東武練馬まるとし物語







国際情報専攻3期生
若山太郎

  その四 「アメリカの風」

現在、僕が研究しているウォルマートは世界一の売上高を誇り、驚異的なスピードで事業を拡大し続けている小売業である。今年の3月、西友と提携し、国内において、大きな話題を振りまいた。僕はこのウォルマートに関してかなり以前から注目していた。そして今年9月8日から一週間、日本小売業協会主催の「ウォルマート成長戦略徹底研究視察会」に参加することを決めた。

去年9月11日、ニューヨークをはじめに、世界中を震撼させた同時多発テロがおこった。近くの商店主の「大変なことになった」という言葉とともに、僕は、営業中、店内のテレビでその瞬間の映像を目撃した。

そして一年後、その同時期に、アメリカ小売業の視察に行くことになった。個人として14年ぶりのアメリカである。

 出発前の旅行の説明会では、アメリカはテロの再発を恐れているため、空港での警戒がより厳しくなっていること、視察中、不測の事態への対応などが打ち合わせされた。大袈裟かもしれないが、子供たちにとっては、今回の旅行が何か危険なことがあると感じられたようで、「行かないで」という言葉を何度も面と向かって言われ続けた。ただ、妻やおやじさん、おかみさんは、心中穏やかではなかったろうが、僕の気持ちに協力してくれた。ありがたかった。

長期間僕が店を休むことで、残された皆の負担が増えることに心が痛んだ。留守中、家族は家から徒歩20分ほどの妻の実家に泊まることになった。僕の代わりに働く分、妻やおかみさんの働く時間が長くなる。小学校2年生の長女は、越境エリアに近いこともあり、集団登校でなく、実家から通ってもらうことにする。幼稚園年長の次女の送り迎えや、留守番をする三女にも少なからず影響がある。それでも僕は(この視察で得ることは長い目でみれば、店や皆の将来に必ずや還元できるだろうし、今を逃すとできないだろう)という信念で、参加することを決めた。

視察は、その目的から参加者は25名に限られ、特にウォルマートが日本に上陸した時に影響のある会社の参加者が多かった。僕のように、直接は関連もない仕事をしているが、企業なり個人として、ウォルマートの経営に注目している参加者も何人か見受けられた。

自分の研究する企業の店舗に一度も視察することなしに文献のみで論文を書くことに強く抵抗を感じていたことも、参加したい気持ちになった大きな理由である。

以前、ある流通グループに勤めていた。その入社研修の時、ロサンゼルス・サンフランシスコ・ハワイなど、有名な観光地にある小売業の視察をした。競争の激しいアメリカでは、その当時活気のあった企業は、今では目立つ存在ではなくなっている。

今回は、アメリカの田舎町にある小売業を視察した。その中でも、急速に成長したウォルマートの発祥の地、アーカンソー州のベントンビルに訪問することができ、うれしかった。それにしても、アメリカは日本のような出店規制がないため、その当時と現在の状況は、想像以上に様変わりしていて驚かされた。

訪問した地は、ベントンビルとダラスである。 車社会の米国社会。米国の小売業の経営は、国土の広さ、人口、輸送システム、社会体制などによって大きく影響される。そして、日本の企業との大きな違いである人種構成、国民性の違いをまざまざと体感できた。

 僕が視察する数ヶ月前、日本の大手流通企業の大視察団が、店内において写真を撮らないなど事前の約束事を守らなかった。その影響により、特に日本人に対してウォルマート本部から行く先々でスケジュールの制限があった。その中でも、最も自分が楽しみにしていた物流センターの視察も直前にキャンセルになった。ここまで来たのに本当に悔しかった。

こういう状況の中で、現地で交渉にあたった主催社や旅行会社の方は、よくやってくれたと思う。

ウォルマートの、企業としてのリスクおよび情報管理の徹底さには驚かされる。店舗視察をする条件として、帰国時に、参加者全員がウォルマートの本部へアンケートの提出を義務付けられた。これは、ギブアンドテイクという、アメリカらしい発想で、メリットを追求するその姿勢に感心してしまった。逆に、メリットがなければ、受け入れてもらえなかったことだろう。

