エッセー
「科学史」の考え方をめぐって (その2)
――A. d’Abro: The Evolution of Scientific Thoughtを
手懸りに――
人間科学専攻 第1期修了生 科目等履修生
大槻 秀夫
筆者紹介:
大正14年生まれの元高校教員(昭和61年に定年退職)。福島市在住。数学を(時には現場の事情で物理や電気を)担当していた現役教員時代以来、「近代科学」を産み出したのは何なんだろう、という疑問を懐いてきた。通信制大学院が出来るのを知って、本研究科に入学。上の疑問を自分なりに解き明かしたいと願い、修士論文のテーマに「アイザック・ニュートンと科学革命」を選んだ。大学院で学び続けたい気持ち止み難く、この4月から科目等履修生として勉学を継続している。
は じ め に
本マガジン前号掲載の拙論で述べたところであるが、私は、修士論文「アイザック・ニュートンと科学革命」の成果を踏まえて、17世紀のニュートンに対する先人達の業績に比肩することのできる19世紀、20世紀の科学者、哲学者達について検討し、その足跡をたどってみることは意義があることであると考える。そしてこの観点から先ずとりあげて見たいのはドイツ科学の最高のスポンサーと言われたマックス・プランクである。更に長岡半太郎、湯川秀樹、朝永振一郎など日本の科学者の名前も見逃すわけには行かない。その他数々の科学者達を概観して、そこに何がしかの人間の知的活動の関連と意義を見いだしたいものと思っている次第である。このような構想を具体化する研究に立ち入る前に、私は「科学史」という概念について自分の考えを纏める必要を痛感している。
前号での考察を承けて、拙稿では、相対性理論登場までの物理学の歴史を概観した著作の「序文」の訳出を試みることによって、当の問題への手懸りを掴む作業を前進させたいと願っている。
テキスト
以下に訳出を試みるのは、次の著作の「序文」(Foreword)である。
A.
d’Abro The Evolution of Scientific Thought – From
2nd
Edition, revised and enlarged, Dover Publications, Inc., 1950.
訳 文
序 文
「そして今や我々の時代において、大きな地殻変動が発生しており、この大変動によって、従来は自然科学の最もしっかりした柱と見なされてきた空間、時間および物質は一掃されている。しかしそのことで、より広い範囲にわたり一層深い洞察を含む事物の見方のための場所が用意されるだけであった」H・ワイル(「空間、時間、および物質」)
相対性理論は哲学が今までに目撃したところの、我々の自然認識における最大の進歩を表している。
若し我々の興味が純粋に哲学的であるならば、我々はアインシュタインが到達した結論が我々の時代の支配的な哲学思想に対して持つ関連を検討できるように、ただその結論の本質について簡単な教えを受けたいと欲するかもしれない。このような単純なアプローチの方法にとってあいにくなことに、そのような教示は実行不能である。結論それ自身が高い技術的概念を含むのであり、また、もし厳密でない非科学的方法で説明されれば、全く間違った印象を伝える可能性がある。然しこの最初の困難が克服されることができたと想定しても、我々はこう気づくであろう。つまり、アインシュタインの結論は空間、時間および物質についての我々の〔旧来の〕観念を捨てさせずにはいられないような極めて革命的な性質を有するのであり、そのため、その結論を受け入れるならば、通説を受け入れたがる我々の性向があまりにも大きな緊張を強いられるかもしれない、と。我々はその理論を途方もない悪戯として拒絶するか、そうでなければ権威あるものの言を真にうけて受け入れなければならない(そして、この場合、当の理論をきわめて漠然と、あいまいにしか捉えざるをえない)か、2つに1つしかないのである。
