なぜ日本人拉致は行われたのか
                                                 − 北朝鮮の工作活動と日本 −

 

                                                                                      総合社会情報専攻1期・宮田敦司



はじめに

 日本人拉致の問題は、昨年の拉致被害者の帰国を契機にマスコミで大きく取り上げられたが、拉致が行われた背景については、マスコミでもそれほど取り上げられなかった。

 韓国へ亡命した元北朝鮮工作員等の証言から、拉致された日本人の何人かは工作員に対して日本語や日本の習慣を教える教官だったと言われているが、なぜ工作員にこうしたことを教育する必要があったのだろうか。その背景には、北朝鮮の国家目標が大きく影響している。
こうした目標の延長線上にある、日本を舞台にした北朝鮮の工作活動について述べてみたい。

1 日本人拉致に関係した組織

 北朝鮮は、朝鮮労働党(以下、党)及び朝鮮人民軍(以下、軍)に情報機関を保有している。網掛けになっている組織は、日本人拉致に関係したとされている組織である。
党の機関:35号室(旧対外情報調査部)、対外連絡部、統一戦線部、作戦部
軍の機関:偵察局、保衛司令部、敵軍瓦解工作部

○拉致に関係した組織と被害者
35号室 :久米裕さん、原敕晁さん、田口八重子さん
対外連絡部:有本恵子さんら、よど号関係の被害者
作戦部  :横田めぐみさん、蓮池、地村夫妻

2 拉致の目的

 「救う会」が認定している21人の拉致被害者は5つの分類に分けられる。
@ 北朝鮮の工作活動に遭遇したために連れ去られた「遭遇拉致」
A 工作員が被害者になりすますために拉致する「背乗り拉致」
B 工作員に対する日本人化教育を行うための教官要員
C 拉致した日本人を工作員として使う
 D その他
 
※韓国では1953年以降3,790人が拉致され、このうち487人が現在も抑留されている。

3 日本における工作員の任務

 北朝鮮で日本語や日本の習慣を教育された工作員は、主に工作船で日本へ派遣される。工作員には、次のような任務が付与される。
○ 対韓国工作(日本を拠点に、地下党組織構築、軍事、政治、経済など韓国の国内情報を収集)
○ 駐日韓国大使館及び民団(在日本大韓民国民団)に関する情報の収集及び工作
○ 自衛隊・在日米軍の編成、装備、士気に関する情報の収集
○ 防衛産業に関する情報の収集
○ 日本の韓国及び北朝鮮政策に関する情報の収集
○ 日・米・韓三国の関係に関する情報の収集
○ 日本の政治、経済、科学技術に関する情報の収集
○ 在日韓国・朝鮮人、韓国人留学生の抱き込み(工作員に育成)
○ 原子力発電所や新幹線、ダムなど有事の際の破壊工作対象の調査
○ 朝鮮総聯幹部の動向監視
○ 侵入ルートの開拓
○ 資金調達

※日本で活動中の工作員の人数

 日本で活動している工作員の正確な人数は不明であるが、数百人程度といわれている。目安として暗号放送(工作船と接触する日時や場所、帰国指令などを伝達)の指令系統の数がある。指令系統は1999年現在で300から400である。ただ、ひとりの工作員が複数のコールサインを持っている可能性が高く、指令系統と工作員の数は一致しない。なお、暗号放送は、現在は電子メールに変更されたため中断されている。 

4 工作の目的

 これまで報道等で明らかになった北朝鮮情報機関の活動を整理すると、北朝鮮の韓国をはじめとする諸外国における工作活動の主要な目標は、次の5点に分類することができる。

@ 北朝鮮の統一案による南北統一の実現
⇒ 在韓米軍の撤退 ⇒ 北朝鮮主導による統一(武力統一)
A 韓国における革命実現のための環境創出
⇒ 北朝鮮に有利な世論形成、世論分裂、社会混乱 ⇒ 革命
B 関連諸国に対する働きかけ
⇒ 自国に不利な政策を取らせない、実利獲得
C 韓国に対する牽制
⇒ @、A、Bの活動を通じて、常に韓国政府に反対する勢力を組織しておく
D 先端技術等の獲得
⇒ 兵器開発

現体制の維持に直結

5 日本における工作事案
 
(1)日本を拠点にした韓国政府・財界人の抱き込み(朝鮮総聯元幹部スパイ事件)

