The Portrait of a Lady−無限の苦しみから生きる喜びへの転化−

 

                           文化情報専攻3期・修了  高波 優

The Portrait of a Lady (Penguin Classics)
Henry James (著), Geoffrey Moore (編)


 1.はじめに

 ・イザベルが身につけた「一貫した賢明さ」とは何だったのか?
 ・イザベルは何故夫のところへ戻っていったのか?
 ・ラルフの臨終の時にイザベルが感じた「苦悩」より深いものとは何か?
        

 2.イザベルの「苦悩」の実態

 ・オズモンドによる「苦悩」→オズモンドに'privacy'を奪われた事     
 ・マダム・マールの本質→「悪」の誘惑に勝てず「悪」に染まる人間の弱さ 
 ・渡英する旅の間の「苦悩」→「生きること」が彼女の道であることを感じること

 3.イザベルの「苦悩」の解決

 ・「ガーデンコート」が象徴するもの→'privacy'
 ・ラルフの本質→'feel'する感覚
 ・イザベルの本質→自己懐疑をしない「自我」
 ・イザベルの「苦悩」の解決
  'something deeper'の意味→ 「自己解体」と「'feel'する感覚」
 
 2−3 「無限の苦しみから生きる喜びへの転化」

 ・イザベルが得た、「生きる喜び」について→「自己解体」し、'feel'する感覚を持って
  「苦悩が存在する現実の世界」で生きていくこと
 ・ガーデンコートの売却→'privacy'の消滅(現実の世界を象徴)
 ・ 「苦悩」を通してのみ「生きる喜び」が得られる理由→'feel'する必要への「気付き」
 ・ 「無限の苦しみから生きる喜びへの転化」 → 「苦悩」を通して、「自己解 体」し、
  「'feel'する感覚」に気付き、その感覚を心に持って「現実の世界 」に生きることに
  「喜び」を感じた。

 3 本作品を通しての「ジェイムズの主張」

 ・ 「気付き」について→「苦悩」を通してのみ、「気付く」ことができること
 ・ 「現実の享受」→'privacy' が存在しないのが「現実」であり、その「現実」から逃げ
  ることなく、「'feel'する感覚」を持って生きていくことが、' consistently wise'な生き
  方であること。(イザベルが得た一貫した賢明さであり、夫の元へ戻った理由)
 ・ 「精神性」を身につける方法→「ラルフの幽霊」という形を取ること、「失って初め
  て気付く愛」、「徹底的な否定の中に見出される肯定」
 ・「ガーデンコート」が意味するもの→'privacy' 、「束の間の美」 ・ 「John Keatsの想
  像力」と「本論テーマ」の関連性について→'Negative Capability'という点での共通
  性(原点はWilliam Shakespeare)→自己解体の想像力、束の間の美、ヤーヌス(双
  面神)的な「想像力」目に見える想像力と目に見えない想像力  
 ・ 「心理的リアリズム」と「ロマンティシズム」の同居について  
 ・「心」と「物、知性」の問題→「物、知性」中心の世界で見失いがちな「心」の重要性

 4 「本論テーマ」と「現実世界に生きる我々の価値観」の関連性

 ・'privacy' の無い「現実」の世界で生きていく為に必要な、物事の本質を感じ取る
  ('feelする')ことの重要性
 ・「物、知性」中心の世界で見失いがちな「心」の重要性 ・ 「想像力」の欠如

 結論

 ・「苦悩」の中から「自己解体」と'feel'する感覚の必要性に気付き、その感覚を持っ
  て「現実」の世界に生きることに「喜び」を感じ、それが「想像力」によって「永遠の
  喜び」に転化されること
 ・本作品は、我々が「現実」の世界で、「一貫した賢明さ」を持って生きてい
  く知恵を授けてくれており、「無限の苦しみから生きる喜びへの転化」は、
  時空を超えて我々読者の心に生き続ける真実であること