紀行文
            ALOHA SPIRIT・FRIENDSHIP
       人情の機微・仕事熱心・風光明媚・治安の善さ

  −ハワイ取って置き情報・暑い気温よりも厚き友情と南国の空より澄んでいる交遊抄−

         
                                                      

                            国際情報専攻4期生  長谷川 昌昭

     


 今月号は三期生の皆様方の記念すべきそして私ども4期生の誰もが、本年の最大の課題であります修士論文の完成への道標となる諸先輩の貴重な実体験に基づく、教訓に満ちた玉稿で埋め尽くされるものと確信します。

 先に拙稿の紀行文に対して予想外の方々から反響があり、その過程で、ご叱正と身に余る励ましやご指導を賜りましたところから、今月は、卒業記念や来るべき夏休暇さらには歴史研究会・安全保障研究会の社会部役員の村上恒夫様からハワイ合同旅行等のご構想等もお示しいただき、また昨夏当小松ゼミ幹事の阿佐美さんご夫妻のご結婚20周年記念旅行の途上に私の警友であるLee D, D0nohueホノルル郡・市警察本部長を表敬訪問した経緯などを修士論文奮闘記を拝読させていただく折に、一服の清涼剤と思いまして以下やや異なった切り口からのハワイ情報をご高覧下さい。

1 ハワイにどうして行きたくなったか

 ハワイは格安ツア−の名所だ ! 程度の認識でやや卑下していました。それまでの海外旅行は、米国本土一辺倒で、近場は隣国の韓国、香港、台湾でした。

 しかしながら、平成5年(93')に前々職時代警視庁警備部理事官として東京都の大災害対策を主管していた折りに、その数年前に未曾有の台風被害により壊滅的打撃を受けた後、不死鳥の如く見事に復興したホノルルとその災害対策のコンピュタ−バックアップシステムなどを職務の参考にすべく、折り良く親友がホノルル領事を務めていましたので、その紹介を得て、夏季夏休暇を利用し私費渡航し、同地警察災害担当官Major John E. Lingo氏を訪ね教示を受けたのが、ハワイへの第一歩の訪問でした。

 それに加えて、ハワイの開発発展には、明治時時代から大勢の日本人移民が貢献していることや、ハワイはヒョットしていたら「日本国ハワイ島」になっていたかも知れないという歴史的経緯を、当時書物から得てとても興味を引かれました。それはご承知の方も多いと思いますが、ハワイ王国の「デビッド・カラカウア王」が1881年に自ら訪日し、当時の明治天皇に、(当時29歳の明治天皇に対して提案したと平成15年1月20日発行の猿谷 要著の文春新書「ハワイ王朝最後の女王」にも記載あり )日本の皇族「山階宮定麿親王」(15歳)を同王の姪に当る「カイウラニ王女」(6歳)の婿として、近い将来に迎えたいと申して出ていたが「外国王族との婚儀は前例がない」との理由から、日本の皇族は、この縁組を辞退していた。ハワイ王国は1893年に80年間の歴史を閉じて、1898年にハワイはアメリカと合併した。

 数奇な運命のめぐり合わせと言うか、その後、この史実を国王から打ち明けられた数少ない関係者であったカピオラニ王妃と王位継承者のリリウオカラ−ニは、1887年に英国のヴィクトリア女王在位50周年祝賀式典に参列した際、ロンドンのアレクサンドリアホテルで、ヴィクトリア女王の祝典参加の日本代表の一員として一行メンバ−の中に「山階宮定麿親王」は21歳の立派な青年「小松宮」として加わっているのを発見した。この光景は姪のカイウラニ王女との婚姻を想定された相手の姿を真近に眺めて、思わず声をかけたい衝動に駆られたという。何と数奇な出会いであっったかと思うにつけても興味を惹かれました。

 このような当時の職務への反映の必要性と歴史的興味が私をハワイに惹きつけて、その後の10年で五回程訪れることとなり、あのハワイアンブル−の太平洋の海と空の南国の楽園ハワイとフロリダブル−の夢の架け橋セブンマイルブリッジからの大西洋とメキシコ湾を眺めるフロリダは、共に優劣付けがたい訪問先となってしまった。

