北京便り(5)

 

                                        国際情報専攻4期生  諏訪一幸

 
 死者が328名と177名。感染者(累計)が5328名と2520名。疑似感染者が1042名と760名。大体ご想像がつくかと思いますが、これが5月30日現在の中国全土(香港、マカオ、台湾を除く)と北京それぞれのSARS(重症急性呼吸器症候群)被害です。WHOが香港と広東に出していた渡航延期勧告が解除され、北京における新たな感染者も1日あたり一桁台にまで減少しました。街にもだいぶ活気が戻ってきましたが、SARS撲滅宣言を出すにはもう少し時間がかかりそうです。外務省が4月29日に出した、「一時的に離れることが可能な在留邦人は、帰国の可能性を含め検討することをお勧めします」という、北京を対象とした事実上の退避勧告はまだ取り消されていません。長期在留邦人数はSARS禍開始前の半数以下にまで減少したとも言われています。日系企業にも少なからぬ被害が生じています。ただ、幸運と言うべきなのでしょうか、北京を含め、日本人感染者は報告されていません。私も無事、勤務を続けています。

 「非典」。「非典型肺炎」の略称です。中国ではSARSをこう記述します。多少不謹慎ではありますが、「非典」問題をめぐる今回の当局の対応とそれを巡る一連の動きは、今後の中国政治のあり方を考える上で、私にとって格好のケーススタディーの機会となりました。

 まず、SARS騒動の発生から多少落ち着くまでの経緯を振り返ってみたいと思います。

 初めての患者は昨年11月、広東省で発生したと言われています。「怪病」の噂は既にこの頃から北京にも伝わっていましたが、誰もが他人事だと思っていました。今年2月11日、国営新華社通信は広東省における「非典型肺炎」被害について報じたようですが、主要各紙はこの報道をキャリーしませんでした。当時の私ですが、中国伝統の民間療法(?)に絶対的信頼をおく市民の噂などを基に、「酢で室内消毒すれば菌は死ぬようだ」的な漠然とした、今思えば、恥ずかしくなるようなイメージしかありませんでした。

 SARSが全国的問題として取り上げられるようになったのは、4月に入ってからのことです。2日、WHOが広東省と香港に渡航延期勧告を出しました。そして、3日の各紙は、国務院常務会議の開催を伝える記事の中で、「非典型肺炎」という表現を初めて公式に使ったのです。ただし、「状況は既に効果的にコントロールされている」との認識が示されていました。WHOの専門家チームがSARS被害の実情調査のため広東入りしたのも、この日のことです。中国側から言えば、これは国際組織に対する一種の協力姿勢の現れとなるのでしょうが、政府衛生部門のトップである張文康・衛生部長は同日の記者会見で、「中国は安全だ」と述べています。また、翌4日の記者会見では、「WHOが広東を疫病区に指定したのは、彼らが実情を知らないからだ」とも批判しています。ところが、6日、ILO(国際労働機関)の局長が出張先の北京で死亡します。被害が首都に及び、しかも国際機関で働く外国人が亡くなったということで、世界の目が俄かに北京に向き始めたのです。

 指導部の動きが目に見えて慌しくなりました。10日、中国政府はSARSを法定伝染病に指定しました。党のトップである胡錦濤総書記(国家主席)がこの日、広東省入りし、これ以降続く「胡総書記地方行脚」の幕が切って落とされたのです。12日には、温家宝総理も北京市内の病院を視察しました。当局はこの頃、5日に一回、SARSの被害状況を発表していましたが、16日に北京で記者会見を開いたWHO専門家チームは、「北京には報告されているよりも多くの感染者がいる。軍の病院は市の衛生当局に報告するシステムになっていない」と述べ、中国側の対応に不備があるとしています。

