「混迷の迷走パズル」
人間科学専攻 山根尚子 |
学生の時もっと勉強しておけば良かった、と人は言う。私もそう思う一人だった。そして、その思いを実現するべく通信制の大学院に入った。
入学後気付かされたのは、修士課程の第一目的は、修士論文を書くことにあるということ。つまり、受け身の勉強ではかなわない現実。危機迫る実感。間違ってしまったかも……。
そうこうするうちにレポートを書くだけの一年が過ぎた。私の研究したいものとは家族についてなのだが、どのように取り上げたいのか、社会との関わりにおいてなのか、家族内における関係なのか、女性の立場からなのか、視点が定まらず夏を迎えた。まさに雲をつかむような状態。ゼミでは佐々木先生から、コレコレしかじかを取り上げてみたらどうか、という提案がなされた。形となって現れてこないテーマをひたすら浮き上がらせようとする日々。千載一遇の勉強のチャンスを手に入れて論文を書くのであれば自分の意に沿う内容を取り扱いたかった。そして、そうでなければ、最後まで根気強く、そして楽しんで修論を書き続けられないだろうという思いがあった。
新聞に現代世相を映し出すかの如く家族問題の記事が載る。未成年者の犯罪が起これば、家庭に問題はなかったのかどうか一億人総検証される。社会の原点ともいえる家族とは……。100家族あれば100通りの形態がある。それをどのようにテーマとして取り上げ成り立たせるのか。
家族に関する書物も多い。俗っぽいもの、流行りものから学術的系統ものまでひたすら読む作業が続いた。佐々木先生から借りた神島二郎の著作、紹介されたE・フロム、I・イリイチの本に感銘を受け、それらは修士論文を支える重要な基礎となった。また、家族社会学という学問の領域を知った。読み進む本には重要箇所に付箋をつけ、その都度パソコン内にまとめるようにした。この作業が11月末まで続いた。そして次にそれらひとつひとつのパズルをはめ合わせていく作業となった。これを序章に、それは第二章にもってきて……。すると、私が取り上げたかったテーマがその通りに現れ、主張が貫かれている(気がした)ではないか。その後は各章を見直し、まとめ直した。その頃には既に年末・年始の休みに入っていた。
修論の書き方はさまざまであろう。研究テーマ、題材が明確であれば、目次から書いてそれを膨らませていく方法もある。しかし、私の場合、データを取り扱わない、頭に浮かんだもろもろのことをまとめるということで、その方法は有効ではなかった。おそらくこの邪道我流パズル方式しかなかったのかもしれない。
最後に、実生活では仕事・家事・育児と学業との両立で時間の貴重さを思い知らされた。削られたのはテレビを見る時間、掃除の時間、睡眠時間。平日の夜の作業は遅々として進まず、休日にどれだけ進められるかにかかった。娘の高校受験と重なり、緊迫して双方が正月休みもなく机に向かえることができたのはよかった。たぶん娘にとっても。私のほうが娘より一足早くゴール。彼女のゴールももうすぐ。そしてそのゴールは新生活へのスタートにつながっている。私はといえば次のスタート地点を探しているところである。
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