ハワイの地勢概要 

 ハワイ州は大小132の島々が2,500キロの線上(ハワイアン・チェ−ンと呼ばれる火山脈が通っている )に点在している。その総合計面積は、四国より少し小さい16,758平方キロで、全米50州の47番目の大きさです。

 大小132の島々と言っても、実際には人々が生活している8島(ニイハウ、カワイ、オアフ、モロカイ、ラナイ、カホオラヴェ、マウイ、ハワイ)で構成される。いわゆるハワイ諸島だけで、その他は一部分が海面に突出している環礁や岩礁である。

 距離的には東京から6,190キロ(東京〜西鹿児島1,492,8キロの2往復強)あり、アメリカのロス アンジェルスからでも4,114キロ(東京〜西鹿児島の1,5往復弱)も離れている。
島と島の距離と連絡手段は、ジェット機で、日本からの直行便の多いオアフ島のホノルル空港から10年程前に直行便が開通したハワイ島のコナ空港間は、344キロ(上野〜新潟330キロ)を数社の航空会社が一時間に数便ある外に、一番近い島モロカイ空港間は、87キロ(東京〜小田原83,9キロ)、最も遠いハワイ島のヒロ空港間は、270キロ(東京〜浜松257,1キロ)という利便性は確保されている。

 ALOHA  SPIRIT

 アロハは、一般的には「ようこそ」とか「さよなら」と訳されています。

 それは親しい歓迎の意をハワイの人々が、心底からハワイを訪ねてくれる方々を滞在中に誰もが、快適に過ごせるような気配りの心意気を表わしているものと、訪問する都度に新たに感じることからも、感じとれます。
その語源は、次のハワイ語の五字から成っています。

 アロハ スピリッツとは、アロハの精神は、心情と精神の心的態度の整合性を指します。

 それは、個人個人の精神の中に自身によって自らか心に齎らせられものです。

 各々は他人が快適な感情になるように考えそして振舞うことです。

 それらは、

A−AKAHI : 優しさ・親切な配慮性を示すこと
L−LOKAHI : 調和・協同の心で、協同の一致性を示すこと   

O−OLU'OLU : 快適さという愉快性を示すこと
H−HA'AHA'A : 慎ましさという謙虚性を示すこと
A−AHONUI : 根気、忍耐、辛抱強さを堅忍で示すこと
(by Pilahi Paki)
(1910年にマウイ島で生まれたハワイの詩人。クムフラ(フラの先生)をしていた方で、「アロハ」の意味を解りやすく説明したことで有名。(ハワイ観光局野崎様談)を信条に私どもに接していることを何度も経験し、再訪問の大きな動機になっています。

2 絶対推薦のActiovityなど

−ALOHA SPIRTSで仕事熱心なハワイの方々との交遊抄も−

 モンディ−ル元米国副大統一家が試されてから、一躍有名になったようですが、あまり挑戦する日本人観光客は少ないようです。でも最近観光案内にもチラホラ見られます。

 勿論Net上でも概要は把握できますし、Webでも楽しめます。

 それは、ハワイのマウイ島の国立公園ハレアカラ火山(標高3,055m)の頂上から、マウンティンバイクで、一気に海岸までの76km(品川〜小田原間77km )を4時間余で駆け下りる雄大な景色を眺める爽快なアドベンチャ−です。
平成10年1月(98')Maui Downhill "Volcano Rider"
インストラクタ−の肩の辺が太平洋の水平線ガ−ドレ−ルは無い(2,500地点)

The King of Flowersのキングプロティア標高800〜1,000mに咲く花の王
Haleakala silverswordは標高2,000〜3,000mに咲く銀色の葉が剣に似た花
Mt Haleakala3,055m頂上から海岸へ約76kmを惰力走行・太平洋からの御来光
 夜中の三時頃に止宿先ホテルにミニバンがピックアップに来ました。私どもは島のやや北西に宿をとっていましたので、30分ほどで山麓の出発基地に到着し、そこで暖かいミルクコ−ヒ−とペストリ−で朝食を採りながら、行程の説明を受けました。三社が競争で運営していましたが、日本語での受付もあります、ただ説明は英語オンリ−でした。
  
