北京便り

              
                                 国際情報専攻4期生  諏訪 一幸 

         

        


1月中旬、四川省の農村に4日間調査出張しました。今回はその時の様子や感想をお話ししたいと思います。

 調査目的は、村民委員会選挙の実態把握にありました。中国農村の行政組織は、多少単純化して述べれば、日本の市や郡に該当する「県」と、町や村に相当する「鎮(或いは郷)」から構成されています。今回の便りで話題になる「村」(規模的には数十軒から数百軒程度)は鎮の下の「自治組織」とされ、その指導部が「村民委員会」なのです。そして、村民委員会を構成する数名の世話役は「村民選挙によって選出される」旨、憲法は規定しているのです。01年冬から02年春にかけて、中国のほぼ全土で、村民委員会選挙が実施されました。

 私は、村民委員会選挙をめぐる現在の最大の焦点は「14号文件」の実施状況如何にあると考えています。この「14号文件」とは、昨年7月に出された党と政府の連名による通知のことで、村の共産党支部書記が村民委員会主任を兼任する(これを中国語で「一肩挑」と言います)よう求めた内容となっています。「村民委員会は党組織ではない。あくまでも、農村住民の自治組織のはず。書記が主任を兼任するよう求めるのは、自治の原則と、改革開放期の大きな流れである党政分離の方針に背くのではないか」。このような疑問に自分なりの回答を出すべく、農家の方々からヒアリング調査を行いました。

 以下、まずヒアリング回答の要点を、そのあとで若干の感想を記したいと思います。

<ヒアリング回答>

1.A村(村民A氏からのヒアリング)

 村としては2回目の村民委員会選挙が01年に行われ、我が家は一家総出で投票に行きました。自分が支持した候補者が主任に当選しました。出稼ぎに出ていった人も殆ど帰ってきましたが、帰れなかった人の多くは家族が代理投票しました。選挙では5人(うち女性1名)が選出されましたが、彼らは全て非党員でした。

 選挙は厳密な意味での「海選」(自由な立候補による競争選挙)ではありませんでした。前期村民委員会が第一次候補者をあげ、このリストに基づいて、村民代表や村民小組が会議を開いた結果、正式候補者が決まったのです。勿論、自ら立候補することも可能で、実際、そういう人間はいましたが、彼(彼女)は落選しました。前期村民委員会があげたリストには同期の村民委員会メンバーも含まれていましたが、協議の過程或いは選挙の結果、全員が落選しました。つまり、再選者はいなかったのです。

 不幸なことに、村民委員会主任が02年12月に病死しました。30代の若さでした。そこで、鎮の決定に従い、今は村党支部書記が主任を暫定的に兼任しています。次回選挙は今年12月に行われるはずですが、前倒しになるかも知れません。

 村民委員会会議が開催されるのは週一回程度です。

2.B村(村党支部書記、村民委員会主任等からのヒアリング)

 01年12月1日に第3回村民委員会選挙が行われました。海選、差額(主任は2名から1名を、委員は6名から4名をそれぞれ選出)、無記名の秘密投票でした。

 投票に先だって、10〜15戸から1名の割合で、従って、計20数名の村民代表を我々は選出しました。そして、選挙民から全権を委任された各村民代表は、全村を対象に候補者(複数可)をピックアップしました。自薦も可能です。その結果、最終的には数十名の候補者リストができました。次に、全村民代表の投票によって、数十名の候補者の中から、主任候補者2名とメンバー候補者6名が選出され、12月1日の正式投票日を迎えたわけです。全村民有権者を対象とした委員会選挙の投票率は90%でした。委員会を構成する5名中、会計担当者だけが非党員です。

