「富山より……」





人間科学専攻3期生
佐原睦子

称名の滝―落差350メートルは日本一という

 富山は、北に日本海を望み、東に雄大な立山連峰を仰ぐ。(日本海を左手に、海岸線を北上すると、親不知を通って新潟県に入る。一方、山越えの場合は、黒部ダムを見下ろしながら、長野県に入る。)また、西は石川県と隣接し、南は、高山、名古屋方面へと続く国道41号線が走っている。私の住む大沢野町は、この41号線沿いにある。富山市中心部と岐阜県県境とのちょうど中間点に位置する。

町の西には神通川(じんずうがわ)が流れ、川向こうには、八尾町に続く県道がのびている。毎年9月の始め、八尾では全国的にも人気の‘おわら風の盆’が開催され、日ごろはひなびた静かな町が、一気に10万人以上の観光客で膨れ上がる。また神通川はかつて、カドミウム汚染による公害病「イタイイタイ病」でも有名になったという、‘負の歴史’を持っている。その川も今は、何事もなく流れ、土地の釣り好きの人は、6月の鮎釣りの解禁日を心待ちにしている筈である。

 町に話題を移そう。と言っても、人口2万人強の町では、さほどエポックな話題はない。この町で連想されるのは、毎年夏になると全国から屈強の青年たちが集まってくる「土と人の大学」のイヴェント(「草刈り十字軍」)であろうか。既に劇映画にもなっているので、ご存知の方もあろう……

主に兼業農家が住んでいて、古くからある工場や他の産業に従事しながら、農業を守っているというところだ。最近では、岐阜の山奥から移り住んできたり、親から独立した若い世帯が住み始めて、徐々に町の雰囲気が新しくなってきている。そんな町から、十年ほど前、ノーベル賞受賞者が出た。生物学の利根川進博士だ。父親の仕事の関係で少年時代を数年ほど大沢野で過ごした、ということである。受賞当時は町中、喜びに包まれた。そして利根川博士は、名誉町民となり、貴重な知の財産となった。

 私自身のことを少し……。夫の転勤で東京から移り住んで16年になる。だが、母方の両親の故郷でもあるので、偶然とは言え、因縁浅からぬものは感じる。移り住んで4年程した時、隣町(大山町)に富山国際大学が開校され、私は、そこの第一期生となった。そこで、卒業後、研究生となった私はある科目の講義を聴講する幸運に恵まれた。担当者は当時、同大学人文学部教授であった当大学院教授の佐々木健先生。……これがこの拙文の中で、最もエポックな事と言えるかもしれない。