 費用は時間帯によって、また距離と運営会社によって多少異なることになりますが、私共が利用したのは、$125でした。フルフェ−スのヘルメット・防寒衣・手袋等を含めて二食付きの送迎付きで、$70〜125が目安です。

 勿論自転車は頂上まで運んでくれ、一人当たり予備車を含めて二台で、私どものグル−プは、八名で自転車は特製の強力ブレ−キ付きの低圧タイヤ装備の特別仕様のものをインストラクタ−用を含めて20台をミニバンの後ろに連結した牽引用トレラ−に積載して山頂目指しての出発でした。

 頂上の国立公園管理部には、平成9年(97)2月に逢っている米内務省国立公園管理部特別司法警察職員 Park Ranger,VMRP Kerry A. Buckが勤務している筈でしたが、6:30という超早朝で、逢うことが出来ませんでした。その後に同氏ご家族には、平成12年(00')1月マウイのLahaina(1854年までハワイ王朝の中心地)で再会しましたが、何と彼の奥様は日系三世でその叔母様が、私が住む東京の東村山市内の病院の購買部の経営者という奇遇で、特に、親近感を覚え奥様は笑顔が印象的な綺麗な方でした。
平成9年2月(97) Mt Haleakala3,055mの頂上で(マウイ島最高峰)
米内務省国立公園管理部特別司法警察職員 Park Ranger,VMRP
Kerry A. Buckと筆者
↓同氏ご家族と平成12年1月(00') Lahaina(1854年までハワイ王朝の中心地)で再会
 彼の勤務の性格上からアメリカの国立公園を巡り勤めていますが、その後はノ−スダゴダのWind Cave国立公園の素晴らしいカレンダ−の送付を受け、当方からは警視庁機動隊・NHKカレンダ−などで返礼するなど交流は継続しています。つい先日のクリスマス前にはLassen Volcanic National Park in northern California.へ異動したとのMailが正月早々に届いたりしています。

 さらにここの出発基地では、フルフェイスのヘルメットや防寒用ウインドブレイカ−上下、防寒手袋など借用しますが、総て料金に含まれており、サイズ合わせでヘルメットや手袋は何度も取り替えてとても親切丁寧でした。これは後で判明したことですが、ハレアカラ・ハイウエ−にはガ−ド・レ−ルは、景観を阻害するので設置されていません。急なヘヤピン・カ−ブの連続で装備品がフイットしていないとバランスを崩すことにもなるのです。頂上への途中になされた何回か説明のなかで、国立公園内道路を私どもは自転車で下降する際には、昇ってくる車両の総ては、下降する自転車を発見したら、必ず右側への停車避譲義務が課されているから安心です。とのことでした。しかし会社は事故責任に一切関知しないと提示の書類にサインを迫られました。なるほど自己責任の国だと感心させられた。私どもよりももっとご年配のご夫人も挑戦していました。下りの場面では、出発前の説明通リに下降時に出遭った車両のすべては、右側に停車避譲義務を完全に遵守していました。大型観光バスも止まりましたが、そばを通過する際は緊張しました。くれぐれもスピ−ドの出し過ぎには気をつけたいものです。ハワイで唯一ご来光を拝めるのはこのHaleakala火山山頂だけです。

 頂上には日の出40分前に到着しました。そこは零下−5゜ホテルで予め借用した毛布は大変助かった、是非ご持参をお奨めします。

 日の出からやや経過すると降下のための自転車テストを広い駐車場で、ブレ−キやサドル高さとドロップハンドルの微調整が個人別に実施されます。そのころから360゜の視界はマウイ島の国立公園ハレアカラ火山と雲間の太平洋が覗く素晴らしい景色が広がり、遥か彼方に76Km先の海岸の街並みが米粒のように見え、果たして到着可能かとの疑問と高低差に些か恐怖心も込みあげてきました。

