Amtrak 博物館 図書館 動物園 ミュ−ジカル
−アメリカを一寸− −情報の共有?−


国際情報専攻4期生 長谷川昌昭


1 Amtrak

Amtrakは、皆様ご承知の通り、アメリカで唯一の全国規模の旅客鉄道組織で、正式名称は、National Railroad Passenger Corporation.です。 Amtrakは通称て、AMerican,TRavel,trAck,の三語を元に広告代理店が合成した言葉。私企業ですが、株主は米運輸省で理事会(重役会)9人のメンバ−の内で大統領が5人を、運輸長官が2人を任命し、実権は、連邦政府が握っている。業務は、45州の500以上の都市を結ぶ中長距離旅客列車の運営・機関車や客車等の車両と一部の旅客駅設備を持ち、これに関連の職員がいる。鉄道線路は、ボストンとワシントンDC間以外は所有してなく、既存の各鉄道会社(貨物列車だけ運営)と契約し、その路線にアムトラックの車両で運営している。他に大都市近郊の通勤輸送、都市郵便施設間ての小包等の郵便物輸送等です。

ここ10年程の間に、私の海外渡航は、米国に限っても1991の湾岸戦争後に「米国の治安実態調査研究視察」で、米国東部・中西部6州  8都市への約20,000哩の公用出張を始めとして、それ以降、いささか米国カブレで、去る620日から29日までの米国とカナダへの旅を含めて、13回程です。
91’
は公用でしたが、その後は、総て自分の時間に、一切自分の費用で、日程は自分で独創し、その過程で友情を確かめたり、往時携わっていた仕事にも反映させたつもりです。

具体的には、地方や国に勤めていた時は、訪問地の治安機関のトッブの秘書と事前に折衝し、訪問時に半日程はトッブを表敬訪問してブリィフィンクを受け、帰国後に装備や現場措置等の改善策を献策し、また 金融関連会社に勤めていた時は、NYの連邦準備銀行と事前にコンタクトし、世界一金の貯蔵($1500億)する地下80フィ−トの設備とインゴットの管理状況と金庫管理システムや証券取引所では、世界の動向を顕著に示す取引所のシステムや保安実態等を部店長研修の場で紹介したりしました。
 米国の50州の半数は立ち寄りました。NY DC DEN HONOLULUは、三回以上訪問。大陸横断のAmtrakは南部以外を西海岸から東海岸の主要路線はSleeping Car First classで体験しました。

最初は91’にデンバ−からシカゴへの1,037キロの旅は30分も同じ風景の大草原や大牧場、大ミシシッピィ川、所々に閉鎖されたままの荒廃した工場跡地、当時の厳しい財政事情や失業率をみせつけられた印象が強烈だった。同じ91’にラスベガスからデンバ−は、1,020キロの旅で荒涼とした砂漠や荒野の間をコロラド川にグランドキャニオンの源流からの流れる豊富な水流にラフティング・ボ−トが荒々しく下る光景が車窓から、眺められた人気路線は、生涯忘れえぬシ−ンでした。その後 98’にサンフランシスコからデンバ−へは(正確にはサンフランからエミリイバレェまでは連絡バスに乗車)2,263キロのカリフオルニァ、ゼッファ−号は、一番人気路線の名に恥じず、アメリカ大陸の分水嶺、ロッキ−山脈の山越えの米国屈指の景勝ル−トは、清々たる山々に樹木の濃彩は、自然が与えてくれるダイナミックな風景と安堵感に、深い息をしてしまう車窓の連続で、ビディオやカメラのフイルムは何本あっても足りなかった。

 中近距離路線では、91’98’NYDC間の365キロ($120)に今回のボストンとNYの間の369,6キロ($185)の3回とも、First Classは十両程の編成に一両のみでした。

旅は、企画の楽しみ、検証の楽しみ、実現の楽しみに加えて紀行文やアルバム編集の楽しみ、 そして異文化へ触れる楽しみと確信しています。 旅行会社は一度も利用してませんし、勿論 海外への格安団体等ツァ−の経験も皆無です。しかし 創造 の旅は厳しい自己責任ですが、ハワイやデンバ−では、管理職以上の英文名刺提示で土日半額やリィピ−ィタ−・シニア20%OFFは現地の常識でした。

キット次のことを比較検討されましたら、皆さんもご理解いただき、ご賛同下さると思います。
去る62613:20Boston NYPen16:42着の Acela Express(特急座席指定食事・飲物付)は、369,6Km \23,562(1$=126)でした。発駅のボストンと終着駅NYPでは、赤帽が私どもの手荷物のス−ツ ケ−ス四個を持ってくれ、駅の特別待合室から、案内付きでした。

