修士論文作成の日々を振り返って

         
                                                      

                               国際情報専攻3期生  花岡宏伸

                 

 
 平成13年2月24日(土)の朝10時頃、入試会場に入った時の張り詰めた雰囲気と緊張が今でも思い出される。早いものであれから2年が経過した。そして平成15年3月25日には大学院生活も終わりを迎えようとしている。

 入学したころ、論文作成について先生、同僚から次の様な話を聞かされた。@資料集めが大切、1年目に資料、情報をしっかりと収集すること。A1年目に教科選択を極力多くし、2年目は修論に集中すること。B1年目に研究テーマと研究計画書を具体化し、ストーリーを明確にすること、等々である。

 私は、前年の秋に長年勤めた機械メーカを定年退職、新しい仕事をスタートさせたばかりで、時間に余裕があった。そこでAについては、推奨を忠実に守り5教科を選択した。夏から秋にかけて、少し仕事が入り忙しくなったが、それでも全単位を取得できた。

 @については、業界誌を友人等から借用し約2年分から必要なところを集めた。書籍は、府及び周辺の市の図書館で捜した。終戦後に発行された経済白書、技術白書などは、紙質と表装が悪く、変色して頁がバラバラに外れているものから引用したが、当時の経済情勢が実感できるものであった。先生の紹介で東京の日科技連の図書館では貴重な資料を入手できたし、政府刊行物専門の書店、日本規格協会の本部、大阪支部にも通い最新の刊行物を手に入れた。また、先生からは情報の入手先と貴重な文献の紹介を戴いた。
 
 Bについては、月1〜2回開催されたゼミに合わせて少しずつ充実させるように心掛けた。ゼミの同僚の進み具合は励みとなり、また互いに議論しアイデアを出し合う場でもあったことから、内容が自然に豊富となり深みが増していったように思う。その意味で、平均年齢は少し高いが、ゼミではすばらしい同僚に恵まれたと思っている。

 論文のアイデアを出すため散歩、仕事で移動中にアイデアが浮かんだら徹底してメモをした。新幹線の中でメモしたイメージ図はそのまま論文に採用した。また、枕もとにメモと鉛筆を置き、寝る数分前に出るアルファー波を利用したが、これが大いに役立った。今でもあちこちにメモ書きが残っているが、そのほとんどは論文のどこかに使われている。

 私の場合、今から思えば1年目の教科選択、資料と情報集めに力を注ぎ込んだことが効を奏したのである。2年目も1年目と同様あまり忙しくないと予想していたのが見事に外れ、2年目に入ると一変して、急に忙しくなった。そして研究や論文を書く時間が無くなり、9月頃まで全く進まなかった。そこで10、11、12月の3ヶ月間、仕事をなくして論文に集中しようとしたが、結局11、12月の2ヶ月間となり、それでも足らず、正月もアルコール抜きで2〜3時まで頑張った。先生の言われた「ゼミ生全員が上位を独占する」が最後まで気になった。また、これが大きな励みになったことも確かである。ともかく締切の前日の夕方まで掛かりやっと宅配便で送付することができたが、その間全く余裕がなく、私事を構わずに仕上げたというのが実状である。

 修士論文を終えて思うことは、苦労をしたが終えてみると、実に貴重な良い体験をした、やれば出来るとの実感であり、晴れ晴れとした心地良い気分である。今後、大学院で学んだこと、研究したことを、バブル崩壊後の激動の日本社会、企業の役に立てたいとの、新たな希望と勇気が湧いてきたというのが現在の心境である