 選挙では、3名からなる選挙管理委員会が監督にあたりました。書記、村民小組長によって推薦された2名がそのメンバーです。組長は当然、書記が務めました。

 「両委」(党支部と村民委員会)の関係は良好です。現在の書記は、村民委員会選挙の約1ヶ月前、村民も参与した選挙によって選出されました。選挙では、まず、39名の党員と20数名の村民代表(村民代表の中には少なからぬ党員がいるため、両者を合計すると計40数名)によって、第一次書記候補者3名が選出され、次に、39名の党員が無記名投票によって、正式候補者を2名に絞りました。そして、この2名につき、39名の党員が再度投票を行ったのです。2名とは、当選した現在の書記と、落選したもののその後村民委員会主任になった人物です。村では村民委員会メンバー5名と支部書記を併せた計6名で輪番制をとっています。当番の人間は毎日(9〜12時、15〜18時)、村民委員会事務所に詰め、村民の苦情処理等にあたっています。書記が村民委員会主任を兼任するという方針はなく、「14号文件」の存在も知りません。

3.C村(村民委員会主任)

 現在の村民委員会は01年12月に選出されました。6人のメンバー中、5名が党員です。

 選挙は海選、差額のスタイルで行われました。村では88年以来、一家から一人(大体が家長)、従って、全村では200名余りの村民代表を選出していますが、選挙では、まず、この村民代表が全村を対象に主任候補者1名と委員候補者(複数可)を推薦しました。但し、第一次候補者となれるのは、10人以上の村民代表から推薦があった者だけです。勿論、自ら候補者に名乗りを上げることもできますが、やはり、村民代表10名の推薦を得なければなりません。その結果、主任候補者として3名、メンバー候補者として7名がノミネートされました。これを受け、全村民代表の協議を通じ、主任候補者が2名、メンバー候補者が6名に絞られました。絞り込みの基準は、村の経済発展実現のために指導力を発揮することができるか否かです。最終選挙での投票率は90%を上回り、圧倒的多数をもって、現主任が選出されました。落選者も党員です。

 村民委員会メンバーには鎮政府から手当が出ています。主任が最も多く、月300元です。党支部書記にも、鎮政府から300元余りの手当が出ています。
両委関係は良好です。関係が悪いと、村全体を豊かにすることはできません。書記は党員選挙によって選出されたもので、非党員は参与しませんでした。現書記はかつて村民委員会主任を務めていた人物で、98年の選挙によって書記に選出され、現在第二期目を務めています。

 書記が村民委員会主任を兼任するという構想はありません。両委はあくまでも別の組織です。鎮内13村のうち、書記が主任を兼任しているケースは1件だけです。尤も、これは村民委員会主任が病気のために務まらなくなったという特殊ケースで、鎮政府の指示に基づき、次期村民委員会選挙までということで、支部書記が一時的に兼任しているものです。

<感想>

 今回の調査で得た第一の収穫は、「北京にいるだけでは中国は分からない」という単純な道理を改めて確認できたことです。以下、2つの例でこれを説明したいと思います。

 私は当初、「14号文件」は村の隅々まで徹底的に宣伝されているのだろうと思っていたのですが、上述の通り、その存在すら、誰も知りませんでした。つまり、本件に関する限り、党の政策は農村末端まで届いていなかったのです。しかし、これをもって共産党弱体化の結論を引き出すことはできないでしょう。確かに、「一肩挑」の例を確認することはできませんでした。しかし、書記選挙で落選した党員が主任を行っていること、村民が「村のナンバーワンは当然書記」と認識していること、村民委員会の当番体制には党支部書記も含まれていること(以上、B村)、書記は村民委員会主任経験者であること(C村)、両委事務所が同一であること(A、B村)などによって、結果的及び実質的には党の指導を貫徹する体制が確保されていました。なお、村民の振る舞いから感じたのは、以上の現象は何らかの指導や強制によった結果というよりは、むしろ小さな農村コミュニティーがうまく機能していることによってもたらされたごく自然的結果なのではないかとの思いです。従って、「一肩挑」が進んでいる農村では村党支部と村民委員会の関係が逆にうまくいっていないのではないか、兼任を進めるのはそのような村が多いと党が認識し、危機感を抱いているからなのではないか。そのように感じました。

 次に、村民委員会に対する鎮政府の行いの中には、その枠を外れる命令的要素があったことです。今回訪れた3つの村のうち2つの村では、村民委員会メンバー(及び書記)に対する手当ては村民委員会からではなく鎮政府から支給されていました。また、A村では、村民委員会主任が死亡したのを受け、その代理は党支部書記が務めるようにとの指示が鎮政府からあったとの話がありました。これらは、明らかな越権行為です。しかし、それを問題視している村民は誰一人としていませんでした。要するに、結果オーライなのです。「上に政策あれば、下に対策あり」の実態、共産主義のイメージとは異なった柔軟性に富む社会の実態を垣間見た気がしました。

