり、宮古島から自動車が来るようになるというので、初めて小学校前の道路に横断歩道と信号ができた。その信号は地元紙第一面で大きく取り上げられ、子供たちは自動車の通る気配のない道路で、何度も信号に従って横断歩道をわたっていたという。信号の煩わしさに嫌気がさしている都会のドライバーには、ちょっと分からない感覚かもしれない。そういえば、バスガイドさんは満員電車に乗ってみたいといっていたけど…。話は脱線するが(電車のない島に、脱線という言葉はあるのだろうか?)宮古島には診療所や病院が結構あり、交通の便が悪いので病院からは送迎車が出ている。これはいい。

ヤミーヤミ(痛い)

 海は美しいだけではない。子供が死んでしまうほどの毒をもつ貝がいる。サメやクラゲもいるので泳ぐ場所には気をつけたい。ちなみに、宮古島にはハブはいない。ほっ。

 砂浜の砂はどこまでも白く細かいが、海岸の岩肌はゴツゴツでザラザラボコボコ。岩の上で転ぶと痛そうなので気をつけよう。夫のサンダルの先はボロボロになってしまった。はじめ溶岩からなる火山島かと思ったが、これは私の早合点で、宮古島は珊瑚礁でできた島である。海岸はとても爽やか。不思議と、磯の香りがほとんどしないのは、珊瑚礁にさえぎられて海草や漂流物が流れてこないからだという。
 
                                               

 あっという間に終わってしまった3日間。とっても小さな島々であるが、羽田や関空からも宮古空港への直行便が出ていて、とても近く感じた。比較的観光客の少ない時期だったので、ピーク時恒例の観光バスや自動車の渋滞にも遭わず、ゆったりとした快適な旅だった。ひまわり等の花々は年2,3回咲くというし、4月にはトライアスロン、6月には満月の陸(おか)ガニの産卵等など、見所はいっぱい。旧暦の3月3日には宮古島の5〜15キロ沖にある国内最大級の珊瑚礁群、八重干瀬(やびし)が干潮で幻の大陸となって現れ、それはもう神秘的なのだそうだ。もちろん、海はシュノーケルやダイビング、カヌーなどのマリンスポーツにももってこいである。

 のほほん気分で旅行から帰った後、関西ではSARS感染者の台湾人医師が旅行していたとの情報で、大騒動が起こった。幸い、医師の帰国後10日たっても感染者は出ず、安全宣言が出されたが、関係した観光地やホテルは大きな痛手を負ってしまった。人が動くと、よいことも、悪いことも行き来する。

 宮古諸島には過酷な人頭税に苦しんだ歴史がある。弱いものいじめともいえそうなこの悪税は、新潟県出身の中村十作らの尽力により明治36年に廃止された。今でも経済格差はあるようだが、現地の物価は安いらしい。宮古諸島の魅力が知られるようになった今日、ホテルや民宿の他に、長期滞在用やゴルフ場つきリゾートマンションができ、売れ行きも好評で、新たな大規模ホテルの計画もあると聞いた。宮古の島々はこれからもっと賑やかになり、徐々に変わっていくのであろうか。のどかな長寿の島々と、あの海がいつまでも変わらず美しくあることを、心から願う。