「善智識の橋」
塚本三郎著(読売新聞社1998年4月発行1,400円)
歴史におけ権力の闘争と興亡に因果応報の宿命をみる
本書のタイトルにある 「善智識」、見慣れない言葉である。実は、その意味は、仏教用語で、歴史を動かし仏の道へと導くもの(心の指導者)、とのことだ。だからといって、本書は、宗教書でも特定の組織や団体の宣伝書でも決してない。あくまでもわれわれの常識の範囲内で世を論じている。しかし、その視点の斬新さに大きな驚きを覚える。なるほどと納得させられる。現代の政治・経済など、あらゆる分野での指導者に大きく欠けているものに気づかせてくれる。
現代の指導者には、真の心がない。それは彼らに宗教心がかけているからだ、と筆者は喝破する。
筆者は専門の学者でも宗教家でもない。実は有名な元政治家である。旧民社党の委員長といえば、推定できよう。塚本三郎氏である。
本書に述べられている歴史に対する洞察は、仏教の視点からではあるが、説得力がある。たとえば、有名な織田信長の比叡山焼き討ちについて、著者が親しくしている同山延暦寺執行・小林隆彰氏の言を借りて、以下のように記している。
「信長は同山に関わる皆人を目的なしに殺戮したのではない。そこには殺されるだけの理由があったはずだ。当時の僧兵の傍若無人ぶりは限度を超えていた。国の統一平定にとって禍根を絶ったと見れば、その結果比叡山が再び霊山として甦ったことこそ歴史として評価されていい」。
これを、さらに歴史の因果応報と解説している。いわば、“常識の逆転の発想”である。
第2次大戦の末期に、ソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破棄して日本に侵攻した。
日本の敗戦はソ連の裏切りに端を発したともいえる。ところがこの行動が、米国をして、ソ連の対日侵攻を食い止めることになり、結果としては日本の戦後の驚異的発展につながることとなった。そして日本は、世界の先進国へと躍り出ることができた。はたしてこのソ連のとった行動は、長い歴史から見ると、どう理解すればいいのか。そのとき仏教の善智識が求められる。善智識に基づけば、人間世界を正しく導く仏の力が働いたことになる。すなわち因果応報の流れのなかに現世が生かされているのだ。
翻って明治維新の激動にしても、予想をこえるさまざまな権力の葛藤を超えて日本の夜明けをもたらしたわけであるが、そこにはまぎれもない因果応報を見ることができる。
これら様々な歴史のなかから、歴史を動かした指導者たちの心の有り様を仏教的視野からとらえているのが、本書の特徴といえる。
さらには日本が世界に誇る武士道を現代どう生かすべきか、宗教と政治のかかわりなどについて、政治家としての経験や仏教を通じて培った信念が詳述されている。
著者の歴史に対する洞察は、前述のとおり、日本人の血に流れる仏教の精神に根ざしている。私自身は宗教と縁深いわけではないにもかかわらず、不思議な共感を覚える。因果応報、確かにわれわれはその中に生きている。
塚本氏の講演は、内容といい語り口といい、秀逸との評判である。拝聴してみたいものである。
国際情報専攻4期生 近藤一視
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