 第二に、「多様性」の問題です。例えば、「海選」です。これを日本語に直訳すると、恐らくは「自由選挙」となるのでしょうが、実態は決してそうではありません。ただ、選挙実施に至るある段階まで(或いはある段階において)は、一定の「自由」が存在し、その理解の仕方も、村によって異なっていました。また、村民委員会の活動も、活発、不活発とまちまちでした。A村でのヒアリング終了後、私は、A氏の家から数百メートルほど離れた村民委員会事務所を訪れましたが、村党支部事務所を兼ねた事務所は施錠されたままでした。そこで感じるのは、今回、四川省側が視察対象を決定した際の判断基準は、私の問題意識とは必ずしも一致していなかったのではないかという点です。つまり、彼らの頭の中では、外国人に見せてもよい農村とは、「経済的に進んでいるところ」なのであって、「一肩挑が忠実に実行に移されているところ」というものではないのではないかとの思いです。第一点とも関連しますが、農村問題の核心はあくまでも経済にあり、経済発展が実現され、また、両委関係に問題がない限り、村民委員会の実態は特段問題視しないとの認識が地方では共有されているのかもしれません。

 第三は、農村基層自治に対する実務者の取り組み姿勢に関する問題です。調査の最終日、私は、四川省民政庁を訪れ、農村自治行政に関わっている関係者からヒアリングを行いましたが、彼らの取り組み姿勢は極めて柔軟、かつ現実的なものでした。私は、面積が広く地形が複雑で、少数民族が多いという四川省の特徴をしっかり認識し、臨機応変に事態に対処するというスタイルを彼らが身につけているように感じました。村民委員会選挙において生じた問題点は的確に理解しているが、それによって大きな混乱が生じていない限り、その解決は決して焦らないといったふうでもありました。例えば、鎮政府が手当を支給している点について疑問を呈すると、彼らからは、「鎮のやり方は適切でない。村民委員会メンバーはあくまでも村民の代表なのであるから、彼らの手当ては村から支給されてしかるべきである」との回答が即座にありました。ただし、同時に、「過渡期としては仕方のない面もある」とのことでした。また、死亡した村民委員会主任の職を党支部書記が務めるよう指示した鎮政府の行為についても、「余り適当なやり方とは言えない」としつつも、「農民から見ると、選挙は確かに面倒であり、しかもコストがかかるという点は理解する必要がある」との指摘がありました。見方によっては、これは極めて無責任な発言ですが、私は逆に、「何と柔軟な発想だろう」と感心してしまいました。

 最後になりましたが、選挙というものが、当局にとってはまだまだ神経質な問題なのだということが、思いがけず判明したことも、今回の大きな収穫でした。実は、私は当初、鎮長の直接選挙について調査したいと考えていたのです。と言うのも、中国では鎮という農村末端行政組織(村は自治組織であって、行政組織ではありません)の長である鎮長の直接選挙は未だ違法視されているのですが、四川省のある地方では既に2回実施されているからです。しかも、中央政府はその結果を、どうやら黙認しているのです。そこで、見てやろうということになったのですが、残念なことに、当の四川省側からは、「鎮長選挙は敏感な問題なのでアレンジできない。ただ、村民委員会選挙なら問題ない」との返事があったのです。瓢箪から駒、とでも言いましょうか。

 期間は短かったものの、実り多い旅でした。「群盲、象を撫でる」の格言があります。その含蓄の深さを改めて、そして、実感をもって感じるとともに、中国農村に対する認識の浅さを反省した次第です。中国は多様・多層で、柔軟な構造をもった社会なのです。

(写真説明:春節(旧正月)期間中、市内各地に縁日が立ちました。私は木彫りの瓢箪を携帯用ストラップとして購入しました。中国語の「瓢箪」は「福禄」の発音と近いため、当地では縁起物とされています)。

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