 頂上付近の路端には銀剣草(Haleakala silversword世界でここだけ)の花や途中からは箱庭に豆粒を転がした町並みやヘリやジェット機が行き交う空路を眼下の足元に眺め、綺麗に咲き誇るThe King of flowersの畑や放牧の馬などを横目にして、海岸に到着する頃には、ショ−トパンツとTシャツ一枚の姿でのサイクリングで、振り向くと先程まで降りてきたハレアカラ・ハイウエ−は頂上まで続いているのが、なんとも標高3,055mからの一瞬の降下の達成感と快い疲労感が身体に充満し「Perfect !」とインストラクタ−から、完走証明書を渡されての終了でした。

 降下はイイストラクタ−を先頭に約40Km/Hの速度で降下しますが、途中 随所に撮影ポイントや下降に従っての防寒衣の着替え、ブランチ・タイムに卵料理(オムレツなどはオーダ出来ます)とフレッシュサラダにジュ−ス等との準備もあり、とてもフレンドリ−でリ−ズィナブルでした。

 終点の海岸へ到着するとそこは、頂上とガラリと変わって、高波に若いサファ−達が果敢に挑戦していました。

 ハワイの島々を結ぶ島間航空機のジェット機は高度約2,500mで飛行しています。したがって、マウンティン・バイクのペダルの下にジェット機が飛ぶ姿は大いに感激ものですし、絶対他では体験できないのではないでしょうか。気温差も想像外で、頂上では、御来光を眺められる時間の早朝6:30頃は‐5゜Cで、海岸に到着のお昼11:00頃の気温は27゜Cでした。

 マウイ島はあのマ−ク・トウェインが「時を忘れさせる島だ」と言ったり、「翼よ あれがパリの灯だ」のチャ−ルス O,リンドバ−クが晩年を過ごし「かって 訪れたどの地よりも美しい」と絶賛した。彼は体調を崩し、NYの病院に入院、最期を告げられるや医師と夫人に懇願し、マウイに戻り、その九日後、再び戻らぬ最後のフライトに旅立った、「空の英雄」はこの島に眠っていることでも知られている。(ハナの先のオヘオ・プ−ルのキバフル集落内パラパラ・オマウ教会先)

マウイ島のActivityならゴルフでしよう。
−大変にリ−ズイナブル−

 マウイ島北部の方には、カパルア湾というアメリカで一番に綺麗な湾があり、ホテル王セザ−ル・リッツのホテル哲学に徹したザ・リッツ・カ−ルトン・カパルアや皆さんご承知の正月に開催されるゴルフPGA開幕戦のベンツ・オ−プン開催地のカパルア・ゴルフクラブのブランディションコ−スなどがあります。
12年1月(00')The Kapalua Villasa Maui
 

黄色↑はゴルフPGA開幕戦のベンツ・オ−プン開催地の
カパルア・ゴルフクラブのブランディションコ−ス。
赤色↑は止宿先

 

 ここは、20世紀初頭にバイナップル畑として開墾され、その後にロックフェラ−がリゾ−トに仕上げた土地。リッツとカパルアベイの高級リゾ−トホテルが二軒、1940年代のホノルア・ジェネラルストア1軒のみで、空が広く感じる土地にゴルフコ−ス54ホ−ル、テニスコ−ト24面が文字通リ点在している。

 これらのホテルやゴルフ場は世界超一流だが、決して高くぼらない「お客様は王様で紳士と淑女です。接する私ども従業員も紳士です」。を指針にしている。例えば直接申し込んだ場合、家族四人で空港から40分程をドライブで楽しむのであれば、レンタカ−を無料で付けます。近くの西マウイ空港から10分のところは、送迎24時間態勢で無料です。ゴルフ場、海水浴・買い物はリゾ−ト内は無料送迎します。ゴルフをやらない方は$125引きます。大人四人で三泊してゴルフ六回(朝7:00から夜20:00頃迄可能)で、$1,972という価格です。ゴルフフィ−だけでも一回$82をどのように見るかです。カパルアビィラのデッキチェァ−からの眺めはカナダ沖から出産にきた鯨の吹く潮など、まるで一枚の絵画のようですし、リッツ・カ−ルトン・カパルアの鮮やかな芝生に囲まれているホテルは、あたかも絵画を鑑賞しているようで、シャンデリァの煌くロビ−や絨毯のセンスは重厚さで統一され、そこにカパルア湾というアメリカで一番綺麗な湾といわれているところからの微風が流れる中での寛ぎは、ホテルスタッフの笑顔と相まって、誰もが納得する最高の雰囲気と実質的に王者のサビ−スを享受できました。

