なかなか書き出せなかった修士論文


                                                      

                              文化情報専攻3期生     菊地善太

                   1.はじめに

 大学院の修士課程では、学生は皆、修士論文を書くために日夜頑張っているに違いない。そう思っておられる方は大勢いらっしゃると思います。日本大学大学院総合社会情報研究科の修士課程では三専攻とも修士論文の作成・提出はその修了要件の一つになっていて、たしかに入学前に受験願書を出した時からずっと、私たちの頭の中には修士論文作成という課題があり、それに関わる努力をしてきています。

 しかしながら、大学院という所には色々な目的を持った人が集まります。研究者を目指す人もいれば、単に教養を高めたいと言う人もいます。資格や学位の取得が目的の人もいれば、それは二の次と言う人もいます。修士論文の作成にしても、その重みは一人ひとり異なり、色々な取り組み方がなされていることでしょう。

 ここでは私の修士論文への取り組みについて、少し書いてみたいと思います。読者諸氏のご参考になれば幸いです。

2.いつ、書くか

 さて、私にとって修士課程は、楽しく勉学をして何らかの社会貢献ができるように自分を高めることが目的であり、学位の取得は主たる目的ではありません。したがって修士論文も、是が非でも作成すべきものとは考えておりませんでした。しかしながら修士論文の作成は、研究成果を他人に伝える手法を修得することとして意味があり、修士課程でチャレンジしたい一課題として、最後は真剣に取り組みました。

 この二年間を振り返って、自分は修士論文作成を入学当初からコツコツと頑張ってきたわけではありません。この二年間興味を持ち続けて研究してきたことを、最後に論文形式にまとめて修士論文として提出しました。私の場合は、テーマに沿った勉学は入学以来ずっと続けておりましたが、実際にパソコンに向かって論文を書いたのは、恥ずかしながら本当に最後の二ヶ月ほどであり、構想から書き上げまで、慌てて一気に仕上げました。

 これは、自分が怠け者だったという面もありますが、ギリギリまで構想が立てられず書き出せなかったのは、研究対象である能について、基本的なことを理解するのにも多大な時間がかかったという理由があります。当たり前ですが、修士論文は、単に自分が知らないだけで研究者の間では常識になっているようなことを、さも自分が発見したように書くことはできません。対象について学び、先行研究について調べ、考える時間がどうしても必要なのです。私は能とシェイクスピア作品について論じる修士論文に取り組みましたが、特に能については全くの素人であり、せめて観能を重ね、謡や舞の初歩を習い、世阿弥の伝書を読もうとすると、それだけでも二年間はあっと言う間に過ぎてしまいました。

 なかなか書きづらいテーマであり、途中でもっとコツコツと書けるテーマに変更しようかと悩んだこともありましたが、結局は今のテーマを押し通しました。なんとか論文の提出まで持っていけたので、悔いはありません。研究テーマについてある程度の基礎があり、初めからコツコツと書き進められる方は大勢いることでしょう。でも、そうはいかないテーマもあるということを、この二年間の試行錯誤で実感しました。

3.何を書くか

 私の修士論文のタイトルは、「シェイクスピア能」研究(A Study of Shakespearean Noh Plays)です。ここでシェイクスピア能とは、シェイクスピアの作品を能の様式で表現した謡曲であり、私の指導教授の上田邦義先生が、1970年代から80年代にかけて、世界で初めてシェイクスピアの英詩原文を用いた能の翻案を試み、実際に上演し、シェイクスピア英語能という全く新しい創作能の世界を切り拓いたものです。以来、現在にいたるまで、上田先生はシェイクスピア英語能を上演され続けています。

 この研究テーマについては、私は上田先生に師事しており、先生の著作を入手し、実際にこの目で先生のシェイクスピア能舞を観能する機会に何度も恵まれましたが、先行研究は殆ど上田先生の手によるもの以外にありません。
凡そ自分の書いた論文が意味を為すとすれば、それはその論文に他人では書けない何かが含まれている場合ですが、今回の修士論文の場合、もとより師の業績紹介では意味を為さず、自分なりの視点を持って師の業績を論じる必要がありました。私がこのテーマで修士論文を書くということは、まさに「釈迦に説法」、身のほども顧みずに恩師にもの申すことを意味します。

 それでは何を書いたか。シェイクスピア能について書くのはもちろんですが、今回は、欧米諸国の能楽受容の歴史を踏まえ、シェイクピア能が果たせる社会・文化への貢献、そこに焦点をあてて基本文献を読み直し、修士論文にまとめていきました。

 それは、沢山本を読み進めていく中で、能楽が海外、とりわけ欧米の人々に驚きと感動をもって受容されていった史実が、私には特に印象に残り、とても面白いと思ったからです。シェイクスピア能が今後世界に受け入れられていくとすれば、特に西欧文化にとって新しい能楽受容のかたちであり、それはこれまでの能楽受容の延長上にあるはずだと考えられることに気づいたからです。かくして私は修士論文を書き始めました。

 私の修士論文は、結果として、明治以降、欧米文化が能を受容してきたことを論じ、シェイクスピア能の特長を論じ、能が世界無形遺産たる世界の能として普及していくために、今後シェイクスピア能が貢献していく可能性について論じるものになりました。

 まだまだ研究としては、最初の一歩を踏み出そうとして少し足を持ち上げた程度のものに過ぎませんが、たとえ拙い内容でも、曲がりなりにも論文を一本書けたということは、私にとっては大きな自信となり、喜びとなりました。
今後も研究を続けていきたいと思います。

4.最後に

 最終的に修士論文を書くのは学生一人ひとりですが、修士論文の作成にあたって、指導教授のご指導や、同期の仲間からの励ましの声は、これは本当にありがたいものでした。どれだけ助けられ、励まされたかしれません。修士論文作成を通して、自分がいかに多くの人に支えられていたかに気づきました。今年度、私が修士論文を提出できたのは、ひとえに励ましてくださった皆様のお陰です。

 この紙面を借りて、改めてお礼申し上げます。皆様、どうもありがとうございました。