C.S.ルイスの『ナル二ア国年代記物語』全七作にはいくつもの謎があり、語られていない物語を想像してみたくなる場面が多々あります。ここに私がみなさんに紹介する物語は、『ライオンと魔女』において、アスランに助けられたエドマンドがピーター、スーザン、ルーシーと再会する前に、彼がアスランと交わした決して忘れることのない話とはなんであったのか、それを想像して創作した物語です。この物語がどのようにして私が入手し得たかについては皆さんのご想像におまかせいたします。
Mr. Hope
文化情報専攻3期生 花岡真由美
この世でいちばんの贈りもの
エドマンドは、朝つゆのおりた草のうえを、とぼとぼと歩いていました。エドマンドの前を、偉大なるアスランが、ゆうゆうと歩いています。アスランによびだされてテントをでてから、もうどのくらい歩いたのでしょう。長い沈黙にたえられなくなって、とうとうエドマンドは、アスランに声をかけました。
「あのう、どこまでいくんですか?」
するとアスランは立ちどまり、エドマンドのほうに向きなおりました。
「このあたりでよいだろう。ここなら、だれにも話を聞かれることはない。」
「ぼくに罰をおあたえになるのなら、早くしてください。」
エドマンドは、アスランと目をあわせないように、下を向きながら、小さな声でそういいました。
「あなたは、罰をあたえてほしいのかね。」
アスランにそう問われて、エドマンドはおどろいて聞きかえしました。
「あなたは、罰をあたえるために、ぼくをよびだしたのではないのですか?」
「なぜ、そう思ったのかね?」
「だって、ぼくはとても悪い子なんです。みんなを裏切って、白い魔女のところに行っただけじゃありません。ぼくは、うそつきで、いじわるで、じぶんのことしか考えない、最低のやつなんです。」
そうしてエドマンドは、アスランの前にひざまずき、さいしょにナルニアに入っていらい、じぶんがしてきた悪いおこないのすべてを、つつみかくさずに話しました。もはや、じぶんをかざろうとは思わず、じぶんに都合のいいように、ものごとをゆがめることもしませんでした。
アスランは、なにもいわず、ただ、じっと聞いていました。エドマンドの話をさえぎったり、とがめだてたりすることは、一度もありませんでした。エドマンドは、アスランが、じぶんの話を、ただ耳で聞くのではなく、からだじゅうで聞いてくれているように感じました。じぶんの思いを、さばいたり、否定したりすることなく、そのまま受けとめてもらえるように感じていました。
話をおえたとき、エドマンドの心は、じぶんのおこないに対する、後悔の念でいっぱいになっていました。エドマンドの両の眼からは、苦い涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちました。
「よく、話してくれた。」
エドマンドの耳に届いたアスランの声は、このうえもなくやさしく、おだやかでした。エドマンドが見上げると、信じられないことに、アスランの眼にも、涙があふれていました。エドマンドは知りました。アスランは、このうえもない愛とゆるしをもって、エドマンドの話を聞いてくれていたのだと。エドマンドの思いを受けとめるだけでなく、エドマンドの痛みや苦しみを、ともに感じてくれていたのだと。
「あなたは、悪いおこないをしたじぶんが、いやでたまらないのだね。みずからのおこないを、心のそこから後悔しているのだね。」
エドマンドは、アスランにしがみつき、たてがみに顔をうずめて泣きだしました。エドマンドの眼からは、まえよりももっと多くの涙が、こぼれ落ちました。けれどその涙は、ここちよいものでした。そしてエドマンドは、涙とともに、自分のなかのみにくいもの、よごれたものが、流れでていくような、すがすがしさをかんじていました。
* * * *
とつぜん、エドマンドのうしろで、すっとんきょうな声がしました。
「これはこれは! もしやあなたさまは、アスランではございませんか?」
エドマンドがふりかえると、そこには、アナグマが立っていました。動物園で見るアナグマよりはひとまわり大きく、ぶあついメガネをかけています。
「いかにもわたしはアスランだが。」
「やはりそうでしたか。文献にあるとおりの偉大なおすがた。冬眠からさめたばかりとはいえ、わがはいの目に、くるいはありませんでしたな。」
アナグマは、得意そうに、メガネをかけなおしました。
「申しおくれました。わがはいは、アナグマ族の学者で、まこと掘りと申します。あなたさまがおこしになり、長い冬がおわりをつげつつあるということは、白い魔女はほろぼされたと、解釈してよろしいのですかな?」