 4月20日、大きな展開がありました。この日開かれた記者会見で、高強・衛生部常務副部長が衝撃の事実を告白したのです。「4月18日現在、SARS感染者は全国で1807名、死者79名。うち、北京については感染者が339名、死者が18名に達している」。15日の発表では北京の感染者は37名、死者は4名とされていたのですから、これは発表されてきた数字が実は実際の数字よりも遙かに少なかったことを当局が認めたことに他なりません。この杜撰さに誰もが驚きました。そして、発表直後、張文康・衛生部長と孟学農・北京市長の事実上の解任が発表されました。大臣クラスの人間が一度に二人も引責辞任に追い込まれたということはかつてなかったことなので、これはSARS撲滅にかける指導部の強い意気込みを表したと言うことができるかも知れません。しかし、トップ以下の対応に一貫性があったこと、被害に関する情報が途中で握りつぶされていたとは考えにくいことから判断すれば、彼らはスケープゴートにされたのだと思います。

 23〜24日にかけて、市民は買いだめに走りました。一度患者が出ると居住区全体が封鎖される、食料品の供給がストップするなど、様々な噂が飛び交ったための自衛手段です。普段は見向きもされない高級スーパーの棚からも、一時的ながら、保存の利く食糧・食料品が突如として消えました。

 「国務院防治非典型肺炎指揮部」、つまり、政府の対策本部が23日にやっと立ち上がり、「中国のサッチャー」と称される呉儀副総理が最高責任者に就任しました。これ以降、矢継ぎ早の措置が取られ(学校休校、隔離、移動制限、娯楽施設封鎖、大型活動禁止、消毒強化、指示に従わない公務員の解雇、法整備など)、今日に至ります。
 
 経験的かつ一般的に言うと、「こうだ」と方針を決めた後の中国政府の動きは迅速かつ断固たるものであることを最大の特徴とします。中国共産党による一党支配の「長所」なのかも知れません。従って、SARSがこれほど急速に蔓延したのは、被害に対する認識が甘かったため、中国政府が「こうだ」という方針を示せなかった(従って、政府の失策だった)ことを図らずも証明したのだと思います。仮に、4月中旬までの対応が中国共産党の伝統的手法なのだとすれば、そのようなやり方は既に時代遅れになってしまったということなのかも知れません。

 党・政府として取り組むべき課題は余りに多いと言わざるを得ません。都市部に比べて医療条件が格段劣る農村部への拡散を防げるのか。対応の遅れと事実上の隠蔽で失墜した国際信用を如何に回復し、そして、初動でのつまずきによって増大した国民の対政府不信感を如何にして取り除くのか。経済、とりわけ観光業、飲食業、小売業等への影響を如何にして最小限に抑えるのか(ある中国人研究者は、「SARSのあおりで、今年の中国のGDPは1〜2%下がる」としています)。増加するであろう失業がもたらす社会不安を抑え込むことができるのか。「SARS撲滅に積極的なのは胡錦濤と温家宝だけ。残り7人の政治局常務委員と地方のトップは、"まずはお手並み拝見"と高みの見物」と言われるような内部不協和音説が生まれる土壌をなくすことができるのか。不安材料は尽きません。

 下の写真はメーデー休み前後の風景です。「北京銀座」王井府を写したのは4月29日、天安門広場は5月5日です(左の天安門広場は昨年5月3日に写したものです)。今では街ゆく人もかなり増えましたが、メーデー前後の北京市内はまさにゴーストタウンと化していました。私は、89年「6・4」天安門事件の時も北京にいましたが、今まだ続く街の静けさと人々の持つ緊張感や不安感は、当時を遙かに上回るものです。事態はそれほど深刻なのです。

           

 しかし、見方によっては、今回の混乱は誕生間もない胡錦濤・温家宝体制にとって、災いを転じて福となすための、絶好の機会になるかも知れないのです。では、福をもたらすための課題とは何なのでしょうか。私は以下の3点に期待しています。

