第2の故郷-香川県詫間町・仁尾町





人間科学専攻3期生
畑 伸興

瀬戸大橋開通の年(昭和63年)に、京都から香川に来た。月日の立つのは早く、もう15年目。香川にもう慣れないと、と思いつつ、まだ道が覚えられない。もともと方向音痴のせいもあるが…。
香川といえば、「うどん」。毎日食べても飽きない。昼は大体うどんを食べる。最近、東京にも進出。
香川は私にとって、「第2の故郷」といえるだろう。香川の中でも、詫間町(たくまちょう)と仁尾町(におちょう)は特にそうだ。両町とも香川県の西にある小さな町である。でも私の人生においては「大きな」町である。では、両町の紹介をしよう。

【浦島伝説の町・詫間】
詫間町は「浦島伝説」の町である。「紫雲出山」(しうんでやま)という山がある。三代目・浦島太郎もいる。でも私にとっての「詫間」は、勤務先がある町である。国立高等専門学校が勤務先である。4学科、5年制、定員800名の学校である。北側は海、南側は山、という場所に我が高専はある。私の研究室からは瀬戸大橋が見える。ゼミやスクーリングへ行くとき、その瀬戸大橋を渡る。いつも研究室の窓から見る大橋を渡ると、本当に遠くに行くような気分になる。また反対に、ゼミやスクーリングから帰るとき大橋を渡ると、帰ってきたという安心感を味わう。詫間には特急列車があまり来ない、特に昼間は。普通列車も少ない。そういう不便さはあるが、近隣の町では大きいほうだ。これからも勤務校での生活は続く。「詫間」は離れがたい町である。詫間町よ、これからもよろしく。

【花とみかんの町・仁尾】
仁尾町は私の住居がある所である。香川県に来てから、結婚した。最初は詫間に住んでいたが、家内が仁尾出身ということで、仁尾に居を構えた。家内の実家と同じ敷地内に家を建てた。すぐ隣が家内の実家。いわば「マスオさん」状態である。でも何の問題もない。
仁尾町は「花」と「みかん」の町である。義父と義母はこの両方にかかわっている。「春は花」。畑のあぜを歩く。色とりどりの花が咲き乱れている。私自身は何度聞いても花の名前を覚えられない。でもその花を眺めているだけで、心が休まる。この時期、不思議と、ジョージ・ギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの私記』が読みたくなる。4月、花の余分な葉を取る手伝いを、たまにする。した後のビールがうまい。
「夏は雛祭り」。この書くと、みなさんはどう思いますか。私も最初びっくりした。昔、仁尾に殿様がおったそうな。この殿様が戦に負け、亡くなったのが3月3日。そうじゃ、雛祭りの日じゃ。これは縁起が悪いと考え、雛祭りは旧暦で行うことになったそうじゃ。これを「八朔(はっさく)」という。この「八朔」は本来男の子の祭りらしいが、女の子のいる家は、この日に雛人形を飾る。小学校4年の娘のため、我が家でも飾る。出身が京都の私は、3月にも飾るが…。10月には「人形祭り」がある。日頃静かな町もにぎわう。
そして今は「みかん」。みかんといえば、同じ四国の愛媛県が全国的には有名。しかし我が仁尾町のみかんもおいしい。この時期、みかんの収穫の手伝いを、たまにする。した後のビールがうまい。はさみを使い、みかんを枝から取る。そして切った枝の残りをもう一度はさみで切る。これを「二度切り」という。そうしないとみかんに傷がつく。私の息子はみかんが大好きである。今、小学校2年生。3・4歳の頃より、みかんが食べたいと思ったら、納屋へとさっと駆け出す。そしてみかんを取ってくる。納屋の中はみかんでいっぱいである。でも賢いところは、絶対に売り物のみかんには手を出さないことだ。いわゆる「くずみかん」をちゃんと取ってくる。そしておいしそうな顔をして食べている。その顔を見ると、私もみかんが食べたくなる。もし近所で香川産のみかんを見られたら、特に仁尾のみかんを見られたら、ぜひご賞味あれ。
高齢者が多い町で、過疎化がすすんでいる町ではあるが、夏は海水浴もできる町である。居を構えたこともあり、このままこの地でいることになろう。仁尾町よ、これからもよろしく。

現在、「町を合併し、市とする」動きがある。詫間と仁尾は隣どうしということもあり、同じ市となるであろう。これから両町がどのようになるかは、今はわからない。でも市になっても、名前も残るし、私の生活が急に変わることはない。いつまでも良い町であり続けるだろう。
もうひとつ故郷ができつつある。それは「大学院」である。年に何回かしか訪れることのない場所ではあるが、今の私にとっては精神的な故郷である。これからもよろしくお願いします。