平成14年6月26日(2002)Amtrak Acela Express
First Class Club Car
BOSボストン〜NYPニューヨーク
13:15発 16:42着 369,6Km@\23,562
手荷物は赤帽が発・着駅で列車へ搬送 First Class Club Car は、
他の乗客は通行も不可。ランチは自席でアラスカサアモンに
鱸のソティの前菜にメインディッシュは、NYスティキ。シャンペインと
ワイン・ビール・ジュースはフリーデザァト飲み物付。
★東京〜岐阜羽島 369,3Km@\15,290(クリーン料金込み)
●某社の現地ツアーパンフレットには、ボストン〜ニューヨーク
\50,000で座席指定無しで、赤帽不足につき手荷物は自己搬送で、
食事も無しと記載。

乗車しますと車内での遅い昼食は、機内のビジネスクラスよりも広くゆったりしたリクライニングの自席において、列車のアテンダントが給仕するアラスカサアモンと白身の鱸で、前菜は生ハムと生海老にシャンパンを楽しみながら車窓には、米国東海岸の景勝地プロパンスやニュ−ウへブンの海岸線から、大西洋に浮かぶヨットを眺めての贅を尽くしたものでした。程なく列車は、NYの摩天楼を右に望んで、マジソンスクエアガァデンの地下にあるペン駅に到着し、赤帽が私どもの手荷物のス−ツ ケ−スを持ってタクシ−ベイへと先導してくれました。十両程の編成にFirst Classは一両のみで、他の乗客は一切立ち入りさせず、別世界での旅が楽しめます。この線は三度目です。First Classの客は他の車両への移動は自由で、その逆は駄目。車内風景は、米国の風俗習慣や米国の発展に伴っての鉄道等の発達の跡を直に触れるには絶好の旅のスタイルと思います。
 参考ですが、ほぼ同一の距離の東京と岐阜羽島間が369,3Km\15,290(G料金含み)で四時間です。しかも 安売りで有名なH社の広告でさえもボストンとニュ−ヨ−ク間は、座席指定なしで、赤帽不足(不足してませんでした、待機しており到着時に赤帽が車内まで来るので待ちなさいとのアドヴァイスがありました。)で手荷物は自分で、との旅行方法の契約約款で\50,000と掲載ありましたが。アメリカを一寸の情報です。

2 博物館 図書館

MUSEUMやLIBRARYと言う方がご理解いただけると思います。

博物館は、世界各地に所在して、古今東西に及ぶ考古学的資料やそれぞれの博物館自体の特徴とする美術品や歴史的意義のある遺物・学術的資料・等を文字通り世界各地から蒐集したものを保管・管理し、これを組織的に平易に理解しやすく、陳列して、多くの公衆の閲覧又は興味・研究に供する施設とその蒐集品等についての調査・研究をする機関の総称であって、図書館は、ご存知の例の図書館です。

米国デトロイトのヘンリ− ・フォ−ド博物館を去る6月22日に訪れました。

そこは、デトロイトで3日目のボストンへ夕方発つ日の午前中に、宿にしていたベスト ウエスタン グ−りン フイルド インから10分程のところにあり、 宿から送迎してもらい半日がかりで楽しみました。蛇足ながら今回の渡航で、デトロイト、ボストン、ニュ−ヨ−クの三都市へmailFaxでリクエストした中で、デトロイトが一番早くReservation Noが送付され、空港送迎付で、一泊$140でした。

◎平成14年6月20日(2002) Best Westrm Greenfild Detoroit MI USA
玄関ロビィ脇にて                 ○一泊二人空港・フォード博物館送迎・朝飯付
広いツインベッドルーム             ○$140@\126@\8,820
フォード博物館のT型フォード

フォ−ド博物館のメインは、米国自動車の歴史や巨大な蒸気機関車等が展示されている他、米国の生活史全般にわたって、網羅した膨大な博物館と言うよりも一つの街か村を形成しているようでした。自動車の歴史のコ−ナ−には、T型フォ−ドを初めクラッシックカ−歴代の名車が年代順に展示されている中で、唯一日本のホンダのアコ−ドの米国国産車第一号に出逢い懐かしかった。歴代の大統領専用車のリンカ−ンの巨大なリムジンは、米国市民の大人気の的でした。


◎平成14年6月21日(2002) Canada Windsor
カナダのオンタリオ州のウィンザー側からデトロイト川越しにアメリカのミシガン州の
デトロイト市GMビル群を望む

