寄稿文ACRP大会





国際情報専攻4期生 関口泰由

イスラム・ヒンズー・仏教・キリスト教・道教・神道
諸宗教代表者400名がアジアの平和の為にインドネシアに結集
〜第6回アジア平和会議インドネシア大会奮闘記〜

有名なボロブドール仏教遺跡を見学するインドネシア人イスラム教徒の女学生

 皆さまは、「宗教」と聞くとどのようなイメージをもつでしょうか?
 “うさんくさい”“あやしい”“年寄りの道楽”“あぶない”などでしょうか。
 最近では、欧米諸国でも無神論者が増えてきたと聞きますが、少し前までは一般
的な日本人が外国人に「私は無信仰です!」などと胸を張って言ったために、バカ
にされた話をよく聞きました。冠婚葬祭など我々日本人の生活にも宗教は深く関わ

っていますが、自分が信仰を持つことをうしろめたく感じる国民は、私の知る限り、
日本人と北朝鮮の国民だけではないかと思います。
 本大学院関係の皆さまは、海外経験の豊かな方が多いので、外国人の多くがその発言や行動形態の中に、それぞれの信じる宗教思想の影響を少なからず受けていることをご存知のことと思います。しかしながら、特に我が国においては、宗教が世論で脚光を浴びるのは、宗教を背景とする(とマスコミが決めた)紛争や事件が発生した時のみですから、良いイメージが持てないのも無理はありません。現に、日本で最近宗教が脚光を浴びた問題を振り返っても、国内ではオウム事件であり、海外では昨年9・11に発生したテロ事件でありました。
 余談ですが、テロ事件を切っ掛けにイスラム教が負の烙印を一方的に押されてしまったため、皮肉にも、日本の宗教界にイスラム教についての正しい理解を深めようという機運が生まれ、国内イスラム組織との交流が盛んになり、結果、私が勤める(財)世界宗教者平和会議日本委員会にも、日本ムスリム協会会長が役員として加入されるという副産物が生まれたりしました。

中央が小生、右が白柳枢機卿

 かなり前置きが長くなりましたが、本稿の目的は、私が本年620日〜29日にかけて出張致しました「第6回アジア宗教者平和会議(ACRP)インドネシア大会」の報告をさせて頂くことにあります。

 しかし、その前に、簡単に私が勤める(財)世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会についてご説明申し上げます。
 WCRPは、1970年に日米の宗教者が中心となって京都で発足した諸宗教協力組織です。発足前夜は、多くの専門家や政治家から「異なる宗教者が協力することなど夢物語にすぎない」などの批判を頂いたそうですが、日米宗教者の粘り強い説得によって第1回京都大会には、ソ連や東欧の宗教者を含む15余りの宗教代表者30カ国220名が参集し創設されました。
 その後、31年、5年に1度開かれる世界大会も前回1999年開催の中東ヨルダン・アンマン大会で7回目を数え、世界70カ国から1,200名の参加者を集めるまでになりました。本部はニューヨークに置かれ、世界十大宗教代表者を網羅し、40数カ国に常設地域委員会が設置されております。そして今や宗教協力は宗教界の常識となりつつあります。
 WCRPの目的は大きく2つに分類できます。一つは、異なる宗教者の出会いの場を作り、相互の理解と信頼醸成を育むこと(宗教対話)。2つ目は、そうして生まれた信頼関係もとに、協力して社会の諸問題へ取り組むこと(宗教協力)です。そのため様々な紛争解決へ向けて、対立する宗教指導者どうしの仲を取り持ち、対話組織を発足させ、紛争和解に寄与する努力をしており、旧ユーゴ、アフリカ各地、南北朝鮮問題、カンボジア、アフガンなどで一定の成果をおさめております。
 私の勤務する日本委員会は、WCRP地域委員会の一つで、仏教、キリスト教、神道、新宗教各派の代表よって組織された財団法人です。代表役員の理事長は、カトリックの白柳枢機卿様にお勤め頂いております。また、日本委員会は、WCRP発足時のオリジナル委員会でもあり、アジア宗教者平和会議(ACRP)発足の中心的役割を果たした委員会として、この度のインドネシア大会まで、過去25年間、ACRP事務局も兼ねておりましたので、アジア本部的な位置付けにありました。
(今大会で韓国人事務総長が誕生、ACRP事務局は韓国に移ることとなりました。)その為、この度の大会には、私を含む日本事務局全員が運営に携わったわけです。
 今までの経験から覚悟はしておりましたが、10日間の平均睡眠時間は3時間を切り、体重も6kg落ちました(これはうれしいことですが)。また、事務方ですので、会議の運営、不測の事態への対応に追われ、ついに一度も会議のフォローができずに終わってしまいました。

