「――― 少し早めの大学院生活の感想と妻への言い訳 ―――」




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村上恒夫


修士論文が一向に進まない。嫌になる。いったいどうしたことなのだろう?最初の計画だと、もう今ごろは左団扇でふんぞり返っているところだ。今日までの大学院生活を振り返って、何がいけなかったのか考えてみよう。今のうちに嫁さんへ言い訳を考えておかなければならないのだ。

 入学試験の面接で、指導教授の乾先生から質問されたことを思い出す。「仕事をやりながら修士論文を書くことできますか」、当然のごとく私は答えた、「年度末は忙しいですが、それを外すと自由な時間が作れます」。入学したいが為の方便ではなかった。事実それまでは、夏場などは2ヶ月くらい自由な時間が取れていた。しかし、ここ2年くらいは1年を通して慢性的に多忙である。不況なので、暇になっても良いはずなのだが。

仕事が多忙な理由を考えてみたら、やはり不況が原因だった。好景気な時には大きなコンピュータシステムの発注が多く、それも新規に作成するので非常に作成しやすい。通常6ヶ月くらいかかるシステムでも、同じようなシステムを手がけているので、物作り(プログラミング)は1ヶ月もあれば十分できる。後は書類書きと打ち合わせで1ヶ月かかるだけだ。それが不況の今、新規の大システムは無くなり、既設のシステムの細かい改造が多くなった。これがけっこう大変な作業なのだ。数万行あるプログラムのうち、数百行手直しするのだが、現に今稼動しているシステムを止めるわけにもいかず、細心の注意を必要とする。このような仕事は月に2本が限界で、3本あったらもう家には帰れないし、土日も無い。苦労が多い割には、新規システムと違い、金離れが悪く儲からない。やはり、修士論文が進んでいないのは不況が原因の一端であることはわかった。

仕事が多忙という以外に、課外活動に力を入れたのも原因かもしれない。歴史研究会、時事問題研究会など、いろいろやった。この電子マガジンにも毎回投稿した。研修旅行で台湾にも行った。課外活動などせずに、この力を修士論文に振り向けていれば、今ごろは。。。。。。。。。非常につまらない大学院生活を送っていただろう(少し言い過ぎの感有り)。

そもそも社会人の大学院生は何を習得すれば良いのだろうか。勿論、修士の呼称に恥ずかしくない論文を書き上げることなのだろう。しかし、これだけではあるまい。いや、むしろ論文以上の目的があるのではないだろうか(これも少し言い過ぎですね)。それは考える手法を学び取ることである。そして、仲間を作りお互いに切磋琢磨する環境を維持し、考えることを継続していくことではないだろうか。つまり、卒業しても絶えず問題意識をもち考え続ける人間になることが一番重要なのではないだろうか。

そのためには、卒業しても参加できるゼミ、研究会、そして電子マガジンなどが重要な意味を持つことになる。そしてこれらは各人が積極的に関わっていかないと、霧散してしまうことになりはしないだろうか。これらの運営が活気あるものとして維持運営されることこそが、生涯教育の当事者として関わった我々の責務と言えないだろうか。

 

 しかしどう格好つけても修士号が欲しい、ああ頑張らないと。

(原稿執筆日 200111月)

 20022月現在、修士論文の提出、面接試問も終えた。

2年間の大学院生活で徹夜した回数26回、交わしたメールの数1000通を越した。

そして、親しくなった人の数は多数――最高の宝物。

本当に楽しく、充実した2年間でした。

みなさん、ありがとうございました。心より御礼申し上げます。