イラク戦争を軍事作戦面から観察する
                         

                                     国際情報専攻4期生  近藤 一視                                     



1.  はじめに

(1) 4月20日午後6;30 バクダッドのフセインの銅像が民衆の歓呼のうちに引き倒された衝撃的映像をもって、イラク戦争は実質的に終結した。
 僅か21日間の作戦でフセイン率いるイラク軍は殆ど壊滅したわけである。     
 数字の上では 38万のイラク軍に対して12万の米英軍で3:1というものの中味が全く違う。 海空戦力で空母6隻を基幹に最新の航空機を擁する米軍の、制空権を含め絶対優勢では比較するのさえ憚るほどである。

 まさに、虎がねずみに一気呵成に躍りかかったようなものである。これに対しイラク軍は古典的ともいえる軍隊、しかも戦争準備も不備のままであった。ここへ最新の科学技術を駆使したネットワーク・オペレーシヨンの米軍を相手にした訳だから結果は始めから決まっていたと言っても過言ではなかろう。

(2) イラク戦争の政治的、国際的、或いは民族・宗教等の観点からの論議は他に譲るとして、ここでは軍事作戦面にしぼった観察を専門的視点から纏めてみたい。

2.  米側の作戦構想と作戦推移

(1) イラク戦争を実施・発動するために米国が何時から、どんな戦争準備をしてきたか。正確なことはもう少し時間が必要だが、少なくとも湾岸戦争(1991)以降から、とくに軍事目標、イラク軍の勢力や配置、フセインの動向、政府に対する民衆の従属度、その他必要なあらゆる情報を収集・整理してきたのは当然である。とくにフセインの所在については刻々の情報を掴んでいたはずである。しかし彼が頻繁に動くがために、ついに最後までつかめなかった。(あるいは生死を隠しているか・・・・これは推測に過ぎない)

(2) イラクの地形、気象、都市や国民の米国への感情等についても詳細な資料収集や分析がなされた。そのうち砂漠の砂嵐が4月中旬から始まること       が、戦争開始時期の決定に大きな要因となった。つまり砂嵐のまえに戦争を終わらせることが条件の一つとなった。

 またフセインを倒せばイラク国民はアメリカ軍を大歓迎するとの予測は残念ながら外れた。2つの大きな河川の渡渉については研究しつくされていた。

(3) イラク軍は内戦作戦のため南北と中心のバクダットの防衛というこれまた古典の配置で機動予備も殆どなし。その原因が軍の成り立ちにあるのは当然であった。つまり正規軍、共和国防衛隊、特別防衛隊のそれぞれが協力し合うのでなく、監視しあっていた。これでは統合力は発揮できない。

(4) 米側の攻撃構想は南と北からの両翼包囲(挟撃)、地上作戦開始に先立ち航空攻撃を以って重要軍事施設、司令部、等の指揮統制・通信・兵站・軍の集結をピンポイントでたたく。勿論制空権の絶対確保。中心のバクダットでは、一般の被害を極限しつつフセインをふくむ指導組織を壊滅するはずであった。

 米側にとって誤算が起こった。トルコの非協力とフセインの所在不明である。北から第4機甲師団を投入の予定がトルコに入れず、大きくペルシャ湾に転用せざるをえなくなった。これで作戦が伸びるかと思われたが、イラク軍の抗戦意思の急速な低下でことなきを得た。フセインの捕獲・殺傷は出来ずじまいで、作戦の最大の目標が達成できなかたともいえる。

(5) イラク軍の抵抗はまことにあっけないものであった。最大の原因は開戦直後から指揮統制機能が急速に低下したため中央の命令が下まで届かなくなったことである。勿論装備の劣悪、兵站の欠乏はいうに及ばない。戦いに絶対必要な情報収集機能を早期に破壊されたので、CNN放送(世界中が見た)で状況を承知するのだから、何をかいわんやである。投降のニュースを見て後につづいたのも頷ける。

(6) 米側の攻撃は砂嵐の時期までに決着をつけるぎりぎりに開始されたはずである。残念ながらフセインの正確な所在だけは掴めなかった。しかし攻撃は極めて順調に進展した。渡河や各都市の制圧はスムースに進んだ。むしろあっけなかったといってもいい。双方の損害の程度は、驚くほど少ない。50万以上の軍隊の衝突で何千人規模(米側は150人以下)というのは珍しい。
兵站は600−800キロにおよんだが見事な追送組織で克服した。


3.   作戦の特色

  (1) この戦争の最大の特色は米軍の最新科学兵器の駆使とこれを活用した創造的、斬新な戦術運用が見事に実践されたことであろう。これをネットワーク化の戦争と括ることが出来る。

 精密誘導兵器は湾岸戦争時よりはるかに正確で、事前にインプットされた戦略・戦術目標に臨機に正確に攻撃する。そのときどきの目標に応じた破壊力で対応する。

 エフェクト・ベースド・オペレーションである。どの攻撃手段(航空機か、ミサイルか、戦車か、火砲か) どの方向からどれぐらいの量を集中するか。損害を最小限化するには、、、これらをネットワークで瞬時に臨機に選択する

 ジョイント・ビジョン つまり宇宙・陸・海・空の情報と戦力を統合して効果的攻撃に移行できるシステムを開発している。これがネットワーク化されているのである(2) 情報収集機能も画期的な進歩を見せてくれた。3Dの収集能力、処理能力はわれわれ想像を大きく超えている。ここにもコンピューター・ネットワークがフル活用されている。 たとえば兵站について、本国、戦域の集積所、第一線の兵站基地がネットワークでつながり、これに第一線の補給品にバーコードがついて、まるでコンビニの品物管理と同様にどこで、どのぐらい不足し、いつまでにどこへ追送すればいいかがコンピューターで解かる。こうなると兵站が戦局を左右することが極めて小さくなる。

 AH(対戦ヘリ) アパッチが砂嵐のため、34機中27機が使用不能になり責任問題となったのは数少ない失敗例であろう。
(3) 戦争とメディアは切り離せないがこの戦争ほどメディアが良くも、悪くも活躍したのは歴史に類をみない。リアルタイムのテレビ、従軍記者の的外れな解説が世界中の人々を軍事解説者に仕立てた。映画と現実をはきちがえた戦争への認識にしばしば浅薄さを感じざるをえない。
 
4.   作戦の勝敗

(1) 米側の勝因はなんと言っても圧倒的戦力差、最新の科学技術の粋を集めた攻撃能力、事前の的確な情報収集、加えて機動力も砂漠・砂嵐の克服力、兵站確保の優秀性 が挙げられよう。IT化の最たるものがこの戦争で日の目をみたのは間違いない。作戦の方式も前述のとおり画期的であった。

(2)イラクの敗因は旧式の兵器、片道しかない兵站、フセインの強圧下の変則的指揮統制組織、情報の欠如、初歩的用兵のミス。なにより士気の低さ等が挙げられる。フセインの掛け声が途絶えたときが、イラク軍の崩壊であった。サハリ情報相の戦況報道が道化の様をこえて哀れでさえあった。

(3)この戦争は情報戦であった。作戦はデジタルであった。圧倒的戦力差、技術の差を見せ付けられた。そして勝敗ははじめからはっきりしていた。
軍事作戦は間違いなく米側の完勝であった。

5. むすび

 科学技術の進歩は戦争が主導する。まさしくこの言葉がイラク戦争にあてはまる。メディアが戦争を様々な評価を生み出し本然の作戦目的を変えることさえある。

 21世紀の戦争を予想することが益々困難になったことを痛感する。

                                       以上