「いや、まだほろぼされてはいない。それは、アダムのむすこたちのはたらきしだいだ。」
「アダムのむすこたちですと? それでは、そこにいるおかたが、アダムのむすこ、すなわち人間なのですな。」
まこと掘りは、うれしそうに声をはりあげると、エドマンドの手をにぎりしめました。
「やはり、人間は実在していた! 神話や伝説のなかだけの存在ではなかった! わがはいの学説の正しさが、ようやく証明されたのだ。」
「このナルニアでは、人間は、伝説のなかの生きものだったんですか。」
「そうですとも。ご存じないのですかな? もっとも有名ないい伝えは、ふたりのアダムのむすこたちとふたりのイブのむすめたちが、ケア・パラベルの四つの王座につくとき、白い魔女の時代はおわり、魔女のいのちもうしなわれる……というものですかな。」
「そんないい伝えがあったんですか。」
ビーバーさんの家を、話のとちゅうでぬけだしてしまったエドマンドは、今はじめて、そのことを知りました。そして、なぜ白い魔女が、じぶんたちきょうだいを手に入れたがったのかということを、理解したのです。
「学者どの。すまないが、わたしはこのアダムのむすこと、たいせつな話のさいちゅうなのだ。」
「これは、失礼をいたしました。では、アダムのむすこどの。いずれ、ゆっくりとお話をうかがわせてください。」
まこと掘りは、そういうと、のそのそと去ってゆきました。
* * * *
「知りませんでした。そんないい伝えがあったなんて。でも、きっと人ちがいです。ぼくたちが……いいえ、ぼくがナルニアの王になるなんて。たまたま、男女ふたりずつのきょうだいだったというだけで、なにかのまちがいです。」
「するとあなたは、あなたがたが、じぶんの意思で、このナルニアにきたと思っているのかね。」
「えっ、ちがうんですか?」
「なんびとたりとも、この私に招かれることなくして、ナルニアに入ることはかなわないのだよ。」
それを聞いて、エドマンドの胸に、新たな感動がこみあげてきました。
「あなたは、こんなぼくを、ナルニアの王になるものとして、よんでくださったのですか。とてもうれしいです。でも、やはり、ぼくには無理だと思います。」
するとアスランは、エドマンドの肩にやさしく手をおいて、いいました。
「このナルニアは、長いあいだ、ふかい雪にとざされていた。だが、今はどうだ? あたりを見てごらん。なにが見えるかね。」
「雪がとけて、緑の草がしげりはじめています。ところどころに、ユキワリソウや、クロッカスや……サクラソウがさいていて、とてもきれいです。雪におおわれていたのが、うそみたいです。ぼくも、こんなふうに、変われるでしょうか。」
「それは、あなたの心がけしだいだ。あなたはくいあらためた。これからは、ただしく生きなさい。」
アスランはやさしく、けれどきっぱりといいました。それを聞いて、エドマンドは、これからはなにがあろうと、アスランのいうとおり、ただしく生きようと、心に決めました。
「あなたのきょうだいたちが、目をさましたようだ。こちらにやってくるよ。」
アスランの指さすほうに、きょうだいたちのすがたを見たエドマンドは、思わずあとずさりをしました。
「どうしよう。ぼくは、みんなにあわせる顔がありません。とくに、ルーに。」
「すぎたことを、いつまでも気にするのはやめなさい。あなたは、くいあらためたのだ。きょうだいたちにも、きちんとあやまれば、それでいい。」
「みんなは、ぼくをゆるしてくれるでしょうか?」
「それは、わたしには答えられないな。」
アスランのきびしいへんじを聞いて、エドマンドは、急に不安になりました。けれどアスランは、すぐにやさしく続けました。
「心配はいらないよ。わたしにまかせておきなさい。」
ああ、そうなんだと、エドマンドは思いました。どんなときでもアスランを信じ、アスランにしたがっていれば、なにも心配することはないのです。そしてエドマンドは、アスランに導かれるまま、きょうだいたちのほうへと、足をふみだしました。
この朝のアスランとの会話を、エドマンドは、一生、忘れませんでした。エドマンドは、ナルニアの王となってからも、おごりたかぶることなく、ただしく生きることを心がけ、ついには、「正義王」とよばれるまでになりました。
エドマンドは、みずからの裏切りのために、サンタクロースからの贈りものを、もらいそこねてしまいました。けれどそのかわり、エドマンドは、アスランのふかい愛とゆるしという、この世でいちばんの贈りものをもらったのです。
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