「たべる・たがやす・そだてる・はぐくむ・食農保育の実践」の上映について
 

                                                                                   人間科学専攻五期生   倉田 新                           


映画の主人公たち

 この映画の主役は東村山市立第八保育園の子どもたちです。私も担任として関わった子どもたちです。その子どもたちが、食農保育を通してどう変わっていくか、どんな発見をして、どんな姿を見せるのか、子どもの凄さ、輝き、パワーを見てもらいたい。そして東京の保育園でも何が出来るかを知ってほしい。そんな願いがあります。東村山市立第八保育園は昭和19年戦時託児所として東京市が設立し、戦後児童福祉法が制定されて都立保育園となり昭和63年に東京都が撤退することになり、設置主体は東村山市立となり名称が第八保育園となりますが、実質的には市は大規模修繕だけ行い、暫定的に東京都福祉振興財団が運営の肩代わりをして都の職員が派遣されていました。平成9年4月から社会福祉法人ユーカリ福祉会が受託し公設民営となって今日に至っています。長い歴史の中で紆余曲折しながらも地域で一番歴史のある保育園として多くの子どもたちを育ててきました。園周辺は駅前で文教地区です。マンションも立ち並び、開発で年々砂漠化しつつある地域にありながらも、徒歩15分位のところには北山田んぼがあり、八国山という小高い丘陵もあり自然には恵まれて農村集落の慣習や伝統行事が現在も息づき、まだ近郊農業も盛んな地域です。また住民の自然保護意識の高い地域でもあります。

イメージすること

 私は平成9年4月に東村山市の民間保育所園の園長を退任し第八保育園に赴任してきました。そこで私が最初に感じたことは「温かみの欠ける雰囲気」でした。園庭はコンクリートで固めたように平らで、緑も少なく草花がほとんど咲いていませんでした。

 歴史を調べると元々この土地は大きな味噌醤油工場の跡地で、園に隣接する竹林は、昔は園庭の一部のように自由に出入りできたといいます。しかし東京都から市に移管されて大規模修繕がなされた以降、何もない無味乾燥なグランドとなったそうです。安全重視で上り棒やジャングルジムの上のほうは黄色と黒のテープが巻いてあり、危ないから触ってはいけないとなっていました。

 私はこれは子どもたちの生活の場ではない」と直ぐに感じました。私自身東京生まれで故郷がないことに寂しさを感じて育ちましたので、保育園は「子どもたちの原風景が作られる所。それは子どもたちや親たちの故郷でなくてはならない」「幼児期の豊かな原風景は温かみのある豊かな命の環境であるべきである」と考えていたので、当時副主任だった野村保育士に「いつか望郷の想い出をめぐらす時、どんな風景が理想だろうか」「一緒にイメージしてみよう」と言い、テラスから園庭を眺め、目を瞑りイメージしました。「私が懐かしく思い返すのは母の故郷長野の風景である」「故郷と生活、それは里山と農家の庭先で、身近な生活に自然と共存させる」「ここにとうもろこし畑があり、その間をおはようと親子がやってくる」「ここには田んぼがある。畦道があり三輪車の子どもたちが通り抜ける」「大きな木が生えていて木登りが出来る」「園庭は凸凹のほうが面白い」「緑や風がやさしく子どもたちの髪を撫でる」「身近に命がある環境」と私のイメージは膨らんでいきました。そこで2人がまず始めたことは、スコップとつるはしで硬くコンクリートのように固まっていた園庭を掘るということでした。その作業はまさに移民の開拓で、暇さえあれ穴を掘り新しい黒土に換えていきました。運動会やお遊戯はどうするのかと多くの反対意見もありましたが、それは隣接する小学校のグランドを借りればいいのです。

子どもたちの原風景をつくる

 流れる雲や夕焼けや光り、音楽、空気の匂い、そんなもので突然郷愁をおびて思い出す幼い頃の思い出はありませんか。原風景とは感覚的に生きていた時代のあかしであり、未来に生きる力でもあります。大人になって、ある瞬間、風景の階段を降りて行くと、懐かしい保育園時代の思い出が蘇えります。それはすべてが光に包まれていてやさしく美しく輝いています。私たちは保育者として日々子どもたちの心の中に原風景を刻んでいるのだという自覚を持たなければなりません。振りかえれば何もない園庭、それを粛々と変えてきました。農作物だけでなく、虫や蛙や鳥やたくさんの生物たちも集まってきました。それらがすべて子どもたちの環境です。ビオトープ、ビオは命、トープは場所なのです。私は保育園も命が育つ場所であり、それは最も身近なところでは農家の庭先にあると思います。

