「東武練馬まるとし物語」

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   国際情報専攻3期生 若山 太郎                                                

                 
 研究科に入学してからの2年間は、今まで生きてきた中で、最も充実した日々だった。限られた自分だけに使える時間は、寝る間も惜しんで研究のために使った。調べたいことや書きたいことがたくさんある中で、また内容も良くしようと、とにかく書き上げるまでには葛藤、苦闘の連続だった。でもそれは、僕だけが特別ではなく、先輩方も、この春修了する仲間も、同様であろう。

 修士論文の正本をようやく完成させ、郵便局での手続きが済んだ2月、その足で、今まで負担をかけ続けた、おやじさんやおかみさんを含め、家族全員で、鬼怒川温泉への一泊旅行をした。僕自身を含め、全員の体は、疲れ果てていたが、ゆっくりと温泉に浸かり、自分の時間を取り戻したことで、久々に皆で心から笑い合えたような気がする。

 僕がパソコンの前に座ると、いつの間にか、長女も自分の机に座って勉強を始めるのが、習慣のようになっている。次女は今年4月小学校に、三女は幼稚園にそれぞれ入るが、僕の今までの姿を見ていれば、伝わるものがあったと思う。僕は元来無口で、自分の気持ちを直接人に伝えるのは、得意ではない。特に、子供たちには、自分の強さも弱さも、ありのまま見てもらうことで、それぞれがもって生まれた心を大事にしてほしい。

 妻は、子供たちに対して、テレビを見るのも、ゲームで遊ぶのにも、毎日家の手伝い(玄関で靴を揃えること・食器のふき当番やしまう当番・お風呂の掃除やお湯はりなど)の役割を果たすことを条件としている。皆、お母さんのことが大好きなので、素直に言うことを聞いている。僕はというと、1日1回は、物言わず、そんな子供たちの頭をなでることにしている。

 おやじさんやおかみさん、そして妻や義妹は、とにかくよくしゃべる。僕が妻と付き合い出した時、こんな家庭もあるのかと不思議に思ったものだ。僕は自分の両親とは、あまり会話をしないで育ったけれど商売をしていると、家族の団欒が、少なくなるから尚更そうなるのかもしれないと感じた。学校の休みの日は、店にとって稼ぎ時である。商人にとって、子供たちと一緒にいること、食事を共にすることも限られ、コミュニケーションを取ることは貴重になる。

 今では僕もおやじさんと同じ立場となったので、商人の厳しさ、辛さ、うれしさ、楽しさは、否応なく体で覚えた。逆に、商人であるからこそ、自分の働いている姿を子供たちに見せられるのは強みでもある。店はたった一人ではできない、皆で助け合わないと、営業はできない。だからこそ、家族の絆は、自ずと強まっていくのであろう
 調理師は、作った料理の味こそ鏡であり、お客様にとって最も大きな魅力である。お金をいただいて、商売をし続けることは、店の雰囲気や心のこもったサービスがその基本にある。僕の店のように、規模が小さいほど、その気持ちは伝わり易いし、ごまかしもきかない。

 僕の論文の中では、「売上より利益、利益の源泉は顧客、その前提として、消費者心理への細やかなアプローチ、そして今ある需要だけに目を向けず、市場なり需要を新しく自ら創造する、経営者には、その意志が必要である」と書いた。僕の日頃の問題意識を、小売業に当てはめてみても、共通するのではないか。
 僕がこの物語を連載という形で書き出した動機は、今から1年前、後期のリポートの提出が終わった後、店にゼミ生と共にわざわざ来店していただいた近藤大博先生の勧めがあったことからだった。

 近藤先生の必修科目のリポートで、文章を書くことを覚えようと、草稿を何度も書き直し、その都度ばっさりと添削され、意地になり調べ直し提出したリポートは、僕の宝物である。結果として、この物語は、ありのままの姿であるだけに、店のことを書けば書くほど、それがプレッシャーとなり、仕事や研究に力が入ることになった。

 僕が直接、店において、常連の一部の方以外には、実際、研究科で学んでいることを進んで話をしてはいない。それは、仕事を片手間に仕事をやっていると誤解されたくないためである。仕事をしながら、通信教育で学究を続けていることは、もう13年を超えるが、僕の生活の一部となっている。

 小売業を研究するのは、店のためでもある。おやじさんや妻に理解してもらうのに、どれほどの言葉を費やした事か。単純に、同じ接客業としての大事な精神的な部分、仕入れ先からの商品の流れを歴史的かつ国際的につかむことは、分り易い。もっと深く言えば、長引く日本の不況の原因をとらえ、将来的な世の中の流れへの不安に対してどうあるべきか、店の方向性や、今やるべきことで何が最適なのか、そういった模索の積み重ねが、この2年間だった。