 ゲストからの依頼には微笑みと「Certainly(かしこまりました)」「My Pleasure(喜んで)」と応え、決して『No』とは言ってはならないと教育されているそうですが、費用対効果からも事後に、その対応姿勢の実体験が子弟教育や社員教育に必ずや役立つと思います。インタ−ネット時代以前から、同地はリピタ−割引や直接申し込みとかハワイ観光局で推薦されたとチェックイン時に付言するとdiscountしていました。

3 ホノルル警察本部長の Retirement Celebrationに招ばれて

 平成10年1月14日米国ハワイ州ホノルルにおいて挙行されたホノルル郡・市警察本部長(HONOLULU POLICE DEPARTMENT Chef of Police Michael S, Nakamura)のRetirement Celebrationに列席の栄誉に浴した一端を紹介させていただきます。

 Retirement Celebrationは直訳すれば、「退役式」でしょうが、私の知る限りでは日本にはない儀式・習慣で、その内容からは、「勇退祝賀式」の表現が相応しいと出席しての体験から判断しました。

 そして何よりも、強烈な印象に残ったのは、Michael S, Nakamuraがハワイ州民から日系三世として絶大な信頼感と支持をえており、若くして身体的都合で勇退する彼を惜しむ声を取材中のマスコミや市民から随所で聞かれたことです。私どもは遠来の友人来るということでTVのインタビュ−を受ける場面がありました。

式典の主なものは

○ 米国大統領特使の米太平洋軍司令官の空軍少将 からの大統領特別勲章の授与
○ 米連邦政府司法省高官、連邦検事、州知事等の連邦・州政府関係首脳にホノルル市民篤志家等からの記念品贈呈と在任中の功績への賛辞・祝詞
○ Chef of Police Michael S, Nakamuraの在任中の主要功績と家族を紹介し、その功績への賛辞・祝詞
○ 二時間以上に及ぶ一般市民の送別記念品の贈呈とその功績への賛辞・祝詞
○ 参列者交流の持ち寄りの交歓会等で半日以上に及ぶものでした。

 列席の経緯

 秘書長からの突然の勇退の報に接し、引き続いての出席要請には、当時私は、既に警視庁を勇退後、一年余を経過し、新日本証券(現新光証券)の総務部部長として再就職していましたので、日程的にも全く問題がなかったわけではありませんでしたが、再就職先の会社では、一月のやや行事等のたて込んでいた時期でしたが、名誉なことだとご理解をいただき長期に休暇をとり出席しました。

 これまでに何度か海外旅行には出かけていましたが、1991年の湾岸戦争直後の「米国の治安情勢と幹部警察官の教育実態の調査研究」での公用渡航が、その後の外国公式視察の第一歩でした。

 それ以降は、隊長・署長職以外の職にあった時期や再就職先でも夏期休暇を利用して数回海外渡航し、その目的は、警察のトップからのブリ−フィングや装備・施設・運用方法などを自分の職務上の参考にしたり、再就職後には、NYのFRB(連邦準備銀行)やNYSE(ニュ−ヨ−ク証券取引所)での重要金品保管実態や金融取引の最前線の緊迫状況を部店長教育に反映させたりするために、下手な英文手紙とFaxなどで折衝を重ね、レクチュアを受けたり、重要箇所(FRBの地下金庫は地下2,440mに約1,500億ドルの世界一の金の貯蔵庫を直視し、防護金網の間から金塊に直接手指で触れました)視察見学等の経験を積んだりもしました。

 Chef of Police Michael S, Nakamuraとの出逢いは、平成5年(93')以降に何度か訪問する間に当初の同地警察災害担当官Major John E. Lingo氏は、勇退されて本部長秘書長Sato氏を通じてChef of Police Michael S, Nakamuraとの交流が始まり、その間に私のスタッフが夏休暇や新婚旅行でハワイを訪れ、Chef Nakamuraに対して非公式に表敬訪問を繰り返し、それらの家族やスタッフには大変に喜ばれたり、そのことが動機で仕事上でも稀に見る勤務成績最優秀者になりました。隊長・署長名の日米両文の感謝状贈呈などで、謝意を表しつつ、友好を確かめて交友関係を堅持して参りました。

