『花伝書』の現代的意義


『花伝書』正しくは『風姿花伝』は、能楽の大成者世阿弥[i]が父観阿弥[ii]の遺訓に基づいて著した最初の能楽論書である。その書名は「その風を得て、心より心に伝る花なれば、風姿花伝と名付く。」[iii]に由来する。内容は、能の生命たる「花」の考察を中心に、習道、演出、演技、芸位についての各論から猿楽の起源・歴史にいたるまで多岐にわたる芸論を集大成したものである。[iv] 能役者は勿論のこと、芸能に従事する者にとり聖典であるこの書は、現代を生きる我々にとっても学ぶべきことが多い。

「上手は下手の手本、下手は上手の手本」 

“どれほど下手な役者であろうとも、長所があれば、上手もこれを学ぶべきである。 下手な役者の長所を見つけても、自分より下手な者の真似などするまいと思う慢心があれば、その心に束縛されて、自分の欠点を決して知ることはないだろう。 また、下手な役者が、上手の欠点を見たならば、上手でさえも悪い所がある、未熟な私であればなおさら、欠点が多いことだろうと思って、人の意見を聞き、工夫し稽古に励めば、早く上達するだろう。 しかし、自分はあれ程に悪くはあるまいという慢心があれば、自分の長所をも分からない役者になり、悪い所も良いと錯覚してしまうのである。そうするうちに、年は過ぎても能は上達しないことになるのである。これは即ち、下手の心である。それゆえ、上手であっても増長心があれば、芸は下がるであろう。実力の伴わない増長心については、いうまでもあろうか。よくよく思案せよ。上手は下手の手本、下手は上手の手本であると考えるべきである。下手の良い所を取って、上手の芸の一つに加える事は、無上至極の道理である。人の悪い所を見るだけでも、自分の手本になるのである。良い所については、言うまでもあろうか。「稽古は強かれ、情識は無かれ」とは、このことである。”[v]

芸事に限らず、仕事においても、他人の長所を素直に認め、取り入れることに抵抗を感じることがある。しかし、向上心を持たずに、現状に満足していると、自分のスキルでは処理できる仕事が限られてくる。「稽古は強かれ、情識は無かれ」(慢心することなく、努力せよ)、肝に銘じておきたい言葉である。

また我々がよく使う「初心忘るべからず」も世阿弥晩年の著書『花鏡』[vi]に記された言葉である。世阿弥の言う初心とは未熟でまずい芸のことである。未熟な時代の経験、失敗を忘れないように心がければ上達しようとする姿を保ち続けることができると説いている。 

「融合の精神」

“誰しも、慢心や勉強不足のため、一つの芸風だけ出来て、すべての演技をやる必要を知らないで、他の芸風を嫌う。これは嫌うのではなく、できないことからの慢心である。それが出来ないので、一時的に有名になることもあろうが、その名望は長くは続かない。天下に認められるほどの人は、どんな芸風をしても面白いはずである。芸風、型はそれぞれ違っても、何をしても面白い。この面白みこそが花である。これは、大和、江州の申楽、または田楽でも同じことである。されば、どんなこともできる技術をもった役者でないと、天下に認められることはない。”[vii]

世阿弥の能は大和申楽のものであるが、良い物は他流(江州申楽)であろうと、ジャンルが違おう(田楽)と取り入れた。 我々は、つまらぬ競争意識や自分の不勉強の為に、良い物を取り入れる機会を逃していることは無いだろうか。 自分と違ったものを敵視する必要はない、相手を理解し、互いに良い影響を与え合う融合の精神を持つべきである。

この他にも、『花伝書』には子供への詰込み教育を批判した教育論、老いては若い者に花を譲り、自分は控えめに演じよというような人生訓も含まれている。 世阿弥は“道が廃れる事を心配するがために、『花伝書』を子孫の庭訓として残した”[viii]と記している。しかし、一子相伝の書ではなく、後の世を憂える気持ちから、万人の為にこの教えを残したのではないだろうかと考えさせられるほど、世阿弥の言葉は、600年後を生きる我々に生き生きと伝わってくる。能楽(申楽)は、寿福延長・天下安全・諸人快楽をその目的とした芸能であると『花伝書』の序言[ix]に書かれている。世阿弥は、万人が楽しく、健康に暮らせる平和な世界の実現を我々に託したのではないかと思う。 

<最後に>

『花伝書』を手にとるきっかけは、昨年履修した「比較文化・比較文学特講」の参考図書にあげられていたからであった。この講義では「世界の文化の調和と融合」を研究し、「能・シェイクスピア融合論」を学んだ。この英文学の最高峰であるシェイクスピア文学と無形文化遺産として世界に認められる能楽を融合した『英語能ハムレット』が、1026日に堺能楽会館で公演される。「悟り・救い」をテーマとした幽玄の舞台を多くの方に観ていただきたい。
問合先 安田 保 2001c17@gssc.nihon-u.ac.jp


[i] 世阿弥元清(1363?−1443?) 能役者、謡曲作者。 西野春雄、羽田昶編 『能・狂言事典』平凡社、1999年、P387
[ii] 観阿弥清次(1333−1384) 能役者。初代観世太夫でシテ方観世流の始祖。 同上P369
[iii] 世阿弥『風姿花伝』奥義伝より。表章、加藤周一校注『世阿弥・禅竹』岩波書店、1974年、P42
[iv] 西野春雄、羽田昶編 『能・狂言事典』平凡社、1999年、P285
[v] 世阿弥『風姿花伝』第三問答条々より。表章、加藤周一校注『世阿弥・禅竹』岩波書店、1974年、P32
[vi]西野春雄、羽田昶編 『能・狂言事典』平凡社、1999年、P238
[vii]世阿弥『風姿花伝』奥義伝より。表章、加藤周一校注『世阿弥・禅竹』岩波書店、1974年、P43
[viii]世阿弥『風姿花伝』第三問答条々より。 同上P37
[ix]世阿弥『風姿花伝』序言より。 同上P14

参考図書
世阿弥著 野上豊一郎、西尾実校訂『風姿花伝』岩波文庫、1958年 
表章、加藤周一校注『世阿弥・禅竹』岩波書店、1974年
西野春雄、羽田昶編 『能・狂言事典』平凡社、1999年
観世寿夫『心より心に伝ふる花』白水社、1991年
中森晶三著『能の知恵』玉川選書、1976年
白州正子『世阿弥』講談社、1996年

文化情報専攻3期生 安田 保