 ウォルマート最新型の店舗、その発祥の地(現在博物館)、質素で有名な本社はもちろん、ネイバーフッド型店舗のバックヤードの視察や店長インタビューを通じて、

・創業者サム・ウォルトンの経営理念

『無駄なものに一切コストをかけず、EDLPという常時最低価格の販売で顧客満足を提供する、そして主役は常に顧客および従業員であるというもの』

・ウォルマートの本質

『企業規模が大きくなろうと、小売業の本質は1店1店の現場にある商店経営の原理原則の徹底』

を実感し、今後の自分の研究や仕事に対する姿勢を再確認できた。

バブル崩壊後の日本は、長引く不況もあって、いろいろな所で制度疲労をおこし、それを打破できない閉塞した状況が続いている。僕が参加を決意したもう一つの目的は、実際に小さいながらも商売をしている今の状況での、漠然とした疑問を解決するためでもある。

 限られた期間および範囲のわずかな経験ではあるが、この視察を通して「日本人特有のきめの細かいサービスや料理の味を、身近なところから広げていくこと。自分の行動に自信を持ち、人の真似でなく、あくまでオリジナルな発想が大切である。」という至ってシンプルな心境に至った。お客様の気持ちをいかに消化し、それをサービスに反映するかという僕の方向性は、間違いないと確信した。

参加された方々と情報交換をしても、組織に属している方の多くは、個人的には皆気さくで良い人ばかりだった。夜、個別に部屋での行なわれた懇親会などのお誘いも何度もいただいた。自分のサラリーマン時代を振り返るような出来事もいっぱいあった。上司や職場のことを意識するあまり日々の数字を追われ、自分の方向性を見失ってしまうような状況を思い出した。

日本にこのような状態が続くのは、職場慣習や都合で商売していることが蔓延していることも原因ではなかろうか。

店舗を訪れた時、僕はまず周辺を散策し、視察の行列が分散し店内が落ち着いた頃、地元の消費者の視点を想像しながら視察した。

店において、僕の言葉が足りないことが原因であり、妻になかなか理解されないことがある。研究している僕を、妻はもう1人子供がいるように感じているらしい。子供3人の子育ては常に待ってくれない。日々が戦争状態である。小学校と幼稚園の行事、朝からの次女の送り迎えだけでなく、子供の習い事も、長女と三女がバレエ、次女が英会話と、3人それぞれ別々に送り迎えをする。少子化が進んだ今の家庭の多くが、1人の子供にいくつも習い事をさせ、ゆとりのある生活をしているように感じることもあるのだろう。

妻は、おかみさんの代わりに店に出て働くことも増えた。店に出たら出たで、営業中、僕からお客さんを見ていないと厳しく言われたりする。でも健気にやっている。最近は、パート感覚の働きぶりから、サービスに心がこもってきたようだ。

話はまた元に戻る。ウォルマートに限らず、国内のセブンイレブンを含め、僕が仕事をしながら企業を研究することは、それ自体だけが目的でなく、あくまで現代において業種を問わず、最も大切である消費者、つまりお客様に対して、どうサービスをするのかということを研究することにある。僕の頭の中では、店の経営と自分の研究を連動させている。経営環境は常に変動するし、答えがないところに答えを出し続けているような感覚に時に不安になるが、自分に自信を持たずして、逆にお客様へのサービスを充実できないだろう。

 ちょっと固い話をしてみたい。日本は戦後、貧しく食べ物や物がないことを満たすため、川上から川下へ、メーカー主導の十人一色の単純な生産および流通構造の流れがあった。ただ、現代の日本は、巷では物が溢れ、川下から川上へ、十人十色の消費者主権となった日本の流通構造へと大きく変動した。移り変わりやすい消費者の複合的なニーズを満たすために、どう企業として最適な成長軌道を描いていくか。

過去の経営の成功体験にとらわれず、パソコン、インターネットが普及し、一瞬にして世界と日本の情報が連動する現代、より加速して短くなった社会変動サイクルや経営環境の激変とともに、消費者の利便性やニーズの変化にいかに対応するかが、普遍的なものと思えるのである。

 経営は数字である。ただ、その数字も、単なる売上よりも利益、特に粗利益が、今の時代重要となっている。僕の店のように、小さい店は、お客様の需要をいかに満たしていくかが今こそ重要となってくる。「利は元にあり」商業世界の格言もあり、商人のすべてが行なう発注や仕入れは、商売の最も重要なものである。ウォルマートは、この部分リテイルリンクなど、他社に真似のできないような進んだシステムがあり、大きな成果を上げている。

今まで紹介してきたように、去年の7月から店を任され、お客様へのサービスを充実させ、仕入れ先の変更など、思い切った店の変革をしてきた。それまでの約4年は、売上の低下が続き、活気が失われつつあった。僕は店に再び活気を取り戻したいと考え続けてきた。

