机はなくても書ける修論


                                                      

                               文化情報専攻3期生  戸村知子

                 
 何事も、スタイルからはじめる人がいる。私もそうだ。

 仲間と登山の計画が入ると、まず、登山用具・服装の新調をする。その後で、ふだん鍛えていない脚のことを思い出す始末である。
 
  ところが2年前に入学して以来、大学院でのレポートの山を踏破するために勉強机を新調することは、結局なかった。就職して少し経った頃に大型ゴミにしてしまって以来、私は机を持っていない。大学院から貸与されたパソコンを置くスペースがあれば事足りた。むしろ、本棚の空きスペースが必要であった。レポートや論文を実際にまとめ始めると、みるみるうちに、床やベッドの上が、新たに購入したり、借りてきた図書に埋もれていった。「足の踏み場もない」経験をした。
 
  2年目の冬、家族の協力のもと、ほとんど自室から出ることのなかった年末年始を過ごし、修士論文の正本提出を終えてやっと、お正月を祝った。訪れた芦の湖畔の眺めは、芽吹く前の木々で被われた山々がほっこりとしてあたたかかった。

 桃源台から箱根までの遊覧船にゆられながら、2年間をふりかえる。入学できた喜びもつかのま、課題図書がなかなか読破できなくて不安を覚え、勉強用の読書術を身につける必要を感じたものだ。とにかく、まずは読書だと思った。それから構想を練るための集中した時間も欲しかった。仕事と家事を済ませ、余暇の殆どを費やしてもなお足りない勉強時間。通勤途中で15分間の集中できる時間を確保する。往復30分。この集中した30分はとても貴重なものとなり、レポートの構成を思いつくのも大概この往復の電車の中だった。

 私は大学院へ進学する前から修士論文のテーマは決まっていた。なんとしても書きたかった。もちろん、書き上げるだけの力量は備わっていない。でも、まとめたかった。入学するまでの約3年間に集めた資料は、とても私の手に負えるものではないようにさえ感じ始めていた。誰か専門家に資料を提供して、立派なものを書いてもらえたら、そんなことまで考えたこともあった。でもある時「貴女がまとめなくては」と言ってくれた人がいた。書き終えた今、つくづくこの言葉の重みを感じる。

 すでに資料集めのその時から、私なりの視点というものがあったことに気がついたのだ。資料集めは、それこそネットサーフィンのような作業だから、検索のためのキーワードを入力するのは私なのだ。集められた情報だけ見せられても、そのキーワードがわからなければ、他人からみれば煩雑な資料でさえあるかもしれない。また、興味や好奇心を優先させただけの資料集めでは、定まった視点を持つことは難しい。「論文」にしなければならないのだから。

 修了を前にした今、論文を提出できた達成感よりも何よりも、感謝の気持ちであふれている。資料を提供してくれた方々、研究成果が形になるのを楽しみにしてくれている方々、なによりも指導してくださった先生方、そして励ましあい喜びを分かち合った仲間達、あたたかく見守ってくれた家族。これだけの人々に支えられて過ごしてきた。まとめたものは拙いものだが、大声で言いたい。「おかげさまで、ここまでまとめることができました」と。

 そして今、あらためて今後も研究を続けていく決心をしている。

 文化情報専攻。私が2年間の大学院生活で在籍した専攻。文化は人々の心を育む。豊かな心を持った人々が活躍する社会は、一層、豊かな文化を生む。文化は社会の潤滑油でもある。その一滴(ひとしずく)を作り出す。そう、これが、これからの私の目標なのだ。

 芦ノ湖から帰って一週間。書棚に収まりきらない本を整理し始めて思う。私の中の好奇心が「机」だった。今、その引き出しの一つを整理し終えたのだ。その引き出しからあふれてしまったもの、入りきらなかったもの、まだ開けていない引き出しもある。

 これから時間をかけて整理していこう。こればかりは、誰にも手伝ってもらうことができないのだから。