忙中閑あり:生き甲斐に挑戦


                                                      

                               国際情報専攻3期生  石井忠史

                                   

 独立開業してから30数年間、関与先の監査、決算税務申告、調査立会等の仕事に明け暮れ、傍ら公認会計士・税理士業界や地方公共団体の役職をこなし、時間ができれば、ゴルフや旅行を楽しんではいましたが、なんとなくマンネリ化した生活を送る毎日でした。苦労しながら試行錯誤のうちに年が過ぎ、ふと、これで良いのだろうかと、疑問が頭をもたげることもありましたが、日々の仕事の忙しさに、つい流されてしまっていたのです。

 まもなく20世紀も終わろうとする平成12年12月の初旬、例によって例の如く、飲んで気分よく帰宅したところ、家内が青ざめた顔で、涙していました。咄嗟に大変なことがあったのだなと直感しましたが、思った通りでした。元気だった義父の、突然の急逝でした。義父は80歳を過ぎてから書を嗜みはじめ、努力の甲斐あって卒寿記念の個展を開くまでになっていました。その遺作のなかに、ひときわ目をひかれる作品があったのです。

『盛年重ねて来たらず 一日再び明日なり難し 
時に及んで当に勉励すべし 歳月は人を待たず』(陶淵明)

 この書作は、私の心に衝撃を与え、私のだらしなさを痛感しました。以来、何か勉強をしなくては、と強く思うようになったのです。「自分史」でも書こうかとも考えましたが、家族以外誰も(家族でさえも?)読んでくれないだろうし、結局仕事のことしか書けないと悩んでおりました。

 そんな矢先、日本大学の社会人大学院のことを耳にしました。しかし、私はかなりの高年ですから、果たして入学が許可されるか、また、入学したとしても本当にやり遂げられるのであろうか、不安でいっぱいでした。この歳になって今までの生活を一変し、新しいことにチャレンジするのは、とても勇気のいることでしたが、「一生勉強」という自らの信念を貫くために決断しました。入学試験は、確定申告期という多忙な時期でもあり、不安と緊張の連続でしたが、幸い、五十嵐雅郎教授のもとで研究をさせていただくこととなりました。

 大学院に入学した当初、一番心配したのは、限られた時間をどう調整するかという悩みでした。が、五十嵐ゼミ生と懇親を深めるうち、全員が同じ悩みを持っていることに、当然のことながら改めて驚いたと同時に、気力が充実しました。1年365日、仕事と勉強を両立させつつ、毎日充実した日々が続きました。とはいっても一人で、パソコンに向かい黙々と勉強することは、私のような高年者には、他人に語れない寂しい気持ちに陥ります。入学式の初日に、コンパがあったことは、嬉しくて今でも忘れません。自己紹介や、ユニークな雰囲気に、やる気になりました。

 幸いなことに、私の修論のテーマは長年の仕事で培ってきた基礎があったため、資料や文献は、それほど苦労もなく集めることができました。しかし、実務経験があるからといって、いざ文章にするとなると、なかなか書けない、ストーリーにならないことに苛立ちを感じました。

 自分は高年だから、人より早く修論に取り組まなければ、という気持ちで、入学間もない頃から、少しずつ書き始めました。なにしろ、図表の作り方、コピー、貼り付け等々のワードの使い方に大変苦労し、参考文献や、専門書を読みながら入力するにも、「超」がつくほどの低スピードでしたので、人の4倍くらい時間がかかってしまいました。又、論文の書き方など皆目わからず、断片的に番号をつけ、題名をつけて出発したことは、後々苦労することとなってしまいました。しかし、五十嵐教授の的確なアドバイスと懇切丁寧な御指導を受け、また、近藤教授の講義や、メールを隈なく吟味することにより、すこしづつレベルアップして行けたように思います。職業柄、文章を書くということに全く抵抗はなかったのですが、論文というものを軽く考えていた自分にとって、近藤教授からの「脚注、注記、引用文献、参考文献等が全く出来ていない」と言う御指摘に、自分の論文の幼稚さに気づき、愕然としてしまいました。