第6回アジア宗教者平和会議(ACRP)インドネシア大会本会議の模様

 それで、会議参加報告と言いながら、会議の内容については添付の大会宣言文や分科会(研究部会)報告の資料などをご参照頂くこととして、本稿は、1人の事務方が見たアジア宗教者大会のこぼれ話しを中心にご紹介したいと思います。

 とは言え、先ず、会議の概要を簡単にご紹介します。ACRP大会はWCRPのアジア地域会議として5年に1度アジア各地で開催され、1976年発足以来、この度のインドネシア大会で6回を数えます。開催地となったインドネシアの古都ジョグジャカルタは、ボロブドール遺跡で有名な場所ですが、同時にイスラム教右派の勢力の強い地域で、9・11テロ事件後暴力的なデモ行進が行われるなど緊張が高まりました。
 実は、この度の大会は、5年毎の慣習から2001年に開催されなければならず、昨年11月開催の予定でした。しかし、テロ後の国際情勢から、先ずパキスタン人のACRP議長一行の出国が不可能となり、開催地の治安の悪化から東ティモール代表団が参加を取り消し、受け入れのインドネシア委員会も参加者の安全に自信が持てないと表明するなどの事態が相次ぎ、止む無く本年6月に延期されたのでした。しかしその結果、予定していたアフガニスタン代表は不参加となりましたが、東ティモール、北朝鮮、中国、台湾からの代表を含む参加者は、アジア22カ国から400名が参集し、11月時点の参加予定者300名をはるかに上回りました。
 大会の総合テーマは「アジアの和解と協力」で、本会議の他に「軍縮・安全保障」「環境・開発」「人権」「子供と女性」「平和教育」の5つのテーマでの分断討議会(研究部会)が開かれました。
 テロ事件から半年以上経っているとはいえ、アメリカ軍の攻撃が続く最中の会議ということもあり、南アジア代表を中心に、アメリカへの批難発言が相次ぎました。それに対して、アメリカからの出席者が、テロ事件を称して「イスラミック爆弾」と発言した為、参加全イスラム教徒が反発、一時は、会議中止かというところまで行き、事務方は、はらはら、ドキドキ致しました。しかし、そこは宗教者の集まり、仏教徒などが中心になって両者を仲介し、最終的には和解に漕ぎ付け、今後、アジアの宗教者とアメリカの宗教者の対話チャンネルを開き、アフガン問題の解決に向けて協力していこうということになりました。

第1軍縮・安全保障研究部会の模様 最後は、みんなで手を取り合った

さて、事務方のこぼれ話し。
 現地入りした翌日、ちょっとした事件がありました。お酒を一人一本しか持ち込めないインドネシアにあって、事務局の虎の子ブランディーが紛失したのです。酒に執着心の強い日本人スタッフを中心に事務局に激震が走りました。ところが、それは事務局一まじめと目されていた、シンガポール委員会派遣のシーク教徒の青年が、寝酒にこっそり飲んだと分かり、ひたすら反省する大柄で髭面の彼の姿に、多国籍軍の事務局の雰囲気が一気に和みました。幸か不幸か、その晩から深夜2時からの事務局反省会と称する酒盛りが始まりました。おかげで、睡眠時間は減ったものの信頼関係は増えました。スクーリングのハッピーアワーと同じ原理ですね。