数多くの当代の哲学者によってこの主題について書かれてきた数多くの本を通読することによって、著者はこう確信している。つまり、この理論と取り組むための唯一の方法は、――たとえ我々の興味が純粋に哲学的であっても――、始めから科学上の問題を研究することである、と。そこで、手始めに、我々は1905年に刊行されたアインシュタインの第一論文に言及するのはよそう。我々はもっと前に遡り、マックスウェル、いやそれどころかニュートンの時代にさえ戻らなければならない。ここで我々はこう述べてもよい。つまり、相対性理論が哲学的意味においてどれほど革命的に見えようとも、それは科学的方法の直接の所産であって、ニュートンやマックスウェルによりどころを与えていたのと同じ精神で行なわれた方法の所産である、と。何ら新しい形而上学は含まれていない。それどころか、実際、アインシュタインの理論はただ、古典的な科学の精密化をなすにすぎない。とりわけガリレオの時代以来、特別に集められてきた数学や物理学の知識の膨大な蓄積が不在であったならば、アインシュタインの理論は断じて発生することが出来なかったことであろう。このような事情のもとにあって、我々は、アインシュタインの時代に先立つ古典的科学の諸発見に先ず精通するのでなければ、相対性理論が開示したものについての正しい知見を得ることは全く不可能である。それゆえ、アインシュタインの理論そのものを論じる前に、この必要な予備知識を出来るだけ簡単に提供することがこの本の目指すところとなるであろう。
幾何学を除いて、近代科学は比較的最近になって創出されたものであり、ガリレオおよびニュートンとともに始まったと言うことができる。ガリレオは物理的世界についての我々の理解を促進させる唯一の方法は実験に頼ることであるということをはっきりと認識した最初の科学者であった。ガリレオの主張が我々の現代の知識に照らしてどれほど明白に見えるにせよ、〔古代〕ギリシャ人は、幾何学に熟達していたにも拘わらず、(デモクリトスとアルキメデスは例外として)実験の重要性を認識していたようには決して見えないのであり、このことは依然として事実である。
ある程度、これは彼らの測定器具の未熟さのせいに帰せられるかもしれない。然しながら、ガリレオの実験や観察がどれほど初歩的な性質のものであったかを想起してみれば、この種の弁解は提出できない。ピサの大聖堂のなかでランプが左右に振動するのをじっと眺めていること、ピサの斜塔から物体を落としてみること、何個もの球を斜面にころがしてみること、球形ガラス瓶の中の水が物の像を拡大する効果に留意すること。ガリレオの実験と観察はそうした性質のものであった。容易に見て取れるように、このような実験や観察ならば、ギリシャ人によって行なわれたほうがましであったかもしれない。とにかく、ガリレオが力学の基本法則――それによれば物体に伝えられた加速度はそれに働く力に比例する――を発見したのは、そのような実験のお陰であった。
次の発展はニュートンに依った。数学と物理学への諸々の貢献をまとめて考慮に入れれば、彼こそすべての時代の最大の科学者である。物理学者として、彼は勿論経験的方法の熱烈な支持者であった。然し彼が名声を博しうる最大の資格は他の方向にある。ニュートンに先立っては,数学は,主に幾何学の形で,非常につまらない場合以外には、物理〔学〕的応用を目論むことのない自由学科として学習されてきた。然しニュートンにあっては、数学の手段の全ては物理〔学〕的問題の解決において都合よく役立てられた。そのときから、数学は発見の道具として、即ち人間に知られている最も強力な道具として現れた。丁度力学の分野で梃子が我々の肉体的物理的活動を増大させるように思考の力を増進する道具として現れた。まさしく物理〔学〕的問題の解法への数学のこの適用、2つの別個な探究分野のこの結合こそ、ニュートンの方法の本質的特徴を構成する。かくして物理学の問題は数学の問題へと変容させられた。