デトロイトは、ギリシヤ移民の多い都市で、有名なギリシャ料理店 Pegasus Taverna を
丁寧に教示してくれたデトロイト市警のバトロールマン氏

◎平成14年6月25日(2002) Boston Public Library
1895年に開館 旧館の中庭は、中世の貴族の館の佇まい
有名な主閲覧室 Bates Hall は天井が15mもあり
インテリアがゴウジャスなアーチ形

ボストン公共図書館へは、ボストン4日目の6月25日の午後に訪れました。

ボストン公共図書館は、建築学的に大変興味深い建造物です。ダ−トマス通りに面した東側は、ルネッサンス復古調造りの古典的な彫刻像等が鎮座し、他方のボイルストン通りの北面は、超近代的なオフィスビル風の両極面の設計が同居する米国でも、珍しいものだそうです。私どもは、ア−チが美しい東側から入りましたが、出口でのカバンのチエックだけで、誰でもが自由で、旧館の中にある中庭は、中世の館を思わせる佇まいでした。旧館からの正面は大理石の階段、その両側の巨大なライオンの石像は、南北戦争に向かうマサチュ−セッツの連隊を記念して贈られたものだそうで、荘厳さと威厳を備えている獅子像は、入館者に自信と研究意欲を与えてくれるのを感じました。その上の主閲覧室のBates Hallは、インテリアがゴ−ジャスで、ア−チ形の天井の高さは何と15Mもありました。

私は我が小松ゼミの小松 憲治教授が、若き日に日本を代表する研究者として文部省が選抜した長期研究員として、このボストンのH大でご研究された頃に、キットこの図書館のこの主閲覧室で、研究資料を「渉猟」されたことに想いを馳せらせました。海外旅行の将に異文化に接して院生に戻った瞬間でした。

ボストンでは、ボストン美術館をNYでは、世界四大美術館の一つメトロポリタン美術館にも寄り、それぞれ一日かけても何分の一しか、見れずでした。それもその筈です。MOMAには、世界各国から毎年500百万人以上が訪れ、ギャラリ−の数は236と世界最多を誇り、そこに展示の品々は所蔵の1/4のみで、その他の 3/4は収蔵庫に眠っているという。

◎平成14年6月27日(2002) The Metropolitan Museum of Art
 屋上のモニュメントと屋上からのNYの摩天楼群
1866,7,4米独立記念祝賀晩餐会がフランスのパリで開催時に設立の建議
1870 所蔵品第一号 トルコ富豪アブド・デッパス寄贈の石棺
1880 現在地にレンガ造りで完成。       世界4大博物館の1つ
(ロンドン大英博物館、サントペテルブルグのエルタージュ、パリのルゥブル)
コレクション数は、200万点、世界各国から毎年500万人以上が訪れ、スタッフ数も1500人近い。
ギャラリー数は、世界最多の236を誇る
全コレクションの約1/4を展示、残り3/4は収蔵庫に眠る。

3 動物園 ミュジカル

通称は、Bronx Zooですが、正式にはThe International Wildlife Conservation Park 国際野生保護公園です。

◎平成14年6月27日(2002) Bronx Zoo
19世紀末に設立1993,2にZooでない動物園
The International Wildlife
     Conservation Parkと改名
265エカーに650種4,000頭が日本と全く違う環境で飼われている。

NYに到着した翌日の朝に、マンハツタンから地下鉄でハ−レム川を渡って着いた。アメリカNo1を誇る同公園は、ブロンクス川の土手沿いに19世紀末に創られ、265エ−カ−の敷地に約 650種、約4,000頭が屋内と屋外に飼われており、日本の動物園とは、全く違った飼われ方で、のびのびと跳ね回っている動物達を見ると 将に 動物園の運営までも異文化かと考えてしまい勝ちですが、広い園内は、とても歩いては無理で、三種類の乗り物が園内を小型バスやモノレイルレや空中ケイブルでそりぞれが$1と安価でカイド付きで、くまなく案内してくれる。 1993,3に動物園より重要な役割を担っているとZooから改名しただけあって、一見の価値があるし、日本人は殆んど見かけなかった。ブロンクス地区は「世界最悪の犯罪地区」と謳われているところなので、地下鉄ではどうもと言う向きには、マンハッタンから急行バスも出ていた。台北・香港・ホノノルル・マウイなどでも動物園を見ましたが、NYは一味もふた味も、規模と運営のポリシィが違っていた。

