「「時間」との戦い、否「自分」との戦い」



人間科学
専攻
伊藤ちぢ代



思い起こせば2年前、正月明けの日本経済新聞夕刊の「日本大学通信制大学院」学生募集の公告に目がとまった。その瞬間に、「これだ」と思い始めていた。しかし、現実には日常の仕事に追われ、母親としての役割はもちろん家族の健康に気を遣うゆとりすらない現状であった。

通信制で学ぶことは、当然、現在の役割を継続した上で新たに院生として許されて、その機会を生かすことである。そして、何よりも最高学府での学びが主体的なもので成り立つことは言うまでもないことである。現実と希望に葛藤があり、2月を迎えた。もう今年は無理であろうと迷いながら、家族に協力を求めた。「これ以上忙しくなって、どうしてそこまで」と反対されることは予測できた。ところが、賛成と共に激励を得ることができた。募集要項を取り寄せ、締め切りまで仕事の傍らで必死に奔走した。それは2年間を予告するめまぐるしさであった。

 修士論文を書くにあたって、先ず十分に自覚しなければならないことは、誰のためでもなく、自分自身のために書くということである。論文は自ら問題を設定し、展開し、処置するのがすべて自分にまかせられているということである。とても魅力のあることである。と同時に、困ったことに誰もが一度は思うように、自由はしばしば不安の源でもある。この不安はどうしようという問いとと共につきまとうのである。

そこで心強いのがゼミの指導教授と仲間であった。佐々木先生には自分が何を書きたいのか、何を書こうとしているのかどの時代に立っているのか、どのような立場で論じる必要があるのかを明らかにできるように、辛抱強く指導していただいた。そして、もうこれ以上書けないと思っているときに、仲間に視点を変えてこういうところが書けているのではないかと励まされた。

そして、最終追い込みの10月のゼミから12月の修論最終確認まで全く書けなくなってしまったのである。それでも、日に日に時間は過ぎていった。仕事は忙しくて、それでも毎晩机に向かった。佐々木先生から「三木の論理にのれば、後はひとりでに手が動いて書ける。」とアドバイスをしていただいていた。その言葉の意味を考えた。私の三木への迫り方はどうか。三木の思想の何を理解しているのか。いったい修論とはなにか、私は何を書こうとしているのか、そういったことをここで休みながら考えたのである。

私は「三木の論理」が自分のものになっていなかったことを痛感した。そして、見えてきた。三木の緻密な思考や現実への対峙、凄いと改めて圧倒された。

 そこから本当の奮戦が始まった。資料を一から読み直し、これまでのメモノートを見直した。三木の論理の展開がどう組み立てられているのかを三木の世界の中から理解しようと迫った。今までは時代の流れの中で、言わば外から迫っていたのであった。この時、世間ではクリスマスを迎えていた。そして、年末年始にかけて、兎に角、書きつづけた。ここで来年に延ばしては、この現実から逃げることになる。この時点でできることは精一杯しておこう。そして、もう一度、来年になったらそれでいい。後悔しないように、今何ができるか書きつづけることであった。その時、書くことは生きていると実感することであった。書くことが苦しかったからである。

 この取り組みに対して、佐々木先生よりぎりぎりまで丁寧なコメントをいただいた。それがまた励みになって書けるところまで書きつづけることができたのである。

修士論文に対して如何に奮戦したかと自分に問えば、「時間」との戦いと同時に「自分」との戦いであったと言うことができる。

この現実は苦しかったと言うより、今はこの機会があったことにとても感謝している。