修士論文はステップ方式で


                                                      

                              人間科学専攻3期生 品田 松寿

                 

 私はジュニア卓球選手のボランティアの一指導者です。私は,以前から日本の青少年のスポーツ選手に対する指導の在り方に疑問を感じていました。子どもの頃から勝利至上主義,つまり「成功すること」に価値を置く指導です。そこには,競技スポーツでは勝つことがすべてであり,「勝てば楽しい」から苦しい練習が必要であるという考え方があると思います。しかし,「楽しいから勝てる」という新しい発想にもっと重点が置かれるべきだと思います。

 日本では,「楽しい」という字は「楽」という字を書きますので,「楽をすること」という意味に捉えられがちです。私は自分なりに,「楽しい」とは内発的に動機づけられたときの感情というふうに解釈しています。「内発的に動機づけられた活動」とは,ある活動それ自体にワクワクしたり,ある目標を達成したときに喜びを感じたり,我を忘れて没頭できるからその活動に関われるというように,その活動以外には明白な報酬がないような活動のことです。

 私は,成功よりも内発的に動機づけられた活動そのものに価値があると信じています。若い時代に内発的に動機づけられた経験が長ければ長いほど,後に自立という恩恵をもたらしてくれると信じています。また,指導者は,子ども達を指導するときに,いかに「勝てるようになるか」ということよりも,いかに「楽しく感じる環境をつくるか」ということに焦点を合わせることの方が大切だと思います。

 指導者は子ども達を強くするのではなく,子ども達が自分で強くなるための力を引き出してやることに重点をおくべきだと思います。この考え方に基づいた指導は,彼らが成長したとき,最終的に大成へと導いてくれると信じています。

 私は内発的動機づけの原理から,内発的動機づけが高まるには,個人が有能感を感じることが必要であるということを入学してから4ヶ月ぐらいでやっと知り,同時にジュニア卓球選手の内発的動機づけが高まるには,その個人にとって難しすぎることもなく,易しすぎることもなく,努力しさえすれば確実にクリアーできる課題を与えてやることだという考えに至りました。

 そして,行動分析学の「スモールステップの原理」に基づいて,ジュニア卓球選手用の練習プログラム(ステップ)を完成させたときには,入学してから8ヶ月も過ぎていました。さて,ここまではよかったのですが,人が内発的に動機づけられているかどうかをどのように測定するかという段階になると,全く手も足も出ませんでした。私はかなり焦っていましたが, 今やるべきことに集中するように自分に言い聞かせました。そのときやるべきことは, 過去の内発的動機に関する文献を調べることでした。その結果,SMS(the Sport Motivation Scale)というアンケート調査をすることにしました。

 ここまで来たら少し気が楽になりました。当初の実験計画では,ステップをある一定期間使用したグループと使用しないグループでは,内発的動機づけにどのような違いが現れるかを調べることだけでした。私は,2002年の3月卒業式で,卒業生のお祝いに駆けつけたとき,河嶋先生から,「行動面でどのような違いがあるかを調べなければ,論文としての価値は減じられる」という貴重なアドバイスをいただき,簡単な実技テストを実施することにしました。

 さらにしばらく文献にあたっていると,スポーツ選手がどのようなことに成功感を感じるか,つまり,人よりも優れているときに成功感を感じるか,今までの自分よりも優れているときに成功感を感じるかについてのアンケート(TEOSQ: the Task and Ego Orientation In Sport Questionnaire)も実施したいという気持ちにかられました。これでやっと何とか研究の全体像が見えてきました。しかし,このとき,後8ヶ月しかないという焦りの気持ちでいっぱいでした。最悪の場合は3年かかってもよいという覚悟をしました。

 恥ずかしい話しですが,私の論文の実験計画は初めからできあがっていたものではなく,研究を進めるに従って付け加えていったものです。しかし,やることが決まったら私は最善を尽くそうと決心しました。私は疑問な点はすべて河嶋先生にメールで尋ねました。まともに顔を見ては,とてもできそうもないような質問をメールなら簡単にできます。まさにメールでの質問と回答は,1対1のマンツーマンの授業でした。

 頭の回転の鈍い私にとって,メールの良さは分かったふりをしなくてもよいということでした。分からなければ何回でも質問できました。一生懸命調べたことに対して,河嶋先生からの「その通りです」という回答によって,私の質問という行動は,行動分析学的に「強化」されたと思います。

 私は少しでも論文が先に進むと一種の満足感を味わうことができました。先を見ると高すぎるハードルを, 自分なりに努力すれば越えられるスモールステップに区切って, 今超えるべきワンスモールステップをクリアーすることだけに集中するということを何回も繰り返す卓球のステップ方式が, 自分の論文を書く過程で生きたということは非常に貴重な体験でした。

 最難関はt検定や分散分析という検定でした。検定について詳しい地元のある大学の教授の所へ行って質問をしましたが,その教授の説明は初めて聞く未知の世界でした。私は検定については,理屈よりも実践だと決心しました。エクセルでの操作を覚えて何とか検定を終えました。検定は同じ作業を何回も繰り返す単調な作業でしたが,ステップ方式の効果に関する検定だったのでどのような結果が出るか楽しみながらやることができました。

 論文で一番楽しかった部分は考察です。結果をどのように自分の目を通して解釈するかという部分は,論文の終わりに近づいたということもあって, ワクワクした状態で書くことができました。

 締め切り間際になると緊張のせいで心臓の調子がおかしくなりましたが, 時間とともにこの問題はおさまりました。ところが,最終提出があと約10日と迫った1月1日,国道を運転中に, 居眠り運転をした車が急に車線を変えて私の車線に入って来て私はなすすべもなく,ほぼ正面衝突をされました。

 衝撃は強烈でしたが, 私は何とか外へ出ることができたので, 歩道に横たわっていると, 後続の車からたくさん人が降りてきて, コートをかけてくれたり, 携帯で自宅に電話するよう勧めたり, 枕をかしてくれたり, 本当に親切な人達がいるものだと思い知らされました。私は救急車で最寄りの病院に運ばれましたが, 幸い骨には以上はありませんでした。救急車の中では論文は無理かも知れないと思いましたが, 何とか完成に至りほっとしています。

 論文では,ステップ方式を一定期間使用したグループと,そうでないグループの間には内発的動機づけの伸び率において有意差が表れました。そして,自分の論文のテーマであるスモールステップの効果を,自分自身でも身をもって体験できました。これからはスモールステップの効果について何らかの形で世に訴えていきたいと思っています。そして,子ども達が楽しく練習して,さらに自分の力で強くなれるような環境を整えるためにささやかな努力をしていきたいと思っています。

 私が事故から学んだ親切な人々がまだ多いという事実と,スモールステップ方式で育ったスポーツをする子ども達は,きっと自立の精神をもって物事に取り組むであろうという希望とで,いずれ明るい日本がやってくるだろうと密かに期待しています。

 今回論文を初めて書いたという私のような論文シロートをここまで導いて下さった河嶋先生に,この場をお借りして感謝申し上げます