 この物語を書き出してからというもの、僕の周りでは、いろいろなことが起こった。その1つは、昨年の11月、義妹が、無事結婚式を終えたことである。

 新婦側の親族代表のカメラマンとして、写真を撮っていた僕は、披露宴での来賓の方々の話を、落ち着いて聞くことはできなかった。けれども、いつも身近にいた義妹の晴れ姿は、今でも忘れられない。おやじさんやおかみさんが、感極まって泣いてしまうそんな一生に残る名シーンをカメラ越しに期待していたが、おやじさんは、気丈にかつ冷静に主役の2人を最後まで見守っていた。

 「まるとし」は、めったに店を休まない。しかし、このお祝い事のため、日曜日に休業することとなった。前もって休業予定の張り紙を張っておいたが、後日、心配して見に来て下さったことをお客様から聞いた。実は僕はその前日、深夜までかかって、1人で仕込みをし、できれば結婚式を終えたその足で、店を開けられるように準備もしていたが、式が終わってからすぐ帰るわけにもいかず、実現はしなかった。
 その後、義妹から、妻へ連絡が入り、どうも妊娠したようだと聞き本当に驚いた。最も、本人が一番驚いたようだった。最近になってつわりも落ち着き、安定期にも入ってようやく、新しい生活のリズムもとれたようだ。予定日は、7月。彼女には、一歩踏み出す勇気を改めて、思い出させてもらった。結婚に対して臆病にならず、決断したすぐその先には、赤ちゃんが待っていた、まさにそんな感じであろう。

 少子高齢化、将来に対する不安や、子供を育てるには、何をするにしてもお金がかかる。何時までも親と同居し、気楽な独身人生もいいだろう。でも、将来については、難しいことを持ち出して、それを論じ合うより、人を好きになって、共に歩む道を選んだ方が、僕は幸せになれるように思う。幸せは、自分の心が決める。店のお客様も、カップルで来られて、いつの間にか結婚し、子供を連れて来られる方もいらっしゃる。
        
 義妹はというと、妻とメールで頻繁にやりとりして、新婚生活のその時々の疑問や不安、料理に対するアドバイスなど、連絡を取り励まし合っている。僕にも心強い兄がいるが、兄弟もいいけど、姉妹っていいなぁ。子供たちも、姉妹3人仲良く、時には喧嘩をしつつ、おばあちゃんになるまで助け合っていってもらいたい、それが僕たち夫婦からの心からの希望である。

 この物語を書き出してからというもの、店には、研究科に関わる先生、研究仲間の方々が、食事に来ていただいた。先日も、ゼミは違う同期の友人が、面接試問の前日、「面接に勝つために、かつを食べよう!」と来てくれた。僕の面接試問は、その翌週であったのだが、何だか逆に元気づけられた。後に、「上手く試験を終えたのは、前日にカツを食べたおかげかな?」などと、メールをもらえたのは言うまでもない。

 そういえば、研究科のIT社会創造研究会の設立総会も「まるとし」で行なわれたこともある。専攻は違うが、店で初めてお会いする先生方、ゼミは違うが、気さくにお付き合いさせていただいている先生や先輩、同期の方々の中には、1度ならず2度、3度と、店でお会いする方もいて、心の温かさ、やさしさにふれた。

 昨年末、その中でもひときわお世話になっている五十嵐雅郎先生から、店に直接電話をいただいた。何でも、「リクルート社発行の雑誌の取材を受けてみてはどうか?勉強になるから」とのこと。日頃からいろいろな資料を提供していただき、とても面倒見のよい五十嵐先生からのお話ということである、2つ返事でお受けした。

 その取材は所沢の事務課で行なわれた。リクルート社「仕事の教室」2003年2月号、VOL83、実際の研究科の記事には、五十嵐先生からのメッセージと並んで、僕の先輩としてのメッセージ、「昔の通信教育とは別物!先生直接の指導も充実しています」などと紹介された。この記事を読まれ今年入学される方が、多くいらっしゃることを、陰ながら願っている。

 ここで、僕の所属しているゼミのことを少々だがお話したい。この2年、指導して下さった小松憲治先生は、一言でいえば、心技体すべて兼ね備えた、本物の経済学者である。心から尊敬申し上げている。小松先生には、その豊富な経験や知識から、僕の未熟な部分を大いに補強していただいた。