ミュジカルには、ボストンからNY入りした6月26日の夜。ガイドブックには、NY入りした夜は、時差ボケでゆっくり楽しめないので、避けた方がベタ−と記載されていたので、昨年8月は、到着の翌日夜にしたら、東京の一流ホテルで事前予約した席がダブルブッキングでした。「詐欺だ」(英語は簡単Trick)と延々と交渉の末、一階席が三階席になり、差額は帰国後返金を受けて「フアントム」を見た教訓から、この度は、日を変えNY入りの夜「ライオンキング」をオ−ケストラボツクス席で、昨年と同じ東京で、切符を求め、同じ値段で、大いに楽しめた。そのためには、開演一時間前に自席の確認(リコンファ−ム)したのが、功を奏した。

4 教訓と旧交の絆の確認

ここでの教訓は、米国ではダブルブッキングは珍しいことではないので、大事な事は、必ずリコンファ−ムする習慣が、必要だということでした。私は旅の楽しさは、ネゴシェイションだと思います。更に 事前準備の段階で、訪問地の在日代表事務所や州観光局がとても親切丁寧で、四谷見付所在のボストン観光事務所を訪ねたら「地球の歩き方」(\1,600)をプレゼントされた。経費と情報の新鮮さに加えて、訪問地ホテルでは、在日観光事務所で聞いて選択したと言うと何と10%OFFだった。

今度の旅では、ボストンで91’Francis M. Roche同市公安委員長を警察大学教授の時に正式表敬訪問していたので、事前にFaxMailで連絡した上で、往時の返礼と友情の絆の確認に、家内制作木目込み人形を土産に伺ったところ、Bruce B. Blake同市警察本部広報部長が、往時と変わって新築なった同本部庁舎を自ら案内してくれ、表敬訪問を終えた。NYも往時Anthony M. Voelker副総監に表敬後、この方が人事部長当時来日した際に、私がアレンジしてた奇縁で、実効ある視察研究が出来て、何かの機会に御礼と思っていましたが、

◎平成14年6月26日(2002) Bruce B.Blaake
  1991湾岸戦争直後
「米国の治安実態と警察幹部の教育実態視察研究」
のためボストン市公安委員長を正式表敬訪問時の
(Francis M,Roache)厚遇に謝意表明のため、

今度 家内が制作した日本人形を贈呈旧交を温めた

ボストン警察公安委員長担当広報部長を表敬訪問

昨年の同時テロの時、個人の資格で$1,000寄付したら同市警察本部から感謝状が 本年二月に私宛届いていたので、当時の窓口になった広報課を表敬訪問し、旧交を確認した。

◎平成14年6月27日(2002) NYのGround Zero(9,11テロ爆心地)
      (420M110階)
平成13年8月3日(2001)にWTCの最上屋上へ登っていただけに
未だに粉塵の舞う惨劇の現場は、慟哭に襲われた。
◎平成14年6月27日(2002) NYPD広報部表敬訪問
91'の湾岸戦争直後に公式表敬訪問(警察大学教授)していた市警本部玄関
02'には、9,11同時テロの際にNYPDへ個人で寄贈($1,000)時の窓口の広報部を表敬訪問し、過ってと同一の市警本部玄関前

帰路は、NYJFKからのNW 17便は成田に定刻五分前にシルキイタッチで無事帰国。

座席はアッパ−の最前列だった。コックピツトから肩章四本の機長が出てきたので、Real nice landingと挨拶したら、操縦桿は私で無いと言って、もう一人の機長を紹介した。

◎平成14年6月28日(2002) NW17 747 400 JFKニューヨーク〜NRT成田
"Silky touch landing"と称えられた Captain Marilym Campbllは、
コックピットへ招じ入れて記念撮影(肩章の4本線は機長)

何と肩章四本の女性機長で、早速家内はコックピットに招かれ、Captain Marilym Campbell と記念写真と相成って、旅は締めくくられた。説明によるとNY便は安全と定時運行でNWは米運輸省No1の実績上ダブルクリュシステムで二人機長と二人副操縦士制度を踏襲しているとのことでした。

「旅は私にとって精神の若返りの泉だ」−ハンス クリスチャン アンデルセン−大好きな言葉

院生の皆様方の自己紹介等を拝見させていただきましたところ、相当数の方々が海外旅行を挙げておらましたので、ヒントにでもなればと思いまして、「あっ」 それに今朝ハワイから、我が小松ゼミの幹事 阿佐美さんから電話があって、

「紹介頂いたHonoluluChief of Police Lee D, Donohue氏を表敬訪問し、破格の接遇でした」

との吉報が届きました。折り返し秘書長のEuniceに友情に感謝する旨の返電をした。

平成14816