ありがたいことに、変革によりこの1年平均の結果は、売上は4%アップ、粗利益では、2.4%数字が良くなった。おかみさんにも「たいしたものだ」と誉められた。ただ、深刻なデフレ不況が続き、経営環境は、ゼロサムからゼロマイナスが当り前の競争下にある。僕が数々変革したことも、1年を経過した今年の夏から、売上が低下し始めていた。極端に言って、1年前の手つかず状態から、ある程度の成果を出した後の変革は、数字が出にくくなると予想していたが、まさにその通りになった。

変えようとしている気持ちが店の活気に繋がり、お客様が来店して下さった。しかし、去年と同じことをしていては、客席も限られているので、限界がある。

そこで出前の数字の低下に注目した。原因は、今から5年ほど前におやじさんが作った出前のメニューが、内容的にも古くなったこと。店内の変革に力を入れていたため、ここ3年は特にメニューを配っていなかったこと。都内はお客さんの引越しも多く、また、まとまった注文を下さった会社などが、この景気で注文の頻度が減っていた。

 僕は今から約半年前に、出前のメニューを全面改訂し、内容もメニューをシンプルに並べてあっただけのものから、商品を増やし、インパクトのある店のアピールコメント『サクットジューシープロの味』や店の宣伝も含めて地図をつけ、より垢抜けて目立つメニューを作ることを考えていた。実際完成したのは、8月末であり、9月はウォルマートへの視察や月末には軽井沢合宿ゼミもあり、メニューを配っての対応態勢ができたのは10月からである。

過去10年間、実際出前をし続けていたこと、その間何度もメニューを配った経験もあり、ノウハウも仕入れた。

新聞の折込みやポストに広告が分厚く入る競争が激しい時代である。仕事の合間や営業が終わってから、ポイントを絞って、一軒一軒自分でポストに配った。

この4年間手書きのノートには、以前に一度でも注文をいただいたお客様の情報を書きとめていた。そういうお宅に絞って配ったメニューの反響は格段に良かった。新規の注文の、「貧乏暇なし」とひたむきに残業をする会社や個人のお宅の注文も、目に見えて増えた。

厳しい環境の中、良い結果を出した1年後のリバウンドを予想していたが、再度売上も好転させることができた。ほっと一安心である。売上高に左右されず、地道な自助努力により、数字が安定する粗利益を今後も大切にしたい。この1年の成果は、過度の値下げなど目先の販促策にとらわれることなく、身近なところからお客様に還元したいと考えている。

帰国後、お客様へのきめこまかい対応の第一歩として、その時々の旬なもの、例えば、ミニトマト、みかん、キウイフルーツなど、ひと口サイズのものを料理の皿に添えるサービスを始めた。近年のヘルシー志向を考慮し、特にキウイは、揚げ物に合ったようで、意外にも喜ばれた。キウイには酵素が脂肪を分解する作用・美肌効果もあるそうだ。

「お客様の声は、ゴミ箱に集まる」人によって好みが分かれるが、おおむね好評のようである。

新しいメニューもまた増やした。一般に市販されているような漂白されたものでなく、本来の黄色い色の紋甲イカもメニューに増やし、魚介を中心にバラエティーのある組み合わせを作った。

ホタテイカエビ定食950円(ホタテ・イカ・エビ各1つ)・カキと一口ひれかつ定食1000円(カキ・一口ひれかつ各2つ)・カキと白身魚定食950円(カキ・メゴチ各2つ)

なお、余談だがイチローの勇姿も目の当りにできた。

9月11日米国大リーグ、テキサスレンジャーズ対シアトルマリナーズの試合である。入場時小さなアメリカの国旗とTシャツが全員に無料で配られ、試合前の追悼セレモニーは考え深いものがあった。

出発前にゼミ仲間である堀内さんから紹介してもらっていた観光地、ケネディ暗殺場所も訪問をした。

今振り返ってみると、僕にとってのアメリカの風は、朝早く起きて、ホテルの周辺を散歩した時の光景、数多くの車が通り過ぎる風だった。数字を上げないと職場を奪われてしまうのだろうか。アメリカの管理職は特に出勤時間が早いそうだ。ウォルマートの創業者のサム・ウォルトンも朝4時に出勤したという。その原点の地を踏んだ僕は、激戦区のダラスでのその激しい車の流れを見ながら、僕の子供たちや家族のためにも負けられないな、と改めて思ったのである。

以下、次号

                   (撮影・染谷雅美氏 および 半澤修太郎氏)