迷路からの脱出
―日大英文学会での研究発表を終えて―





文化情報専攻3期生 深堀真理子

 平成14年10月19日(土)いつもと同じ飛行機に乗り込み東京へと向かいました。JAL
352便福岡7時10分発東京羽田行きの飛行機は私の通学便です。日大の通信制大学院に入学してからはこの始発便を利用して、市ヶ谷の日大会館で行われるゼミに参加してきました。通信制とはいえ、実際に顔を合わせてのゼミが行われることもあり、都合がつく限り出席してきました。いつもはメール等で連絡を取り合ったり、論文指導を受けたりするのですが、面と向かって話せるゼミは絶好のチャンスです。ここぞとばかりに特別研究担当の寺崎隆行先生を質問攻めにし、話の中から修士論文という大きなパズルの1ピースを探し求め、ゼミの皆さんとはさまざまな情報を交換し合います。しかし、ゼミの前は準備に追われ、毎回睡眠不足で空港に駆けつける始末。飛行機の中でも狭いテーブルいっぱいに本や資料を広げ、難しい顔をしてそれらとのにらめっこ。一度くらいは窓の外の景色をのんびり眺めてみたいと思いながらもこの1年半は大空での勉強の繰り返しです。
 この日はいつものゼミではなく、日本大学英文学会10月例会での研究発表のための上京でした。会場は下高井戸の日本大学文理学部。今回ばかりは研究発表ということもあり、準備万端整えて家をでましたが、飛行機の中でも電車の中でも発表原稿を手放さずにはおれませんでした。会場にも早めに行き、発表場所に立って声を出してみたり、何度も原稿に目を通したりしてみましたが、心臓の音は高鳴るばかりで一向に落ち着くことはできません。教育実習を経験してはいるものの、黒板の前には先生方、私は机について講義を聴く、という慣れ親しんだ状況とは逆の立場はとても居心地が悪いものだと再認識しました。しかし、度胸の無い私にくださった「これを発表するまでは、絶対に死ねない。」と思うようにとの寺崎先生からのメッセージを思い出し、「『緋文字』の一考察 美から真への円環 ―ヘスターからディムズデールへ―」という題目のもとに20分の発表を行いました。発表後の会場の先生方からの質問には、正直いって冷や汗をかきましたが、これらの質問には大いに触発されました。この発表をもとに修士論文を完成するにあたって一層深みを与えてくれるアドバイスともなりました。
 今回の研究発表のテーマは素朴な二つの疑問から始まりました。しかし、『緋文字』(The Scarlet Letter, 1850)はアメリカの作家ナサニエル・ホーソーン(Nathaniel Hawthorne, 1804-64)の代表作であるため、すでに数多くの研究論文が発表されていることもあり、私のような一大学院生が持つ単純な疑問は文献をいくつかあたれば簡単に解消されてしまいます。かといって途方もなく無謀な計画も一社会人としてフルタイムで働いている者にとっては、時間が足りずに計画倒れにもなりかねません。寺崎先生と何度も話し合い、原作を細かく何度も読み進めることからすべてが始まりました。その結果浮かび上がった疑問点二つを中心に発表へと持っていくことになりました。その疑問とは次のようなものです。
 本文には、17世紀のボストンにおけるピューリタン社会での人間模様や登場人物の心模様が描かれています。ところが、この作品には、本文の他に全体の約5分の1にもおよぶ序文がつけられています。この序文には「税関」(The Custom House)というタイトルがつけられており、作者ホーソーンが輸入品検査官として働いていたボストン近郊のセイラム税関のことがスケッチとして描かれています。この序文が初めて発表された時には、ホーソーンは既にその職を追われていたために、一大センセーションを巻き起こしたとまでいわれています。ところが、その後も物議をかもした「税関」には一切手を加えられることなく、そのままの形で『緋文字』の第二版が世にだされました。この序文「税関」は一見本文とは全く関係が無いように思われる内容が描かれているため、しばしば訳本からも省かれるということが起こるのですが、作者ホーソーンが敢えて序文とした意図は決して見逃すことはできません。そこで、なぜ「税関」が序文とされたのかが第一の疑問でした。
 次に、第20章に「迷路の牧師」(The Minister in a Maze)という章があります。牧師は物語の始めから犯した罪を告白できずに青白い顔をして苦悩し続けるのですが、タイトルから想像すると第20章も相変わらず牧師の心は迷い苦しんでいる姿を思い描いてしまいます。ところが、この章にみる牧師はそれまでの牧師とは全く別人のような人物で、もはや心の迷路をさまよう牧師を見つけることはできません。牧師はすでに迷路から脱出していたのです。それなのに、なぜ「迷路の牧師」というタイトルがつけられたのかが第二の疑問でした。
 この二つの疑問を解く鍵はホーソーンの心の状態にありました。心の状態を調べていくことによってホーソーンと牧師の共通点、つまり心の「迷路」がみつかったのです。この「迷路」とそこからの「脱出」を知ることこそ、『緋文字』の新たな解釈が成り立つのだと思いました。そして、ヘスター(Hester Prynne)的なる美から牧師ディムズデール(Arthur Dimmesdale)的なる真への円環という結論に至り、今回の発表としました。結論を導き出すまでの過程は、まさしく私自身が迷路の中でさまよっているといっても過言ではない状態でした。作家として名を成したいホーソーンが生活のために税関の検査官として働かなければならなかったことを考えると、私も仕事をしながら勉強を続けることは同じことなのかもしれないと自分の立場をホーソーンに置き換えてみたりすることもしばしばありました。しかし、迷路からの脱出は思いのほか時間がかかり、精神的にもかなりの負担でした。寺崎先生のご指導なくしてはここまでくることもできませんでした。10月の発表を終え、今やっと迷路の全貌が見える所に立てたようです。修士論文を書き上げることができればその時にやっと本当の意味で迷路から脱出できるのではないかと思います。ホーソーンの名前を初めて耳にし、『緋文字』を読んだのが高校生の時でした。それから20年が経ち、いまだにホーソーンを追いかけています。ホーソーンの『緋文字』で学士論文を書き、修士論文を書き、研究発表をさせていただくことができ、ホーソーンとともにすばらしい経験を積んできました。いつも協力してくれている主人がヤキモチを焼きそうですが、これからもずっと私はホーソーンを追い続けることだろうと思います。そのたびにまた迷路へ突入することもあるとは思いますが、また新たな迷路からの脱出計画を立ててみようと思っています。そして、大学院を修了するまでまだまだJAL352便との付き合いも続きそうです。