 自分の修論は「国際会計基準」がメインテーマであり、新会計基準と中小企業を含めた幅広い金融経済に繋がる研究でしたので、どのようなストーリーとすべきか大変厳しい選択に悩まざるを得ませんでした。しかもデフレ経済下における会計基準の改革は、各業界から反発も多く、毎日のように、経済新聞に会計基準に関する記事が載っている情勢にあって、自分の論文も早めに書いたものが、日に日に陳腐化し、あるいは、改訂されたため、見直しや書き直し等々の必要に迫られ、経済情勢の進展の早さにいまさらのように厳しさを感じました。

 そのためではないでしょうが、昨年1月頃から腹部が痛みはじめました。しかし、仕事が多忙な時期(所得税の確定申告期)でもあり、我慢しているうちに、背中まで痛みはじめてしまいました。ようやく4月の中旬にクライアントでもある消化器専門の医師に内視鏡検査を受けたところ、「十二指腸潰瘍が5ヶ所」もあることが判明し、医師が自分の状況を諭してくれました。もう、いい加減にしようかな、とさえ思いましたが、敵前逃亡や、挫折は死に体と同じことです。最後まで最善を尽くすことこそ、重要なことであると改めて決意しました。

 毎日の新聞雑誌のスクラップ、方々の図書館での参考文献探しはなかなかの重労働でしたが、修論のテーマ自体が日々の仕事に密接に関連した事柄でもありますので、常に関心を持つようになりました。「修論は解説書ではないのだ、あくまでも、キャリアを通じた疑問点、問題点の研究、建設的意見と合理的な自論を追求しなければならない」と感じるようになりました。早めに論文骨子と本文作成に取り組み毎日11時までワードに向かい、文献にチャレンジし、土日祭日は勉強に没頭することにしました。

 話は変わりますが、昨年の4月、五十嵐教授をはじめとするゼミ生の元で「経営研究会」を立ち上げることができました。ゼミ生全員が一致協力し、創立総会そして、第1回福岡、第2回仙台、第3回名古屋と立て続けに実習活動を実践しています。五十嵐教授のメインテーマに院生の研究発表等、目新しい活動を行うことによって、自己改革への原点を見つめなおすことと、修論作成の気力を促す原動力になったであろうことは、出席者の皆さんは感じられたことと思います。

 そんな中で、修論の中間発表がありました。他人の発表を大いに学び、自分の修士論文に役だったことは間違いありません。このことを契機にさらに発奮しました。修論も終盤に近づき、忙しいのは理由にならないと自分に言い聞かせ、仕事の方はとりあえず目をつぶり、文献類に囲まれて、終日論文の見直しに熱中しました。これほど頑張ったことは最近覚えがありません。今思うと、指導教授陣の熱心さに惹かれたのだと思います。

 修論が形になってくるにつれ、さらに研究を深めてみたいという気分になってきました。次第に納得のいく文章になりつつあることに夢中になってしまい、提出期限ギリギリまで何度も見直し加除、修正をしました。完成した時の嬉しさは言葉に言い表せません。1月26日緊張の中で修論審査を受け、正本を提出しましたが、一抹のさびしさを覚えると同時に、やっと本当の意味での研究のスタートについたのだと、気の引き締まる思いです。

 日本大学大学院で学んだことは、これからの仕事と人生に大きな自信となりました。これは、自分自身で築き上げた無形の財産だと自負しています。「継続は力なり」を実行するつもりです。

 「実行なき知識はゼロ」人生死ぬまで楽しく勉強したいものだと思います。

 私は『仕事の教室14年12月号』で「自己改革なくして経営改革なし」、「案ずるより生むが易し」と書きました。人生の生き甲斐に挑戦し、高年で学ぶことは若さの証しではないでしょうか。