こぼれ話し【その2】
 開会式には、メガワティー大統領が出席しスピーチをされましたが、そのため、会場は前夜からものものしい警戒態勢がひかれました。当日の朝は、一人一人会議場入り口に現れた警察、軍人によって持ち物検査が行われ、玄関前は大混雑、全員が入場を完了するまでに2時間も掛かってしまいました。
 そして、いよいよ大統領の到着、入場。玄関ロビーで待ち構える群集の最前列に私も立ちました。ところが、先ず玄関に到着したのは兵士を満載した軍用トラック、降りてきた兵士は我々の前に立ちはだかりトウセンボをしました。そしてできた赤絨毯の分だけの通路を、20〜30人の政府要人、将軍などに傅かれた小柄な大統領が微笑を浮かべて入って来られました。私は、大統領が目の前を通過する刹那、思わず兵士の脇の下から手を出し、大統領と握手をしました。
 別に、私は、メガワティ大統領に日頃敬服しているわけでもなく、握手してもらうつもりもありませんでした。しかし、列の何人かが握手を求め、気軽に応じる大統領の姿を見て、有名人に会うと上気してしまう日本人の性(サガ)が呼び覚まされてしまったのでした。その直後、若い女性スタッフから「関口さん嬉しそうですね」と言われ、我に帰り、恥ずかしい思いを致しました。

こぼれ話し【その3】―韓国編―
 今大会は、ワールドカップサッカー日韓大会の後半トーナメント準決勝の最中に行われました。日本は幸か不幸か、私共の現地入り前にトルコに敗戦しておりましたが、勝ち進んでいた韓国人参加者は、幸せ一杯、気もそぞろでした。我々日本人の前では胸を張り、「韓国を日本も応援していますよ。」という日本人のお世辞に高笑いを返しておられました。
 準決勝のドイツVS韓国戦の時間は、あいにく、ジョグジャカルタの王様(スルタン)招宴の大夕食会が開かれる時間に当たっておりました。ところが、40名ほどの韓国人参加者は、夕食会場にテレビモニターを持ち込み、スルタンのスピーチに背を向けてサッカー観戦をしはじめたのです。気持ちは分からないでもないですが、これにはインドネシアの参加者が憤慨し、韓国人の前でドイツの応援をし始めました。食事が始まると、韓国人集団の中から「大韓民国」の掛け声も聞こえ、サッカースタジアムと化しておりました。
 ともあれ、日本委員会青年部会から東ティモールの代表へ、子供達へのスポーツ用品が贈られたり、会議中の昼食をキャンセルして、その分をアフガン難民への支援金としてプールしようという提案が実行されたりと、宗教者の集まりらしい心温まる場面も多く、全体としては、和やかな雰囲気のもとで会議が進みました。
 私にとって、最も嬉しい出来事は、カンボジアの代表団が全体会議の中で、カンボジア委員会の発足を宣言したことでした。日本委員会は、20年前のポル・ポトによる虐殺の最中から、カンボジア難民支援活動を続けてまいりましたが、その事業の中心的役割を演じられてきた比叡山天台宗の高僧が、5年前からカンボジアの宗教界に働きかけてきた「カンボジア諸宗教対話委員会構想」が実を結んだ瞬間でした。実は、私は当初から、事務局担当者としてこの計画に関わって参りました。
 カンボジアは、全国民の93%が仏教徒で、マハムニ派(大衆派)とトマユット派(王室派)の2派に分かれて対立しておりましたが、昨年ぐらいからようやく両派が話し合える雰囲気ができ、両派揃ってカンボジア委員会への参加を表明するに至りました。また、人口の5%を占めるカンボジア第2の宗教であるイスラム教各派からもWCRPへの参加が決まり、更に、残るキリスト教やその他の諸宗教への働き掛けも進んでおります。
 そうした状況を背景に、ACRP大会に、仏教両派の法王様とイスラム、キリスト教の代表、さらに宗教・文化大臣が出席することとなり、委員会発足宣言へと繋がったのでした。

インドネシア富士が毎日よく見えました

最後に現地の気候について。
 昨年6月に現地下見をした時には、現地の酷暑に閉口しましたので、私達日本人は暑さ対策に神経質になっておりましたが、大会開催中は、うそのような爽やかな晴天が続き、心地よいそよ風が吹いて、拍子抜けするほど過ごし易い毎日でした。現地の人も不思議がっておりましたが、やはり神仏がお見守り下さったのだと思えました。

 尚、本件について、ご意見、ご質問のある方は、(財)WCRP日本委員会ホームページの書き込み欄にご寄稿ください。お返事申し上げます。
アドレスは、www.wcrp.or.jp です。

THE END