然し,ニュートンの時代においては、数学的道具はいまだになお,遅れた発展の状態にあった。この分野においてまた,ニュートンは積分法を発明することによって天才の特質を発揮した。この注目すべき発見の結果、アルキメデスなら大いに困らせたであろう問題は簡単に解決された。ニュートンの手にかかると、科学的方法におけるこの新しい出発は重力の法則の発見に繋がったことを我々は知っている。然し、ここでもまた、ニュートンの業績の真の意義は、引力の法則の正確な定量的な定式化よりはむしろ、少なくとも自然の一つの重要な領域、即ち天体の運動の中に法則と秩序が現前することを確定したことにある。自然は、かくして合理性を顕し、単なる盲目的な混沌でも不確実でもなかった。確かに,ニュートンの研究はごく狭い範囲の自然現象群(惑星の運動と落体)しか取り上げていなかった。然しながらこの数学的な法則と秩序がある一定の特殊の現象に局限されていると判明しそうには見えなかった。そして自然の物理的行程はすべて厳密な数学の法則によって自己を展開することが分るだろうという感情が一般的であった。
ニュートンの諸発見の重要性とその発見が18世紀の思想家に及ぼした影響は、いくら誇張しても誇張しすぎることはないであろう。アルキメデスの誇らしげな自慢が再び聞こえた――「我に梃子と静止点を与えよ、さすれば予は地球を持ち上げるだろう」。――然しニュートンの後継者の自慢は遥かに尊大であった――「我々に自然の諸法則の知識を与えよ、さすれば未来も過去もそれぞれの秘密をあらわにするであろう」。
今日これらの希望はやや子供じみて見える。然しこれは、ニュートンと同時代の人々が夢想だに出来なかったほどに我々が自然について学んできたからである。にもかかわらず我々は神人のようになることは決して出来ないことを承認するにもかかわらず、実験的方法との連携に於ける数学的道具はなおやはり、進歩のための最も実りある手段である。
さて、〔既述の通り、〕ニュートンは物理学の問題への数学の応用において、――惑星の運動、機械運動、音の伝播などといった――物理〔学〕的な問題の中でももっとも単純なものをのみ取り上げてきた。然し、数学的方法をより複雑な物理〔学〕的問題に応用する段となると、数学的知識と経験的知識との両者を含めて、科学的知識の大幅な前進が必要不可欠となった。逐次蓄積された物理学上のデータのおかげで、そしてまた純粋数学の分野におけるニュートンの偉大な後継者達(オイラー、ラグランジュ、ラプラース)の努力のおかげで、19世紀の前半になると、自然の秘密の多くのものに対する体系的・系統的な数学的攻略のための条件は成熟した。
構成される数学の諸理論は数学的物理学の理論という一般的名称の下に知られていた。これらの理論が自然現象への数学の単なる応用を表している限りにおいては、これらの理論はニュートンの天体力学にその原形をもっていた。ただ一つの違いといえば、これらの理論は広い範囲の多様な物理現象(電気現象、流体力学的現象など)を取り扱い、純粋に機械的な自然の現象をもはや取り上げなかった、ということであった。これらの理論のうちの最も有名なもの(例えば、マックスウェル,ボルツマン,ローレンツ、そしてプランクの理論のような)は極めて特殊な部類の現象を取り上げていた。しかし、それ自らが数学的物理学の発展したものであるアインシュタインの相対性理論にあっては、我々の探究領域は大幅に広がっているので、我々は今までよりもかなり全ての物理学的知識を包含する単一の数学的理論という理想に、以前のどの時期にもましてかなりの程度近づいているのである。この事実をただそれだけ見ても、相対性理論が哲学的にみて途方もなく興味深いものであることがわかろうというものである。
さて数学的物理学のこれらすべての理論において、依然として同じ型・種類の手続きが取られている。実験家は、ある一定の明確な事実を確定し、量の大きさ間の精密な数量的関係、たとえば電線を流れる電流の強度と、電線の周りの磁界の強度および方向との間の数量的関係を、探索する。数学的物理学者はこの後で舞台に登場し、アルファベットの特定の文字を当該の物理的実体に割り当て(現在の場合には電流はiによって示され、磁気強度はHによって示される)、実験者によって発見された数量的関係を、この手段によって数学的形式に翻訳する。彼はかくして、具体的な物理現象Aの数学的イメージを構成すると考えられる数学的関係または方程式αを得る。彼の課題は今や彼の数学的方程式または諸方程式αから必然的な数学的帰結をすべて導き出すことであるであろう。このようにして、彼の技術が必ずうまく作用する限りは、彼は新しい諸方程式βに導かれるかもしれない。これらの新しい方程式βは、数学的世界から物理的世界へと翻訳し返される時、新しい物理的諸関係Bを表現することになる。