 ゼミの仲間は個性派揃い。「K-LOVE3」と名づけられたゼミの愛称もあるが、名幹事の唐牛さんや、苦手だった図表の作成を懇切丁寧に、ゼミの度に教えてくれた井澤さんには特にお世話になった。年齢、性別、仕事など、千差万別ではあるが、今ではかけがえのない親友たちである。

 店の話に戻るが、変革について今回も取り上げたい。新しいメニューとして、チキンハンバーグ・みそかつ・ポテトコロッケ、を加えた。

 みそかつは、今から1年半前に、本場名古屋にまで足を運び、これでもかと、有名な店をはしごして食べ歩いてみた。実際に「まるとし」で商品化するまで、時間がかかった。名古屋そのままの味であると、甘すぎるように思う。八丁味噌はしっかり入れて、甘さを控えつつ、妻の祖母の思い出である五平もちのたれもヒントにして工夫してみた。

 ポテトコロッケは、日頃からはっきりと物を言って下さる常連のお客様から、「クリームコロッケなど乳製品は苦手だから」とお聞きし始めることとなった。試作品をそのお客様のご自宅にお持ちしたら、「美味しい」と喜んでいただき、返していただいた皿には、お礼に干ししいたけをいただいた。

 こうしたお客様とのやりとりは、日々いろいろな場面で行なわれる。よく店で物をいただくのは、お土産や、店に飾れる花などである。店では、僕にしろ、おやじさん、おかみさん、お姉さん、それぞれ別々にファンがいる。僕には、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と、会った時にいつもうれしそうな、保育園児のまーくんを筆頭に、若い世代が中心、おやじさんたちは、年齢の高い世代が中心にファンがいる。「まるとし」は、その皆にとって、心のやりとりの大事な場でもある。

 料理の他にも、日本酒は、辛口のみであったが、甘口も置き、2種類のお酒を選べるようにした。また、サワーも、レモンやウーロンの他に、製造元に直接連絡をしたことで、グレープフルーツや青りんご、うめなど、他の味を仕入れ、現在、ためしに置いている。

 まだ実際機能させてはいないのだが、出前用の電話は、フリーダイヤルにして、お客様に電話代の負担をさせないように新しい電話番号も取った。また、配達は一人前からでも喜んですることにもした。一人暮らしのおばあちゃんのお宅には、普段は一人前だけをお持ちすることがあっても、孫たちが遊びに来た時など、まとまった注文を下さることもあるからだ。
 この2年間、入学前の店の売上低下傾向を、仕入先から、店の運営、提供するメニュー、あらゆることをきめ細かくすることで、研究で積み上げた知識を実践し、店の変革を進めることで、反転させることができた。このことは、研究以上に、胸を張れることである。

 現代において、企業の方向性は、いかに、消費者心理に近づいて、仮説を立て、魅力ある商品を提供する、そのことに目を向けない企業は、生き残れないであろう。ただ、逆に顧客にとって魅力ある企業は、いつの時代であれ、その社会変動に左右されず、生き残れるともいえる。僕は、日々経営に関するあらゆる場面で、現状に安住せず、変革を継続して実践していきたいと考えている。
 以前の通信教育は、郵送でやりとりするもので、なかなか成果が上がらなかった経験がある。今研究科では、指導教授とのメールのやりとりはもちろん、スクーリング、個別指導、通常のゼミ、サイバーゼミなど様々な形で、奥行き深く、幅広く学べたことは、何にも変えがたいものであった。

 仕事と研究を同時に行なうことは、言葉に表せない困難さがある。しかし、学んだこと以上に、多くの方々との出会いや多くの書物による新しい知識は、僕にとって、何ものにも変えがたい、将来に続く大きな財産となった。

 たとえ「まるとし」が、これからどんなに困難な状況を迎えようと、僕は、その時々、今を生きる。人任せにしない。変革は、先送りしない。自ら率先して、新しいことにチャレンジし続けていく。そんな気持ちや心を持ち続けたいと考えている。

 さて、この「東武練馬まるとし物語」の連載も、僕が、研究科を無事修了することもあり、この辺で、気持ちの上で一区切りつけたいと思う。長いようで短かった。文章を書くことには、毎回かなりのプレッシャーを感じたが、何とかここまでやり遂げられたのは、読者の皆さんの声に励まされたからである。

 「まるとし」は今日も元気に営業している。研究科で学んだことで、さらにパワーアップされ自信もついた。店を変革しようとする意気込みは、自分でもどう展開していくのか、そのゆくえが楽しみである。読者の皆様のご多幸を心からお祈りしつつ、現役生として、僕の心のバトンを後輩の方々に渡したいと思います。

以下、次号 

          (撮影・宮嶋貞雄氏 および 若山理香氏)