通信制大学院で人生をやり直す
文化情報専攻3期生 花岡真由美 |
1. 病気のため、進学が思うに任せなかったこと
日本大学通信制大学院・文化情報専攻に入学した時、私は36歳でした。このように書くと、「大学を卒業し、一旦社会に出てから、新たに研究したいテーマを見つけたので、通信制大学院に進学したのだ」と思われるかもしれません。しかし、そうではないのです。
私は中学3年生の頃から、アニメに関する学術的な研究をするため、大学院への進学を希望していました。けれど、高校1年生の秋に発症した身体表現性障害(注)が、いっこうに改善されなかったため、通常の大学への進学を、断念せざるを得なかったのです。それでも、大学への思いは断ち難く、通信制大学(哲学科)に進学しました。そして、何とか病気を治そうと、上京して心療内科の治療を受けましたが、病気は却って悪化し、帰郷を余儀なくされてしまったのです。
大学を8年かけて卒業した後は、社会復帰訓練のため、印刷会社のパート勤務を始めました。しかし、何年経っても、フルタイムで働けるようにはなりませんでした。一日も早く正社員としての就職と自立を果たし、再上京をして大学院に進学しようと、どんなにがんばっても、思い通りにはゆきませんでした。何十万円もかけて、本格的な心理療法を受けても、病気を乗り越えることはできなかったのです。
2. 死にかけたことで吹っ切れ、大学院進学を第一にしたこと
そうこうするうちに、発症から、20年近くが経過してしまいました。やがて、「これ以上、こんな生涯の夢とかけ離れたところで、くすぶり続けるくらいなら、死んだ方がましだ」と思うようになりました。何とかまともに就職できるようになろうと、死に物狂いでがんばったため、1999年の秋には、肺炎で死にかけ、入院する羽目になりました。その折は、集中治療室のベッドの上で転げ回りながら、「まだ、夢を果たすどころか始めてすらいないのに、こんなところで終わってたまるものか」と、心の中で、叫び続けていました。
そうやって、一度死にかけたことで、何かが吹っ切れました。それまでは、「社会復帰と自立を果たしてからでなければ、やりたいことをやるわけにはゆかない」と、自分を縛っていました。それが、「人間は、いつ死んでしまうかわからないのだから、どれほど周囲に批判されようと、やりたいことを第一にした方がいい」と、思うようになったのです。それ以来、大学院への進学を、第一に考えるようになりました。
3. 文化情報専攻の貴重さ
そんな私にとって、通信制大学院の開設は、まさに天の配剤でした。ただ問題は、アニメに関する研究のできる大学院が、なかなか見つからないということでした。通信制などの、社会人に開かれた大学院には、社会科学や心理・教育関係の専攻が多く、数少ない文学・芸術関係の専攻も、研究対象が細分化されているところがほとんどなのです。
そんななか、本学の文化情報専攻は、異彩を放っていました。まず研究対象が、言語・文学から映像・演劇舞踊まで、幅広い領域にわたっており、映像関係の科目もあります。そして、能とシェイクスピアを融合した英語能を創作、実演している上田教授のもとでなら、「能をはじめとした日本の伝統文化のアニメへの影響」という視点からの研究が、できるかもしれないと思われました。
そうして、ある程度の受験勉強を経て、思い切って受験した結果、昨年の春、無事に大学院生となることができたわけです。
4. 人生をやり直すのに、遅すぎるということはない
入学を許可されたものの、「パート勤務をするだけで、体が辛くてたまらないのに、働きながら学ぶなどということが、できるのだろうか?」と、不安でした。しかし、いざ始めてみれば、何とかなるものでした。結局のところ、「やりたいことをやる」ということにまさる、健康法はないのでしょう。ゼミなどで学友と語らう方が、グループ・セラピーを受けるよりも、治療効果を感じられます。ゼミへの出席や、リポート作成に精を出すうちに、いつしか、身体症状へのとらわれが少なくなり、症状そのものも、軽減されてきました。
たとえ修士号を取ったところで、それを活かせる就職先や、博士課程への進学が、保証されているわけではありません。それでも今は、どんなに苦しくても、「生涯の夢に向かって歩んでいる」という充実感と、喜びがあります。
人生をやり直すのに、遅すぎるということはありません。夢を捨てることなく、求め続けてさえいれば、道は開けるものなのでしょう。重要なのは、とにかく一歩を踏み出してみることです。それらのことを、今の私は、確信をもって言うことができます。
(注) 様々な身体症状を呈する精神疾患。磯部潮は、『体にあらわれる心の病気─「原因不明の身体症状」との付き合い方』(PHP研究所 PHP新書160 2001)において、従来、神経症・自律神経失調症・心身症等の病名をつけられることの多かった、原因不明の身体症状は、身体表現性障害として捉えるのが最も適切であり、効果的な治療を行うことができると述べています。
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