「雨上がり決死隊」



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橋本信彦



 4月3日、雨。雨だったような気がします。夫婦二人だけの食卓には、春の眩い陽射しが必要だと感じるのは、やはり中年の域に達している、そんな年齢のせいでしょうか。院生も2年目になります。昨年のあの意気込みは、なんと遠くペンタウルス星雲(そのような星雲があるかは定かではありません)の彼方へ遠のき、ただ論文論文と、それこそ子供の言い訳のように、何かといえば鼻を膨らましてブツブツつぶやく私を、当然のように冷たく醒めたキツネ目で妻は見下します。

「あのさ、やはりなんだな。論文はさ、こう、なんていうか、深いものが必要なんだよね」

「浅くてもいいからとにかく書き始めたら」

妻はもう、それはほんとうにぐったりするほどの的確で容赦ない言葉を私にぶつけます。わたしは、返す言葉を捜す勇気も、意思も、能力さえも失い、ただうつむいて仕事に出かけます。

 6月3日、雨。たぶん雨だったのでしょう。そのころ私は、論文序文の書き出しで、しょっぱなからつまずきました。いえ、全体の構想はですよ、もうとっくに出来上がっていたのです。それはもう、ほれぼれするような構想なのです。しかし私の頭の中の、そのすばらしいほれぼれ構想が、文字となって、キーボードのカタカタ音と共にディスプレイにはなかなか現われません。なにを恥ずかしがっているのでしょうか・・・・・・

 8月3日、雨。とにかく気分は雨なのです。たしかに序文は出来上がりました。終章だって書き上げました。問題はですね、問題は序文と終章の間が、ええ、その間が少しばかり、その広大な構想が仇となって頓挫しています。悪いことは重なるものです。なんと仕事が急に忙しくなりました。え、いえ、仕事が忙しくなるのは悪くなく、急に忙しくなるのが悪いので、だからして忙しく働くことは善であり、すなわち悪は怠けていることで、而して論文は進まず・・・・もうわけわかりません。とにかく言い訳はだめですね。みっともない。

 10月3日、雨。秋の長雨はとうに過ぎ、冬の雨がわたしの小さな胸に刺さります。努力しつつも遅々として進まぬ論文に、大袈裟でなく不整脈がでているのではないかと思うほど打ち震えるこの小さな胸をですよ、非情な雨が打つのです。神よ!

さて、このころからです。指導教授からのメール文章にキツイ言葉がチラホラとまじりだします。しかし、キツイ文章のなかにも、温情あふれる励ましの言葉がいっぱい。やはりその柔和な顔立ちのごとく精神も優しさであふれているのです。

12月3日、雨。冬の雨は危険です。その精神の状態で凶器にもなります。指導教授はついにその本性を表し(あの、文の流れからどうしてもこのように書かなければ・・)ついに最後通告。今期の修了はあきらめろとのこと。これには参りました。妻と二人、抱き合って、眠れない夜を何夜重ねたことでしょう。しかし負けられません。ついに私は蘇りました。それからというもの睡眠の5時間以上は非国民とばかり猛然と論文を書き進めます。資料だけは充分に集めていたのです。年末押し迫るイブの夜に、不十分ながらも草稿を提出。私もやるときはやります。

2月3日、雨。ほんとうに雨。本日は口頭試問、電車を待つ駅のホームで私は空を見上げます。普段はただボーーッとしてあらぬところを見ているだけなのに、今日は空を見上げます。新しい発見をしました。雨は斜めに落ちるのですね。