「友の顔と敵の顔」





国際情報専攻2期生・修了
村上恒夫

『のらくろ』が読みたくなった。最近、中国で起こった亡命事件のTVニュースを見ていて思った。中国サイドの説明をしている人物を見ていると、『のらくろ』に出てくる敵方人物像を思い出したからだ。憎らしいのだ。

 『敵の顔 憎悪と戦争の心理学』(サム・キーン 柏書房、1994)を読むと、敵国の顔は非常に憎たらしく、憎悪を掻き立てられる存在に描かれると述べている。『のらくろ』の場合、日本軍は犬で中国軍は豚だった。豚軍は非常に弱く、犬軍にどんどん負けていく。そして、狡猾であり憎らしい。

 私は『のらくろ』を始(初)めて読んだのが30年前のことだ。復刻版で出版された10冊を同級生から借りて読んだ。当時、まさに世は中国友好ブームだった。そのような時期に『のらくろ』を出版するなどと、今では理解できない。中国が『のらくろ』の出版停止を求めたような話も聞かなかった。確かに、中国ブームが起きて『のらくろ』を現役で読んでいた世代の、懐古趣味に付け込んだ商法として出版されたのだろう。

 今現在、書店で『のらくろ』を見つけることはできない。1985年の出版を最後にその姿を消した。『のらくろ』は売れないから出版されないのか、差別表現(中国軍を豚とするような)があるから出版されないのか。もし、差別表現ゆえの出版差し控えなら、これがマスコミの言う自主規制なのだろうか。

 現在、新聞やTVを騒がす報道のひとつにメディア規制関連法案がある。TVや新聞では国家による報道規制を全面に押し出して対向(対抗)している。法的な取材規制がかかるので容認できないそうだ。マスコミが無実の者を犯人に仕立て上げた、松本サリン事件のような報道姿勢を改めているのだろうか。被害者やその家族の心の傷に塩を塗るような取材をしていないのだろうか。マスコミの横暴にあった被害者にはマスコミがどのような顔に見えたのだろうか。

確かに、国家による報道規制など、誰も望まないだろう。しかし、マスコミが国民の信頼を得られなければ、国家による報道規制もしかたがないと言う考えが出てきてもおかしくない。マスコミは自分たちの利益を守る極悪非道の顔をイメージされるのでなく、国民の権利を守る守護神としてやさしい顔をイメージされる存在になって欲しい。

さて、2002年は日中国交回復30周年である。上海など、東京と比べてもなんら遜色のない大都市に復活した。一時期の友好ブームは過ぎ去り、現実的な、成熟したした付き合いに進む時期がきた。言うべきことは毅然として言う。それこそが成熟した付き合いと言うものだろう。相手が不快に思うことはわざわざするべきではない。ある種の規制を個人レベルで持つべきだろう。そう考えれば『のらくろ』が大々的に出版されることは最早ないだろう。逆に、これからの先の未来において、『のらくろ』がリバイバルヒットする時代が来たら、それはどのような時代なのだろうか。

中国を敵視する時代が来て復活するのだろうか、その時には豚の顔はさぞ怖い顔をしていることだろう。その時、犬はどのような顔をしているのだろうか。

それとも、中国と親密になり、心の底から信頼しえる国だと両国が思える国になるのだろうか。昔このような漫画が日本にあったと、心のそこから笑える、そのような時代が来るのであろうか。その時、豚や犬の顔はやさしい顔をしているのだろうか。願わくは(ば)、やさしい顔をした犬と豚が登場する『のらくろ』が読みたいものだ。

*)『のらくろ』は、漫画家故田河水泡氏(1899〜1989)の作品で、昭和6(1931)年、

  講談社の少年向け月刊誌『少年倶楽部』1月号から連載が開始された。

  のらくろ(野良犬黒吉)が、ブル連隊長率いる猛犬連隊に入隊し、次々と出世して

  いく、立身出世物語。太平洋戦争中に内閣情報局より執筆禁止令を受けた。