「東武練馬まるとし物語」









国際情報専攻3期生
若山太郎

   その二 「デフレ時代の店のあり方」

 物の値段が下がるデフレ時代の店のあり方について、僕とおやじさんの経営に対する考え方の最大の違いは、仕入れ先との関係に対するものだった。

おやじさんと僕とは、「店にとってお客様は何より大切である」と考えることは一致していた。店の主役はあくまで、お客様。「美味しかったよ」という一言。家族やカップル、グループで来店されるお客様同士の笑い声、言葉はなくとも一人で来店される多くのお客様、何度も足を運んでくださる方々に、日々素直にありがたさと感謝の気持ちでいっぱいになる。

店で仕事をするようになって気がついたことの一つに、お客様との死別がある。亡くなるまで店をこよなく愛し利用してくださった、おじいちゃん、おばあちゃんが数多く存在するのである。おやじさんはたびたびお客様のお葬式に出席する。先日も90歳のおじいちゃんが来た時、帰り際「また来ます、生きていたら」という言葉があった。

いろんなお客様がいる。病院に入院している時は我慢していたが、元気になって、うれしそうに食べていたその姿。体が自由にならなくなって来店できなくなり、配達をしたこと。それを見守った家族の方々も、店に対する気持ちは同様である。時に来店され、昔話に花が咲く。一緒に来ていた子供たちも、いつのまにか、おじいちゃん、おばあちゃんになっていたりする。

30年も店が続いていると、おやじさんはもちろん、お客様も年をとる。高齢化は、身近な問題である。店のことはもちろん、60歳を過ぎたとはいえ、まだ若いおやじさん夫婦のゆくえは、当然親子関係としても、僕の差し迫った問題として、常に関心ごとである。僕が仕込みをするようになったので、おやじさんは朝近くの公園を散歩するゆとりが生まれた。

余談であるが妻の妹はまだ独身。パラサイトシングルなどという言葉も、他人事でなく身につまされる。妹は、気立てがよく、かなりの美人なのになぁ。彼女が結婚した後、おやじさんと同居しようと考えているが、そう考えた時から何年も経った。僕もいつのまにか、親となり娘が3人いる。大変だけど、楽しいことが数多くある。

店では、お客様に対して、守るべきものが多くあると思う。逆に今のデフレ時代変えなければならない部分もあり、日頃の学究の成果と共通し、変革すべきことも数多い。僕は理屈ではなく、お客様の目線で、物事を考えようとする姿勢をつらぬきたい。

「まるとし」は、今まで、いろんなメディアから無料で店を紹介するとの話が何度もあった。その話を断ったのは、もちろん、店は客席が少ないため、一度に多くのお客様が来店されても十分対応できないからだ。ただ、断った本当の理由は、かなり前のある常連のお客様の言葉、「雑誌に載せてほしくない」を長年ひたすらおやじさんは守ってきたためである。僕もこのことは、まったく同じ考えだった。

ただ、僕の代になったので、極力、おやじさんに遠慮せずに僕の判断で、あらゆる面で新しい可能性を模索しようと考えている。デフレ時代の現在の経営と過去とは、まったく環境が一変しているからである。つまり、今後そのような話があった場合、今までのように、頭ごなしに断るのでなく、その内容を十分検討しようと僕は考える。当然お客様が一番であるが、店が潰れたら、元も子も無くなる。デフレ時代、この先何が起こるか分からない。

偶然であるが、先日シンプルライフ新聞社の編集部の方から、電話をもらった。内容は、お客様の口コミ情報を掲載したいので、許可をいただきたいとのこと。早速その記事を聞き、即答でOKの返事をした。情報紙シンプルライフ4月号Vol.23で実際記事になったのは、「とんかつやクリームコロッケがやわらかくてこだわりの味で、一度行った人は誰かにすすめたくなります!いい材料しか使ってないなってわかります。配達もテイクアウトもOKですよ」(練馬区・主婦50歳)というものである。ありがたい話だった。

ところで、今どこの店もうまいのは当り前になっている。今のデフレ時代、国・地域・企業・職場・家庭・学校等、お客様は、あらゆる環境で、常にストレスのたまる一方だ。新聞・テレビ・雑誌・その他、マスコミは暗いニュースばかり。そんな中、常にお客様が楽しいひとときを過ごせる、そんな店でありたい、僕は日々数々の努力をしている。

おやじさんは、長年取引のある業者も大切にしたいと考えていた。このことは、僕とは正反対だった。今まで遠慮して話さなかった。インフレ時代ならば、それでもいいが、日本の流通構造全体の高コスト体質は、僕の店の仕入れ先も無関係ではない。本音では、僕も面識のある仕入れ先との関係は続けたい。もちろん企業努力の姿勢が少しでも伝わる仕入れ先は、そのままお世話になることにした。

