「東武練馬まるとし物語」
国際情報専攻 若山太郎 |
その一 「世代交代」
東京都練馬区に、30年続いている「まるとし」というとんかつ屋がある。僕はここで今働いている。おやじさんは、僕の妻のお父さんであり、僕の師匠である。
僕の店「まるとし」は、客数17の店である。東武東上線「東武練馬駅」南口から歩いて数分、商店街の表通りに店はある。
お客様は、常連の方も多いが、表通り沿いでもあり、新規のお客様もいる。ここ数年を振り返れば、一昨年5月、駅の反対側に大きな規模のスーパーが出店したことにより、店や商店街の環境も様変わりした。
人の流れが一変したのだ。つまり、駅の反対側に住むお客様が、極端にこちら側に来なくなった。店の売上げも、5月のオープン直前までは、建設に関わる方々、スーパーで働く従業員の方々が多数来店してくれていた。ただ、開店したとたん、パッタリ止まった。
僕の店だけがその影響を受けたのではなく、商店街全体も同様であった。半年たち、1年もすると、皆一様に、売上げを落としていった。「まるとし」は、物品販売のように、買え控えをする業種ではなく、食べ物商売だから、まだ良い方かもしれない。ただ、二割ほど売上げは減った。おいしいよなぁ、と自問自答する毎日。
昨今の日本の経済状況も悪化している。長引く不況の影響は、お客様のお財布を直撃する。確かにビールを飲んでいたお客様が、飲まなくなる、注文されるメニューの価格が低いお料理に変わる、来店頻度の間隔が空くというようなことだ。
そんな状況の中、僕は地道に仕事をしながら、学問を続け、2001年3月、慶応大経済学部の通信教育を卒業。そして、同年4月に日本大学大学院に入学した。おやじさんは、僕の進学について、渋い顔をしていたが、最終的には理解してくれた。
僕が卒業論文を書き上げる以前から、おやじさんから僕に「お店をまかせたい」という話は何度かあった。技術的な部分、おやじさんと遜色ないレベルまで達していると自負していたが、正直まだ自分に何かが欠けていると思っていた。
店は、特に入学する前後は、売上げも一時に比べかなり少なくなってきていた。そして、とうとうおやじさんも、「7月から、お店をまかせる。」という具体的な言葉を口にした。僕はとりあえず緊急措置として、定休日の水曜日を隔週で営業することから始めた。
今までのおやじさんの経営方針は、職人肌の勘と経験を頼りにしたものである。昨今の牛丼やハンバーガー屋を意識して、限定で安売りをするアイディアを出し、それなりに努力した。ただ、お客様に来店していただかなければ、その効果も限度があった。
僕は、入学後、研究科での小松憲治先生のご指導のゼミで、経済の基礎からもう一度学ぶことができた。今までの独学で得ていた知識が次第にまとまり始め、かなりマクロ的な世界や日本の経済の流れをつかむことができた。その都度、おやじさんにもその話をするように努めた。
また、僕の企業研究の成果として、過去の成功体験を捨て、今の流れの速い時代を乗り切るには、「売上げ拡大志向から利益重視への経営の変革」はその規模は問わず、僕の店にも有効であると考えていた。それをおやじさんに話すが、過去の成功体験にしばられていたので、なかなか理解してもらえなかった。
店が終わってから、おやじさんと話す機会がかなりあった。それは深夜まで及ぶこともあった。しかし僕のビジョンを理解してもらえず、「一歩進んで、二歩さがる」から「三歩さがって、二歩さがる」ようなかなり絶望的な気持ちになることもあった。僕は思切って「お父さんは自分のことしか考えていない」とか、「僕は子供たち家族のために働いている、孫はかわいくないわけないでしょ」などとまで厳しいことを言ったりした。
そんな時事件は起こった。駅の反対側の、あのスーパーが破綻したのである。以前から僕はおやじさんに、あのスーパーは危ないと話をしていた。そして年末には、金融情勢の悪化で、地元の信組も破綻した。次第に、僕の見解に対して、おやじさんは今まで以上に信頼してくれるようになった。
先生方の推薦もあり、僕が産経新聞の研究科特集記事の取材を受け、1月23日の朝刊に記事になった。余程うれしかったのか、おやじさんは近くの仲の良い商店主に紹介しまくり、常連のお客様にも話してくれた。これが、だめ押しだった。何時の間にか、おやじさんは僕のお店をやる上での、アイディアに反対しなくなった。
記事には、この春から、三十年間のれんを守ってきたおやじさんから僕に経営を任せるとなっていたが、ここまでくるのに実際はここで働き始めて十年、自分のビジョンを話して半年かかったのである。
仕事をひたすら開店前にこなしてしまおうというやり方をおやじさんはしてきたが、比較的お客様のいらっしゃらない時間に、仕事を割り振ることで、短時間に効率よく仕事するような方向に今はしている。おやじさんたちに陰で支えられ、僕の学究で得た経済的な知識と、店の仕事が自然にリンクし、入学前に描いていた理想の姿が実現しつつある。
最後に、写真を快く提供していただいた写真家の佐伯健三様、この場をお借りしてお礼申し上げます。
以下、次号
(撮影・佐伯健三氏)
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