数学者はこう想定する。つまり、数学者が導き出す方程式βが元の方程式αからの必然的な数学的帰結であるならば、丁度そのように、方程式βの物理的世界への翻訳は必ずや物理的現象Bを構成しなければならず、このBは物理現象Aの存在から、その必然的な結果として生起するのである、と。Aが起るならば、それに引き続いてBが起らなければならないのいである。
我々はかくして,数学的物理学の理論の重大な意義を理解する.その効用は、理論のおかげで物理現象を予見し予言することが出来るようになるということである.このようにして、理論は明確な実験を示唆する。今まで決して考えられることのなかった一定の実験、そして我々に新しい関係と新しい法則を先取りし、新しい事実を発見することを可能にする実験を示唆する。哲学的な観点から言えば、理論は、見かけ上結びついていない現象の間に合理的な関連を立証することによって、表面上混沌の現象の下に隠れている自然の調和と統一を見出すことを我々に可能にする。
勿論、そもそも先ず実験家は数学者に正確な情報を与えるように非常に注意深くなければならない。何故ならば若し何らかの偶然によってよって彼の情報が単に近似的に正確であるに過ぎないならば、それを数式に翻訳した方程式αは同様に正確さに欠けるであろうし、αからの数学的帰結は物理的な実在世界からなお一層かけ離れることになるかもしれないからである。それはあたかも遠く離れた標的に向け発砲するときに,我々が小銃の照準をほんの僅かだけ片方にずらす場合のようなものである。射程が長ければ長いほど、弾は大きく逸れる。この種の危険は勿論避けることが出来ない。何故ならば人間の観察は必然的に不完全であるからである。それゆえ、ともかくも、物理現象に関する数学者の理論的先取りは常に、引き続く実験による綿密な検証を必要とする。然しながら、観察の単なる精密さよりはるかに深遠なことが問われていることは明白である。
数学的演繹〔推測〕は純粋な思考によって産み出される。それらは理性にかかわり、経験に依存しない。それゆえ、我々が我々の数学的演繹と演算とが自然の作用を首尾よく見事に描き出すであろうと想定するとき、我々は、自然もまた合理的である、それゆえ、数学的世界と物理的世界という二つの世界の間にある明確な並行関係ないし対応性が存在する、と想定している。アプリオリに言えば、何故にそのような並行関係が存在しなければならないかということについては、論理的な必然性は少しもないように見える。然しながら、ここで我々は、そのことについて哲学的に考えることが無駄である状況に直面している。これまでに、数学的物理学者の努力が成功を収めたケースが極めて多かったために、――どんなに驚くべきことに見えようとも――我々は、自然は合理的であり数学的な法則の支配を受けているに相違ないという結論から先ずは逃れられない。事実、そうでなかったならば、予見は不可能であろうし、科学は存在しないであろう。
なるほど、自然は単に近似的にだけ合理的であるのかもしれない。自然が呈する合理性の外観的な様相は我々の観察の非常に粗雑なことによるのかもしれないし、もしかして、もっと精密な実験が行なわれるならば非常に異なった自然像が生み出されるであろう。ハイゼンベルクやボーアはこう唱えた。つまり、量子現象の研究において我々が直面する困難は、我々が顕微鏡的方法において自然の行程を吟味しようとするときに、自然が非合理的であることが判明するという事実によるのかもしれない、と。我々はこのような可能性を退けることはできない。然しとにかく、どうみても我々の理論が実験によって検証される間は、我々は、あたかも自然は合理的であるかのように作業を進めなければならず、最後まで望みをすててはならないのである。
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