作業の山場を乗り切るには健康がカギ   


                                                      

                              国際情報専攻3期生   内山幹子

                 
論文テーマ:国際連合世界食糧計画(WFP)日本事務所5年間の活動実績の検討と提言
   〜 グローバル社会における市民・自治体・国際機関の連携 〜

目次:  はじめに
     作業日程
     論文テーマの具体化、やっと1年後の桜の季節に
     暑い夏に資料の打ち込み
     秋の中間発表会後、論文構成を修正
     作業の山場は仕事の山場
     やり残した課題はこれからの課題

○ はじめに

 2月15日、論文正本受領を伝える大学院事務課からのメールを確認し、ほっと一息です。と同時に、これまでの2年間を振り返る余裕がやっと出てきました。これから論文をお書きになる方々の何かの参考になればと、2年間をまとめてみました。

 論文テーマをもっと具体的に絞るべきと、入学直後に近藤教授から助言いただき、行政及び市民活動関連の本を読みあさって終わったのが1年目です。このテーマでいけそうとの目途がたったのは、2002年3月。論文を仕上げるまで、ゼミや中間発表会でいただいた助言を受け止め、考え、論文に生かしていくという作業の連続でした。ご指導いただきました近藤教授はじめ、乾教授、真邉教授その他の先生方と近藤ゼミの皆様に、お礼申し上げます。

 論文作業山場の2002年11月以降は、不運にも、仕事の山場とも重なり、時間のやりくりに苦労しました。幸い、健康に恵まれ、2002年春に患った腱鞘炎も再発せずに、無事作業を終えることができました。時間の制約上、自治体とNGOとの具体的な協力関係については、十分触れることができませんでした。これは、引き続き考えていきたい課題です。将来、いつかまとめてみたいと思っています。

○ 作業日程

2001年4月〜 
 論文テーマ具体化のため、自分の問題意識にあった、行政、市民活動関連の本、雑誌を乱読

2001年秋〜
 行政と市民とのパートナーシップをテーマ案に考えるが、踏み切れず

2002年3月  
 国連世界食糧計画(WFP)日本事務所の活動をテーマにしようと決意。それから、飢餓・食糧関連の資料を集め始める

2002年4〜8月
 集めた資料、書籍から引用個所をパソコンに入力

2002年9月29日(中間発表会)
 真邉教授、近藤教授など参加者から助言をいただく

2002年10〜11月
 いただいた助言をもとに論文の焦点を自治体の国際交流・協力(民際外交)に置くことに決め、民際外交関連の資料を収集

2002年12月
 論文の構成を修正し、「民際外交のはじまり」を第1章に。同月14日の最終ゼミ以降、論文の体裁にする作業へ。論文作業の間に、経済開発論の後期レポートを作成。

2003年1月  
 年末に近藤教授からいただいた助言をもとに修正。年末年始の休日9日間のうち6日間作業。そのうち4晩は徹夜となる。校正作業(誤字脱字の有無や入力データのチェック)に予想以上に時間がかかることが判明。同月9日に副本を発送。20日までに英語表現法の後期レポートを仕上げ、その後、要旨英訳と論文の最終確認。

2003年2月
 面接の2日の前日に、修正後の論文を印字。面接後、最終章を見直し、正本を12日に発送。  

○ 論文テーマの具体化、やっと1年後の桜の季節に

 大学院入学試験時の私の研究テーマは「情報化社会における、地球的規模の問題の解決に向けた自治体の役割」。入学後、テーマをもっと具体化すべき、1年目の始めは乱読の時期との助言を近藤教授からいただく。2001年5月から横浜市中央図書館に1〜2週間に1回は通うことになる。行政関連のコーナーに立ち、情報政策関連、市民活動関連の本を読みあさる。自治体の情報政策関連では、多くの自治体では、経済活性化のために情報関連企業を誘致したいとしている事情がわかり、自分の問題意識に合わないため、この分野はテーマ案からはずす。2001年夏から秋にかけては、行政と市民のパートナーシップに関する本に目を通す。資料を追っているうちに、横浜市ではこの分野でモデル事業を実施しており、実績があることがわかる。と同時に、この分野を扱い、論文に独自性を出すことは困難であろうと悩む。論文テーマに悩みながら、11月以降後期レポートにとりかかる。時間的に苦戦しながら、2002年1月に仕上げる。その間、環境社会学のレポート作業中に、自分が仕事で担当している、国連世界食糧計画(WFP)日本事務所への横浜市の支援は論文テーマになり得るとひらめく。後期レポート提出後の2月から、その関連で、飢餓や食糧問題に関する資料を集め始める。