 第一に、言論自由化への期待です。SARSが深刻化する前の3月28日に開催された政治局会議は、「会議関連報道と指導的立場にある同志の活動に関する報道を更に改善すること」について議論しました。要するに、指導者を中心としたこれまでの報道姿勢を改め、今後は大衆が関心をもつことをより多く報じようということです。実際、4月上旬、ある有力紙は、「スポークスマンは信用できるのか」と題する衛生部批判記事を掲載しました。聖域とされる軍事分野についても、驚くべき報道がありました。5月3日の各紙は、潜水艦事故で70名が死亡したと報道したのです。SARS被害の統計問題をめぐり、政府における軍の位置づけが問われ、疑惑の目が軍に向けられている中で、軍の不祥事が伝えられたのです。これまでの報道姿勢に基づくなら、「安定団結」の御旗の下、事実は確実に抹殺されていたでしょう。「衛生部は患者隠しを行っている」とする告発文を内外報道機関に送った解放軍医師の身に何か起こったという話も耳にしません。現在の非常事態が収まり、社会に平穏が戻ってきた時の中国の言論状況に注目しています。

 次に、外交姿勢の問題があります。SARSで国際交流が激減しました。「世界知的財産サミット」や「ボーアオ・サミット」(「中国版ダボス会議」)など、政府の肝いりで準備の進められていた会議が次々と延期されています。中国人であることを理由に、入国を認めなくなった国さえあります。そうした中、私は、4月下旬にタイで開催されたASEAN+1の緊急首脳会議に出席した温家宝総理が「中国のSARS対応は不適切だった」と、自己批判を行ったことに驚きました。中国の公式報道もこの発言を伝えています。誇り高い中国人が、しかも政府のトップが、国際会議の場で自らの誤りを認めたのです。「SARS発生の原因と責任が中国にあると証明されたわけではない」と開き直るなど、どう考えても不可能な現実があったわけですが、私は、それでも異例の出来事だったと思います。このような姿勢は、最近の中国がしばしば口にする「責任ある大国」となるための一つの実践過程なのかも知れません。私は、中国がこれまで一定の距離をおいてきたサミット(エビアン)への胡錦濤主席の参加が、中国の進める「大国外交」の行方に如何なる影響をもたらすのか、米国的国際秩序への挑戦姿勢に果たして変化が生じていくのかにも注目しています。今後の日中関係も変わっていく可能性があります。さる19日に行われた与党三幹事長との会談の席で、胡主席自らが、「小泉総理と会談するのを楽しみにしている」と述べたのです。次のステップとして、小泉政権下における日中首脳相互訪問実現のための唯一、最大のネックである靖国問題は「過去のこと」になるのでしょうか。

 両岸関係(中台関係)にも何らかの変化が生まれるかも知れません。「中国政府の同意」があったのを受け、SARS対策のため、WHOの専門家が5月3日に台湾入りしました。一部では、99年夏の「二国論」発言以降行き詰まり状態にあった両岸関係が、SARSという非常事態をきっかけに打開されるのではとの期待感も生まれました。しかし、例年以上に注目されていたWHO総会ではありますが、やはり今年も中国の反対があり、台湾のオブザーバー参加は認められませんでした。「WHOは主権国家のみが参加できる国際機関である。中国の一つの省である台湾には、たとえオブザーバー参加であっても参加する資格はない。台湾住民の健康維持は中国政府が責任をもって行う」というのが中国政府のスタンスです。しかし、これは原則論に過ぎず、現実とは甚だしく乖離したものです。新たな両岸関係構築のためには、台湾側においては自制をもった国際社会への参与の姿勢が、そして、中国側においては台湾住民の意思を尊重する寛容さが、それぞれ求められているのだと思います。

 私は理想像を語るのが好きではありません。また、以上で指摘した私の考える課題実現が、中国唯一の舵取りである中国共産党自身にとって、果たして理想的な将来像であるかも別問題です。ここ数日の動きは、私の主張が単なる書生論にしか過ぎないことを示唆しているかのようにも思えます。ただ、より長期的視野にたった時、これらの問題は共産党にとっても真剣な検討に値するものだと考えるのです。現在見舞われている危機が深刻であるがゆえ、トンネルを抜け出た後の中国には、これまで想像できなかったようなドラスティックな変化が訪れるかも知れない。今回は、中国に対する私なりの期待感を整理し、記してみました。


(左の写真は、5月19日に発売された「心を合わせ、みんなでSARSに立ち向かおう」切手です。売り上げは全て医療関係部門に寄付されるそうです)。

                     (5月30日記)