勇退祝賀式典と突然のスピ−チ要請

 式典は前記の内容で進行しました。最初は警察本部付牧師ブレイン・オニ−ル神父により参列者に神の加護と祝福を祈念するお祈りと説教がありました。
神父の服装は、警察官の服装と全く同じで、只拳銃を携帯していないのと階級章が警察官は星で、神父は十字架でした。その着装位置は、限られた本部長ら上級警察官のみの肩章と胸章で、流石キリスト教国と感心しました。

 式典は厳かな中にも南国のハワイらしく、ハワイアンバンドの演奏で、多くの新鮮な緑に包まれたホノルル警察本部の二階中庭で進行しました。
平成10年1月(98')Honolulu Police Department HI USA
冷や汗ものの祝辞
 祝賀式看板
Chief of Police Michael S. Nakamuraの勇退祝賀式
ハワイ式歓迎で出迎えられる
 

 私どもは、遠来の本部長の賓客として副知事の隣の最前列から二番目の席を指定されました。米連邦政府高官、連邦検事、州知事、同副知事、友人篤志家の方々は、勇退記念品の贈呈と功績に対する感謝とエピソ−ドなどを披露し、その都度Chef Nakamuraは、笑顔で頷き、会場は賛同のチェアイングや拍手とフラッシュが焚かれ、会場は祝賀ム−ド一杯でした。その時、突然に本部長秘書の女性警察官のディビィ・タンタィル警部補が、私の傍にきて

「15分後にスピ−チをお願い !」
「私などその任ではない人。違いだ」
と言っても、同秘書は本部長が是非と希望されていると言うし、Chef Nakamuraを見るとウインクしてこちらを見ておられました。そうしているうちに司会のアナウスが、

 「次はチ−フナカムラの日本からの友人で、警視庁の退役警視の現新日本証券株式会社総務部部長のミスタ−ハセガワ」

と司会を務めるホノルル警察No2のLee D, Donohueは、私の名刺を見ながら紹介され、私は意を決し演壇に立ちました。

 「臨席招請への謝意表明に続き、世界から何故大勢の人々がホノルルを訪れるのか?ホノルルは気候温暖・風光明媚で、人々が親切で素晴らしいところだからだ。それ以上の理由は、安全な都市だからだ。それはチ−フナカムラとそのスタッフとその家族そしてボランティアの努力の賜物だ。私は、退役警視庁警視だが、在職中にはマイスタッフがホノルル警察から多くを学び、帰国後、彼らは仕事で成果を挙げた。これはひとえにチ−フナカムラのお陰だ。感謝しています。ホノルル警察から多くを学んで大変感謝しています。下手なスピ−チの傾聴に感謝します。チ−フナカムラの幸せな勇退に敬意を表します。ありがとうございます。」

 との趣旨を話したことが家内撮影のVTRに記録されていました。ブッツケ本番、1,000人余の米国のネイティブ・スピカ−を前にしての英語のスピ−チは、将に冷や汗ものでした。

 その後のパティ−では、ハワイの方々はアロハの精神で、米連邦検事州ティブン S、アルマ氏他数名の方々から、わざわざ名刺を示して
 「ボランティアに触れたのは大変良いスピ−チだ。ワンダフル」
 「ホノルル市民と警察を理解してくれてありがとう。」

 などと外交辞令半分としても、ホットすると同時に、つたない英会話が理解され、日米親善に寄与出来たことが嬉しかったので、当時のいただいた名刺は、一生の私の宝物です。

 ホノルル警察は、Chef Nakamuraの統率の下に、「高潔」「誠実」「公正」の信条の下に「仕事は市民のために」から「仕事は市民とともに」への指針を示して、「ストップザバイオレンス」に2,900の警察官と元職員数百名がボランティアで登録され、毎日数十人が24時間フルカバ−で、一丸となって暑く青い空と海の「常夏の楽園」を護っていた。