 ということで、何とか2002年3月には論文テーマと主な参考文献を挙げることができました。しかし、論文を書かずに大学を卒業した私にとっては、修士論文が初めての論文であり、論文を仕上げることができるのかと不安でした。3月25日、二期生の方々の修了祝賀会にお手伝いに行きました。2002年は例年になく桜の開花が早く、当日は桜の美しい日でしたが、自分の論文の行方を思うと不安で一杯だったのを覚えています。

○ 暑い夏に資料の打ち込み

 集めた資料、参考文献に印をつけ、引用したい個所をパソコンに入力し始めたのが、5月の連休から。この作業にかかる時間は1か月くらいと予想していましたが、見事に外れて、結局8月半ばまでかかりました。入力しながら、あれこれと悩みますし、7月に入ると、暑さのせいで能率が低下します。8月のゼミで提出できたのは、資料・データを入力しただけのものでした。しかし、この時点で、30ページを超えていたので、何とか論文になるかもしれないと、不安感は多少減少していました。

○ 秋の中間発表会後、論文構成を修正

 他の専攻の方々も一緒に参加した、中間発表会が9月29日に開催されました。この段階で、構成上、WFP日本事務所への横浜市の支援、飢餓の問題、市民活動の活性化が、うまくつながらずに悩んでいました。発表会後、真邉教授から、焦点を自治体側に置くのか、飢餓・食糧の問題に置くのかはっきりさせた方が良いとの助言をいただきました。また、近藤教授からは、民際外交に関する本はもっとあるはずとの助言を。全体の構成について考えた結果、飢餓・食糧問題への言及を最小限に留め、自治体の国際交流・協力(民際外交)に焦点を当てることにしました。飢餓・食糧問題に関しては、資料をパソコンに打ち込んだ後だったので、私としては、残念でしたが、全体の構成を考えての、やむを得ない判断でした。その結果、論文の構成は、次のとおりに。結局、最終的にこれでいきました。

第1章 民際外交のはじまり
第2章 国際連合世界食糧計画(WFP)日本事務所の横浜市への誘致
第3章 市民活動の活性化
第4章 自治体の国際政策

○ 作業の山場は仕事の山場

 中間発表会の後、10月には横浜市中央図書館にある民際外交関連の本に目を通す。11月には引用したい個所をパソコンに入力。12月には、不要部分を削除し、結論部分を書いてみる。12月14日のゼミには、構成を修正したものを提出。この時点では、まだ引用資料の注は、章末ではなく、文中に入っていました。そのため、近藤教授より注のつけ方を指導いただきました。

 論文作業山場の11月以降は、週末には自宅近くのジムに行く以外は、自宅でパソコンと格闘。11月に入って、仕事の面でも山場を迎え、週末勤務も何日か。平日の夜も論文作業のためにはあてにできませんでした。唯一幸運だったのは、風邪などもひかずに、健康上の問題で作業が遅れることはなかったことです。

○ やり残した課題はこれからの課題

 民際外交のはじまりから始まる論文の結論部分では、開発途上国への効果的な支援のために、自治体は途上国現地の状況を把握すべきであり、そのためにNGOなどの関連団体と情報交換・政策交流する必要があると述べました。しかし、それ以上の、より具体的な提言はできませんでした。途上国やNGOに関する調査が不十分だったためです。私自身、1980年半ばにフィリピンに半年滞在する機会があり、途上国の現場やNGOの活動については多少、知っているつもりです。しかし、80年代から現在にかけて、途上国やNGOの状況は変わり、その状況を把握することは時間の制約上できませんでした。これから、途上国やNGOなどについて調べていき、将来、機会があれば、まとめてみたいと思います。