清水に魚棲まず


                                                      

                                人間科学専攻4期生  守重信郎 

                   
 私の勤務する楽器博物館には、世界中の楽器が数多く集められている。楽器は、その用いられ方だけでなく、形態や装飾からも地域性を感じさせるものが多く、見ていて飽きることがない。このような多様な楽器を見ていて、最近ふとあることに気がついた。それは、民族・文化の異なる世界各国の楽器の中に、しばしばある共通した工夫がなされているということである。それは、音に「雑音」を加える工夫である。「雑音」という言葉には語弊があるが、これはビリビリと割れるような音とか、鼻声に似た音のようなもので、鳴る音に付け加える一種の効果音といえるかもしれない。この音色は決して上品とはいえないが、世界中の多くの楽器が、そのままで十分に澄んだ音が出るのに、あえてそれに「雑音」を加えているのである。

 我が国の三味線や薩摩琵琶、タイのチャケー、インドのシタール、ヨーロッパのハーディー・ガーディといった弦楽器は、振動した弦を駒などに連続して打ちつけることで音に雑音を加える。また玩具として使われるカズーや中国の笛、ヨーロッパのオニオンフルートなどの管楽器は張られた薄皮が振動して音が震える。またアフリカの木琴や太鼓、ブラスバンドでもお馴染みのスネア・ドラムなどは打撃音に雑音を加える工夫がなされている。このように地域、種類を問わず、多くの楽器にこのような装置がつけられている。ではどうしてこのように世界中に音をにごらせる工夫があるのだろうか。それは、私たち人類が共通してこのような音色を好むからではないかと思われる。

 確かに音楽の好みと同様に音色の嗜好は千差万別であり、全ての人がかならず好む音色があると考えるのは難しいかもしれない。しかし民族の壁を超え、多くの楽器にこのような雑音を加える工夫がなされているということは、私たちは澄み切った音色より、それに濁りを加えた音色を好む傾向があるということを語っているのではないだろうか。この音は本来の音に絶えず付き添い、その音を覆うように音色を変える作用をする。実音とこの音とのバランスが良いときには、音が柔らかく周囲に広がっていくように聞こえる。

 よくストラディヴァリに代表されるヴァイオリンの銘器の音色を「シルバー・トーン」と呼ぶ。これは、華やかさの中に、実音とは異なり、それを取り囲むように何か銀の粉を振り掛けたような響きが漂う音のことをさす。この響きが周囲の空気と一体になり、聞く人を心地よい悦楽の境地に誘い込むのである。これは民族楽器の雑音効果に通じるところがあるように思える。ヴァイオリンの銘器は、雑音のエッセンスを、特別な装置も無く表現することのできる楽器であるといえるかもしれない。

 近年、東京都近郊のあるニュータウンに、全館がすべて居酒屋や料理屋ばかりの、細長いペンシルビルが誕生した。ここは新しく自然を切り開き造成された町で、当初から市が全面的に計画に関与し、ヨーロッパを参考に、整然とした品格の高い街並みと広い公園が造られた。しかし、当然ながら雑多な飲み屋街は考えられなかった。ところが完成後しばらくたってから住民が市に強く働きかけ、このビルを建ててもらったのだという。やはり気取ったレストランではなく、気軽に飲める場所がほしい。飲み屋街が無理ならせめてビルでもということなのだろう。人間はあまりに澄んだ場所だけでは落ち着かない。どこかに雑多な場所を求める。そして両方のバランスの良い町が、住みやすい町ということなのかもしれない。音色の嗜好も同じに思えてならない。まさに「清水に魚棲まず」である。