国際情報専攻 近藤一視

「総合雑誌の再生に期待する。
         生き残りのために」

 昨年、経済問題を論ずるために創刊された総合雑誌『T』が僅か6年で廃刊の末路にいたった。当時の編集長が「言論不況」が原因と締めくくった。 出版不況に加え、言論の確たる一貫性の欠如が社会の先導役を果たしきれなかった自戒の結果だと述懐している。(2001.5.1朝日新聞 p17) まず総合雑誌の定義から入るのが常道だが、ここではとりあえず我々を取り巻く大方のジャンルを網羅した真面目な雑誌と常識的に考えておく。
 この総合雑誌が社会・国民にとって有用か無用かの議論を生んだキッカケこそ冒頭の言論不況に代弁される昨今の由々しき現況がその根っこであることは疑う余地がない。メディアの多様化、言論の混乱、志操の不在、とくに収益優先の読者に対する迎合的内容や、広告・宣伝に冗長な紙面の確保などがますます広告雑誌の様相に類似してきて、かえって分厚いがゆえに売れなくなってきている。読者離れを起こすという悪循環になっている。
 出版物の横溢、テレビ、新聞、はてはインターメットに至るまで情報には事欠かない時代。購読されない雑誌では経営が成り立たたない。見方を変えれば世論に迎合するものしか生き残れない。まてよ、これが本当の姿なのか。
 そこでもう一度、総合雑誌の原点に返って考えてみたい。総合雑誌が発祥以来時代に応じて果たしてきた役割は総じて社会をリードし、ときに木鐸としての力を発揮してきたことを忘れてはいない。あるときは警鐘を鳴らし、あるときは国民を激励し、はたまた将来への進路について確固たる示唆を与えてきたことを思い起こさねばならない。
 確かに、情報の多様化や、意見の多岐化、「何でもあり」風潮の取り入れの時代かも知れないが、だからこそ社会や国民に信念のある筋のしっかりした言論を提示できるのが総合雑誌のもつ最大のメリットである。さらに他のメディアでは決して出来ない多角的論点や、多くのジャンルからの論評を同時並行で掲載できる大きな利点がある。つまり総合的観点に立った論述が可能であるところが他のメディアと決定的に異なる。さらに経営的理由は否定できないまでも、広告・宣伝・購買のために読者が喜ぶものに偏る傾向が他のいい記事を見落としかねない現状を生む。ここに無用論の付け入る口実を作る。
 総合雑誌は有用である。そのためには、売れることよりも、読んでもらえる。知って、教えてもらえる記事や論文、国家や社会や国民にしっかりアドバイスする、そしてリードできる論陣。なによりも信念や、主張のしっかりした内容に精選された総合雑誌に再生してゆかねば未来はない。総合雑誌には夫々個性がなければいけない。そうすることで総合雑誌は確たる読者がしっかり支えてくれる。  以上