4 我が小松ゼミの阿佐美高志幹事の結婚20周年ハワイ旅行

 「感激の旅」という私宛のMailを阿佐美さんからいただきました。なお 彼は、現地ハワイから国際電話で即刻、現ホノルル警察のChief of PoliceのLee D, Donohueとの表敬訪問状況を知らせて参りましたので、折り返し秘書長のEunice Tanaka氏にお礼の電話を入れることが出来、後日礼状を送付しました。Donohueと Euniceの連携で、アロハな心の篭った歓迎の様子が写真からも窺がえ、ご本人の了解を得ましたので、私から多く語るよりも彼等の写真とMail添付を以下紹介します。
平成14年1月(02')Honolulu Police Department HI USA
Chief of Police Lee D, Donohueと阿佐美御夫妻
 『長谷川さんこの度は、私たち結婚20周年のハワイ旅行に名誉あるLeeD.Donohueに表敬訪問をさせていただき妻共々大変感謝しております。
当日はご指定されたアポイント時間に訪問し、ご多忙中にもかかわらず約一時間にわたり快く歓談していただき、さらに部下の方に命じ、真珠湾のアリゾナ記念館までお連れしていただくなど本当に心温まる対応に驚くばかりでした。
これも一重に長谷川さんの人柄や経歴、さらには幅広い人脈に改めて敬服させていただくと同時にハワイ警察の博物館には長谷川さんから寄贈された警察帽が所狭しと説明書き付で飾ってあり、説明員の方が誇らしげに説明くださいました。多くの警察官の方にお世話になり、本当にありがとうございました。まずは帰国ご挨拶まで』

 私とHonolulu Police Department のChief of Police Lee D, Donohueとの交流は、平成10年(98')2月に前の警察本部長の勇退祝賀式以降でした。その後は、平成12年2月(00')にホノルルへ彼を表敬訪問し、彼が昨年3月に来日した際には、私は彼を警視庁・皇居見学などで接遇し、相互に友情を確かめ合っています。今度は昨夏には阿佐美さんご夫妻が彼の歓迎を享受したものです。
 
平成14年3月(02')Honolulu Police Department HI USA
非公式私事来日中のLee D, Donohueと警視庁通信指令本部で
平成14年3月29日(02') Honolulu Police Dept HI USA
東京都港区内の国家的な桜の名所 Chief of Police
平成12年1月(00')Honolulu Police Department HI USA
Chief of Police Lee D, Donohueと筆者

 彼が昨年3月に来日の目的と資格は、公人としてではなく私人として、ボランティアでホノルルの青少年育成の一環として「空手」を子供達に指導しており、その大会と他流試合のための21日間の私事休暇旅行で、ホノルル警察の巡査部長の彼のご子息も父に同行して、子供の面倒をみていました。東京練馬の光が丘体育館において開催された、その空手大会を訪ねたところ子供達の自主性を尊重する笑顔と思いやりの篭った子供達への指導姿勢は、アロハな前述のAKAHAIの信念で、KindnessでTendernessと窺われました。

 第一に、氏は、私から予めEunice秘書長を通じて電話で事前の要請はしていたものの、当日は、8月15日で行事や警備事象等も予想されたことでしょうが、約4,000人の米国主要な州の警察組織のトップが超過密なスケジュ−ルの中から阿佐美さんご夫妻を歓迎してくれ、あまつさえ彼等を彼のスタッフに本部長賓客として車両で彼等を希望訪問地アリゾナ記念艦艇へ案内させ、その艦長への特別案内等の接遇には感激しました。海を越えた友情の架け橋でした。

 第二、に写真からも理解できるように、氏は阿佐美さんご夫妻の歓迎には、プレスの効いた制服で肩には四ツ星が煌き拳銃着装の第一装の正装で威厳を正しての正式表敬の歓迎体制を敷いたのには、恐縮の極みです。

 Eunice秘書長は、今回の歓迎をアレンジするに当たって、私の下手な国際電話にも理解を示し、優しくて日本の文化刺繍を趣味にしている聡明な綺麗な方です。
   
平成12年1月(00')Honolulu Police Department HI USA
Chief of Police Lee D, DonohueのEunice S, Tanaka秘書長


−友情は成長の遅い植物である−

アメリカ合衆国初代大統領George Washington