「物の価値は、価格では決まらない」僕が数々の企業を調べた結論である。簡単に言うと、コンビニと百円ショップで売っているまったく同じ商品の価格は、倍違うこともある。仕入れ構造やコンビニは本部との契約関係(マージンなど)があるためだ。僕は、店で取り扱っている商品の価格と品質を単純に他の業者の何社かと比較し、試しに注文して検証、その業者の姿勢を比べた。その結果を数字にし、おやじさんにわかり易く伝えた。一社、二社、おやじさんのプライドを傷つけることなく、目に見える形で納得してもらった。

たとえば、店で使う箸や箸袋は、業者を変えることによって、物は変わらず仕入れは半額(ワンセット8円から4円)になった。酒類、油、その他の周辺のものも、まったく同じ商品が安く手に入った(物によっては、10数%から20%削減)。そんな努力は塵も積もれば山となる。ただ、決して安物を買うわけではない。これを、お客様へのサービスに還元するのが僕の目的だ。「まるとし」は、お客様を裏切らない。肉やパン粉などのメインの食材は、値段にこだわらず、品質第一である。また、エビやカキなどの自然でとれるものは、大きさにバラツキがあるので、小さいものは数を増やしてお客様にお出しする。衣ばかりのエビなど、問題外だ。

今まで取引のない飛び込み業者の営業の話も、その内容次第では、検討する。企業努力をしている会社は、その数字とサービス内容で判断できるからである。その中には、「事業資金を融資する」とか、「公共料金が安くなる」とか、「商品を、キャンペーンで特別安く」など、今までだったらおやじさんを、かなり嫌がらせ、話さえも聞いてもらえない業者がたびたび見受けられる。ただ、その中には、数少ないが、貴重な話もある。

いつのまにか、おやじさんの方から、逆に僕にこうしてみたら、という仕入れのアイディアをくれるように今ではなっている。もともとおやじさんは、頭がいいし、経験も豊富なので、僕にとって強い味方である。また、写真と水墨画が趣味で、僕が新メニューを壁にわかり易く、写真で料理を撮り宣伝したいというアイディアを出せば、その通りに動いてくれる。それも、まめにメニューを手書きでPOPし、近くの店に頼んで、ラミネートまでして壁にはってくれる。

紹介しきれないが、数々の変革のおかげで、お客様の来店数は増えた。僕がやるようになって、売上げが、平均7.5%アップ。特に、店だけに限れば、平均9.5%アップした。うれしいことに、売上げ向上には、それほど貢献するものでもないが、デフレ時代財布が軽くなったお客様の立場を考え、新しく生み出した「一口ミニ生ビール、100円」は、なかなか好評である。店の新メニューに関して、中でも「クリームコロッケとアジの定食、820円」は、クリームコロッケ2個とアジ1枚のセットであるが、それぞれ別々のメニューを新しく組み合わせ、低価格でお客様にお出しするアイディアによって、人気メニューに変身した。

店の話以外に、僕の勉強についてここで振り返ってみる。入学後からこの1年は、資料集めの時期だったといえる。僕の勉強時間は、店の休み時間の午後3時から5時。本格的には、午前1時から3時ころまで。仕事は月に2度しか休みがないが、午後の時間は、主に近くの図書館に出かけたりする。時に所沢へも図書の貸出、先輩方の修士論文の閲覧、先生の研究室への訪問など足を伸ばす。また、休みの日には、母校の慶大や法大の図書館、国会図書館などにも、ポイントを絞って、資料を集めに行くこともある。そうして集めた資料を深夜に、整理するのである。

ゼミは自分の研究にとって、その発想を広げるための大事な場所である。仕事を抜けての市ヶ谷での通常のゼミは、先生から直接核心をついたアドバイスが、自分だけでなく、他のゼミ仲間にとって重要なものである。自宅のパソコンを使って夏と秋にサイバーゼミも開催された。僕は日頃仕事と学究ばかりで、子供たちの学校のイベントは、極力出席するようにしている。秋、長女の小学校の運動会と重なったが軽井沢合宿に参加した。冬の合同ゼミは、先輩方の実体験をもとにした研究発表や夜の交流が、特に有意義であった。この1年で得た数々の経験や知識をより膨らませ、先生のご指導のもと、今後僕は修士論文を実際書き上げていこうと思う。

最後に、この物語は、店の変化、経営方針の変更とその影響、仕事の流れなどを紹介することにより、僕の問題意識を、読者の皆さんと共有し、僕の仕事を客観視することを目的としている。電子マガジンは、公開サイトなので、院生のみならず、研究科に興味のあり、今後受験したいとお考えの方も多いと思う。そんな皆様、東武練馬の近くに立ち寄る機会がありましたら、遠慮なく、ぜひお気軽にお越しください。

http://www.kitamachi.or.jp/kameiten/02fudo/marutoshi/marutoshi.html

以下、次号

                              (撮影・宮嶋貞雄氏)