国際情報専攻 長井大輔

「言論自由の歴史としての存在」

 マルチメディア時代が到来して既に数年の時が過ぎた。マルチメディアが人々の生活に浸透したことにより情報は必要時に必要な分だけ探し出せる環境が整ったのだ。それに伴い総合雑誌の存在は今、以前のような位置付けでは無くなった。それは情報化社会において月刊誌というスピードが、日刊や週間の雑誌の専門化した存在がたくさん増え、必要な情報を狭く深くなる得ようとする傾向にあるからだ。このような情報がリアルタイムに乱れ飛ぶ時代に、情報の価値は下がったと言わざるを得ない。真実は一つなのに情報は色々な事実を伝えることもしばしばである。情報は無条件で信じるものではなく、噂の眷属の仲間入りをしてしまったのではないだろうか。
 総合雑誌は社会と戦った歴史を持つ伝統的なメディアである。言い方を変えれば月刊誌というスピードの中で、真実を追究する機関としての存在でもある。インターネットを始めとする伝達のスピードには到底及びようもないが、情報の質と言う点では最高であると言えよう。これからの社会を考えて、必ずしも情報が正しく伝わるとは言えない。逆こういった時代だからこそ、総合雑誌の存在が情報の審判者たる存在なのだ。
 雑誌という形態は時代の変化に伴い変わる可能性はあるが、何時の時代も必要不可欠な存在である。