 日本人の心の憧憬にもなっている里山も人間が作り上げてきた環境です。自然の中を開拓しながら、これはこういう風に換えていこうという意志があって、日本人の原風景となっているのです。そこには生きていくための創造があります。第八保育園の園庭も同様にイメージすることなくしては現在の保育園は存在しませんでした。そして理想や理念は実践してこそ、思想や哲学となります。環境はあるものではなく、創り出して積極的に守るものであると思います。そこには常に思想や哲学がなくてはなりません。それを創り出すのは人間です。大切なのは人づくりです。

 園の田んぼで稲が根付いてきたのと同時に、子どもたちや保育士の心の中にもしっかりと食農保育が根付いてきました。食農は文化です。伝承文化を継承していくのは保育士の役目です。日本の保育が他の国に誇れるものは何かと考えたときに、ITだのコンピューターではなく、それは「自然との共生」と「いのちの環境」ではないか。日本の四季のなかで、いのちや感性を育むことであると思うのです。

 農を生活の糧とするのはあまりに過酷な現実があります。しかしそこから学ぶことは計り知れないものがあります。労作して生み出すこと、苦労もあれば喜びもある。身近な自然はクリエイティブな興奮に満ちているのです。近年は小学校において総合的な学習の時間として食農教育として稲作体験を導入している小学校も出てきました。これは現代の大量消費社会で失われた「手作り」の大切さを学ぶ上でも大変有意義な活動であると考えます。しかし、乳幼児期においてこそ必要な領域なのであるということを我々は考えていかなければならないのです。

映画制作の動機

 保育園において私はこうした営みが、子どもたちにとってよりナチュラルで根源的な営みとして、人間の生涯の歩みの原風景として刻まれる必要があるのではないか、と私は思いをはせながらこれまで実践してきました。生活の中に自然をうまく取り入れてきた日本の文化。ことに食農文化は日本の春夏秋冬の季節の恵みに満ちていました。しかし現代の消費文化社会においては、そうした日本特有の文化が失われ、さまざまな問題を引き起こしています。これからの日本人としての教養として、日本の食農文化を見直し、自然と調和した生活を送ることがいかに大切か考えるのです。

 農耕民族であった日本人にとってこうした食農文化を見直し自ら体験することは、様々な日本の伝統文化を継承する役割のある保育士の技術のひとつとして必要なことなのです。保育士養成校において食農文化を学び、食農保育を実践できる保育士の養成が今後求められるであろうと強く思うのです。しかし残念ながら保育士養成校で2002年現在の段階で全国で食農保育の科目を設けている大学はありません。食育では足りないのです。よく食育という言葉がありますがこれは食農とは異なります。栄養学的な立場から食べることによりどう育つかと言うことです。食農とは耕し農する事を知らずして食べる現代社会の問題や、物流的にも意識や精神的にも離れてしまっている食と農の関係を見直し日本の失われた文化を再生し、再構築しようとする営みであり、食農教育とはそうした文化を教育という手段で次世代に伝達していくものです。食農を知り伝えるだけの技術を持つことは現代社会だからこそ保育士に必要な教養であると考えます。こうした科目を持つことが出来る養成校、また食農保育として保育実践に取り組んでいる保育園は現代社会の消費文化を憂い、真に日本の未来を考えているのだと言っても過言ではないのです。

 そこで私はこの試行錯誤の実践を映画にして、より多くの人たちに見て議論してもらいたいと思いました。完全ドキュメンタリーですので大人の失敗や未熟さもあえてのせてあります。ここはどうなんだろう、こうじゃないか等、保母養成の学生はもちろん、現場の保育士や園長、そして親たち、子どもの未来を考える人たち、子どもに関わる人たちにが議論して、また知ってほしい。そう願いを込めて2年間の歳月をかけ映画を製作しました。それが「たべる・たがやす・そだてる・はぐくむ」食農保育の実践(仮題)です。

おわりに

 現代人が失ってしまったもの、失われた楽園は日本人の原風景である「ふるさと」である。「兎追いしかの山/小鮒釣りしかの川/夢は今もめぐりて/忘れがたきふるさと」と童謡で唄われたふるさとです。それを保育園が再生する。それは保育園の園庭にあるのです。それを創り出すためには、保育士一人ひとりが、子どもの未来をイメージして、その手の平に肉刺を作るか作らないかにかかってくるのだと考えます。これから何度も試写会をして、多くの方々から貴重なご意見を頂き、校正を重ねてよりよいものに仕上げて行きたいと考えております。ぜひ大学院祭での試写会にご参加いただき、多くのご意見を賜りますようお願い申し上げます