「すちゃらか駐在員の修論奮戦記」


国際情報専攻1期生・修了 礒部昭史

著者紹介:
1966年丙馬生まれ、1990年より損害保険会社勤務。
  2000年3月まで、北海道(札幌)及び栃木県(真岡)
で交通事故損害調査及び示談代行を担当、2000年4月
  より台北駐在員。趣味はジャズ(サックス)演奏だが
 ここ数年はまったくご無沙汰になっている。


 そもそもの動機は、「会社を辞められる人間になろう!」との想いからでした。特

に、交通事故の示談代行一筋で定年まで勤めるのだけは絶対いやだ、というよりも無

事定年を迎える前に会社が潰れるか、自分の気が変になるかのどちらかだな、とその

時の私は思ったのでした。

 最初は、「何か資格を」という非常に陳腐な発想から、行政書士、フィナンシャル

プランナーなどを検討していました。しかし、受験勉強にも、そのような資格で生計

を立てる生活を想像してみても、まるで面白みを感じることができず、どうせ何かや

るなら、面白そうであまり生活に直結していないことをやりたい(このあたりから当

初の動機とはずいぶん乖離が生じている)と思い、大学院受験を思い立ったのでし

た。

とはいえ、当時は栃木の山奥での勤務であり、1年後にはどこに転勤になるかわから

ない身の上。MBA大流行の昨今のこと、通信教育の大学院ぐらいあるだろうとイン

ターネットで検索したところ、日本大学とアメリカのある大学が、通信教育で修士号

をくれることが判明しました。当時は日大の通信制大学院が日本で初めての画期的な

試みであり、その認可にあたっては文部省から散々いじめられた経緯など知る由もな

く、早速この2校の募集要項を取り寄せ、比較検討した結果、日大が内容の充実度で

優っていると思われたこと、アメリカの大学についてはあまり情報がなく、選考の方

法等についてもなんとなく胡散臭さが感じられたこと、日大のほうは英語を受験する

必要のないことから、第1希望を日大にして、日大がだめだったらアメリカの大学、

と決めました。

入試の小論文では、まるっきり的外れのことを書いたにもかかわらず、なぜか合格す

ることができ、喜んだのもつかの間、最初のゼミのときに完膚なきまでに叩きのめさ

れ、前途の多難さに呆然としました。このときに救いとなったのは、叩きのめされ、

呆然となっていたのは私だけではなく、同級生全員が同じように感じていたことで、

このときの連帯感が、世代を越えた友情へと進化を遂げ、私の貴重な財産となったの

でした。

 

それは長谷川先生の、「あなたはどうしてそのことが知りたいのですか?」「それの

よってあなたは何を明らかにしたいと思うのですか?」攻撃により、もっと自分の内

面を見つめなおす必要性を感じながらも、そのような時間もあらばこそ、ひ〜ひ〜言

いながら前期レポートを提出し、卒論のテーマを決める暇もなく後期レポートの作成

も佳境に入った99年の12月初旬のことでした。仕事中に上司から電話が入って曰く、

「奥さんと一緒に健康診断を受けなさい、結果が良好であれば海外駐在員を内示しま

す」。

確かに以前から希望していた海外勤務でしたが、まさか実現するとは思っておらず、

とりあえず交通事故から足が洗えることを素直に喜んだのでした。1月始めに台北駐

在が内示され、その後は各種検査、各種診断書の提出(HIVから麻薬検査まで)、予

防注射、業務研修、社宅や引越しの手配、後任者への業務引継ぎなどなど、目の回る

ような忙しさとはまさにこのこと、感慨に浸る暇も無く2000年3月24日に台湾へと旅

立ちました。

台湾についてからも業務引継ぎ、客先への挨拶回り等で、気がついたら2年次前期の

レポート提出が間近に迫っている状態。北京語も習い始めたものの、サバイバル程度

にさえも程遠く、この時期の言葉にまつわる笑い話には事欠きません。折角縁あって

住むことになったのだから卒論は台湾について研究しよう、と決めたことは決めたの

ですが、一体どこから手をつければ良いのやら、とりあえず題目だけ提出して、詳し

いことは後で考えよう、と相変わらずのその日暮らしを続けていました。

ようやくテーマを絞ることができたのは、そろそろ後期レポートの提出期限が気にな

りだした頃で、とうていこれから書き始めて間に合う状況ではなく、2年での卒業を

断念しなければなりませんでした。

 

2年次の後期レポート提出後、残るは修論のみとなり、いよいよ本格的に取り組みだ

したのですが、ここで海外在住であることによる障害が立ちはだかってきました。

海外ならではの問題として、書籍の入手の困難さが先ず挙げられます。私の場合、英

語、中国語の原書をきちんと読みこなせる語学力が無いため、どうしても日本語の書

籍に多くを頼らざるを得ません。日本語の書籍は台湾に進出している紀伊国屋などの

日系書店への注文取り寄せ、インターネットによる注文取り寄せが可能ですが、どち

らも日本国内で購入するのに比べ1.8倍程度高額になるのと、専門書籍については時

間がかかるので非常に不便です。結局、親や友人に日本で購入して台湾に送ってもら

うことになりました。これらの協力無くして私が卒論を完成させることは不可能であ

り、忙しい中重たい書籍を購入し航空便で送ってくれた方々に、深く感謝する次第で

す。

書籍については、購入の困難さもさることながら、(日本語書籍を置いている)図書

館が無い、というのが最大の問題でした。事前に書籍の内容を確認したり、必要な部

分のみコピーを取るということが出来ず、取り敢えず必要と思われる書籍は全て購入

するしかなく、書籍購入に要した費用は、最終的には数十万円に上り、我が家の家計

を圧迫したのでした。また、当然のことながらゼミに出席するためには国際線で帰国

しなければならず、その費用も国内に比べ高額になります。

逆にいえば、海外在住であるデメリットはこの程度のことで、先生や仲間との連絡は

メールを通じ国内にいるのと同様にでき、海外といっても、任地が飛行機に乗れば4

時間ほどで日本に帰ることができる台湾であったことも幸いしました。

3年の歳月(卒論自体は構想2年、執筆3ヶ月ぐらいですが)をかけ、巨費を投じ、長

谷川先生の指導、同級生の励ましと友人たちの協力、妻の理解により漸く完成した修

士論文は、内容はさておき、完成し、卒業することができたということ自体が私の宝

物となりました。また、大学院生活を通じて懇意にさせて頂いた全ての方々と、この

3年間の豊富な読書量こそが、私にとっては貴重な財産となっていると思います。