 対外連絡部所属の工作員・康成輝(60・逮捕当時)は、1979年に北朝鮮で工作員訓練を受けた後、貿易会社社長を隠れ蓑にして20年以上にわたり日本を拠点に工作活動を行っていた。この間、十数人の韓国政府、財界人と東京、伊豆、北京などで接触し、抱き込み工作を行った。この結果、韓国の巨大企業グループ系列企業の経営者(96年に死亡)を含む数人を協力者とすることに成功した。
97年頃からは、日本のキリスト教団体に接近し、北朝鮮への食糧支援や、韓国で収監されている「非転向長期囚」の帰還運動に関係していた。

(2)日本及び韓国における情報収集(豊島事件) 

 対外連絡部の工作員・申栄萬は、韓国の軍事情報・資料の収集、副次的な任務として韓国の政治、経済、科学技術に関する情報・資料の収集、日本の自衛隊、軍需工場に関する情報・資料の収集を行うため、日本へ派遣された。
申は、韓国での情報収集及び工作活動を行うため、抱き込んだ人物を工作員として養成し、韓国へ送り込もうとしていた。
申は1977年、日本の警察庁に外国人登録法違反で、申のスパイ活動を助けた補助工作員5人とともに逮捕された。この時、無線機、乱数表、暗号表等多数の証拠品が押収された。
申は、北朝鮮で2年10か月にわたり工作員としての訓練を受けていた。

(3)政治家に対する抱き込み工作

 日本に密入国した北朝鮮工作員が1970年代、在日朝鮮人の有力商工人(当時)の男性をエージェントに取り込み、主要閣僚経験者の政治家(故人)を顧問に迎えて会社を設立させるなど、日本を舞台にした大掛かりな政界工作をしていた。
閣僚経験者について、元商工人は「金銭などの見返りに工作員側に便宜をはかっていた」としており、政治家が対日工作に加担していた疑惑が浮かび上がった。

 会社は900トンクラスの貿易船を保有し、北朝鮮の南浦、九州間でバーター貿易を始めたが、取引相手は後に北朝鮮工作機関の直轄企業であることが判明。「積み荷の中には厳封されたものがあった。男は『韓国や日本から人を拉致するのは簡単だ』と話していた」(男性)。

(4)統一戦線部工作員による活動

 北朝鮮との連絡船「万景峰(マンギョンボン)号」を通じて工作活動をしていたことが判明した元朝鮮総連の幹部(72)が、韓国と日本で50年以上にわたり、親北派の育成や韓国軍人の取り込みなど多様な対南(韓国)工作にかかわっていたことが警視庁公安部の調べで判明した。
供述などによると、同幹部の対南工作の活動歴は、10代だった1940年代に朝鮮労働党に入党したころから始まる。韓国南部の慶尚南道地区の同党委員会に所属し、韓国の政治情勢や大衆活動に関する情報を収集。メディアを活用した北朝鮮の宣伝活動やスパイ活動のため、韓国軍人の取り込み工作などに関与していた。

 韓国当局から逃れて49年に日本に密入国してからは、現在まで別の在日朝鮮人になりすまして活動。別人の名前のほか、本名や通称の日本人名の3種類を状況に応じて使い分けていた。

 日本国内では、朝鮮総連の非公然組織「学習組」活動に参加。93年に労働党の工作機関である統一戦線部に所属してからは本格的な活動を始めた。貿易団として来日した工作員らの接遇や韓国内に親類がいる在日朝鮮・韓国人の補助工作員としての取り込みと育成に従事。韓国に潜伏する工作員に政治・軍事情報の収集や地下組織づくりなどを指示した。

 万景峰号を通じた指令や報告活動も93年以降に始まり、体調を崩して工作活動を休止する2001年秋まで約9年間続いた。公安部は、同年以降は別の工作員に活動を引き継いだとみて調べている。

おわりに

 「日本人拉致」は、拉致することそのものが目的なのではなく、先に述べた工作の目的を達成するための手段といえる。工作の目的は、最終的には国家目標を達成するためであり、別の見方をすれば、現体制を維持するための活動ということができる。

 今後の北朝鮮情報機関の活動は、疲弊した経済を立て直すには、国際社会の支援が必要であるため、過去に見られたような大規模なテロ(航空機爆破等)は差し控えるだろう。しかし、これ以外の工作活動は、現体制が続く限り継続されるであろう。体制を維持するためには、こうした活動を継続する必要があるからである。

参考資料:
警察庁『警察白書』2002年版
警察庁『治安の回顧と展望』2002年版
警察庁警備局編『スパイの実態』1984年
現代コリア研究所『現代コリア』2003年4月号
『朝鮮日報』2000.11.5
『日本経済新聞』2000.12.13、2002.09.17(夕刊)、2003.01.29(夕刊)
『産経新聞』1999.03.25、1999.04.22、2002.10.07
『読売新聞』2000.12.13
『東京新聞』2003.01.17