「怠惰と感動の修士論文作成」

人間科学専攻 福山 俊

著者紹介:
 特別研究は小坂國繼教授の下で「西田哲学と環境論理学」の研究をめざしましたが、「自己とは何か」という問いが終生のテーマです。鈴木大拙の弟子、故・秋月龍a老師のもとで伝統的臨済禅を修め、「祖徹」という居士号を持っています。仕事は化学職の地方公務員として長年環境行政に携わっています。趣味は合気道で、週一回は子供クラスと大人クラスで教えています。


1 怠惰の思い

 電子マガジン第3号に掲載された一期生の修士論文奮戦記はすばらしいものでした。実際に自分が書くときにはたいへん参考になったことだと思います。妙な言い方をしたのは、この先輩の奮戦記をじっくりと読んだのが、実は自分の修士論文を書き終えてからだったからです。電子マガジン実務担当の先生方からは何という不謹慎な奴かと怒られるかもしれません。

 正直に言えば、一度だけちらりと読んだことがありました。でも、みなさんの修士論文への取り組みの印象が用意周到で、このためプレッシャーがかかり、じっくり読むのをやめてしまったのです。怠惰な性格を思い、とてもそのようにはできそうもないと自分の力量を図ったり、予想されるたいへんな毎日の生活を思ってうんざりしたりと、いろいろな思いが出てきたからです。前期、後期のレポートさえ、いつも期限ぎりぎりで仕上げていたくらいでしたから、いかに修士論文とはいえ、また、自ら望んで入学したとはいえ、スケジュールを立てて論文を書き上げることはいかにもつらい思いがありました。そこで、刺激になるものは敢えて見ないようにし、自分のペースをかろうじて確保しながら論文に取り組んできたというのが実態ですが、作業全体としてはなかなか書けなくて、考えている時間の方が長かったという思いがあります。草稿論文ですら事務局への提出期限間近に二週間足らずで一気に書き上げる羽目になりました。やはり、いかに自分が怠け者であるかということを思い知らされたのが、修士論文奮戦記の結論の一部です。しかし、残りの結論部分は何ともすばらしいものでした。それは、ほんとうに書きたいものを書くという作業の中から、長年求めていたものが何なのかがはっきりと形をとって現れたということでした。自己との思いがけない感動の出会いです。

2「宗教心について―自己の探求―」というテーマのしぼり込み

 大学院に入学した動機は、日本人としてはじめて独創的な体系を打ち建てたといわれる西田幾多郎の哲学、世に言う西田哲学を研究し、その積極的な部分を改めて見直すことにより、今日の地球規模にまで拡大された環境問題の根本的な解決の方向を模索することにありました。若い学問である環境倫理学に対する不満がその根底にあったからです。また、化学職の地方公務員として、長年環境行政に携わってきた実感から、環境問題の根底には近代合理主義のマイナス面が如実に現れているという思いもあったからです。

 しかし、入学当初の思いは一年次に履修した小坂国継教授の「宗教哲学特講」のレポートを書いた時点でテーマの軌道修正を行うことになりました。小坂教授から「宗教の本質」について学んだことが決定的な要因となり、私自身の長年の問いそのものをテーマにしようと決めました。それが一番気になっているものだったからです。

「私とは何か」という問いは、死に直面する経験を重ねたせいか、子供のころからの私の長年の問いで、ほかならぬこの「私」が死ぬという、その「私」自体の解明に向けて様々な試みを行ってきました。その問いは、ときには強く、ときには日常に埋没し、問いそのものの存在をすら忘れるほどに皆無となるようなあり方で、私の生の奥深くから私を規定し続けていたものです。この問いは古来より菩提心と呼ばれ、「真の自己」を求める自己として、広くは宗教心と言われるものです。ほんとうに書きたいのはこのことだということに気が付いたのです。そこで、西田哲学を、宗教心を哲学的に解明した哲学という視点から論じて見ようと考えました。こうして「宗教心について」をテーマとし、副題を「自己の探求」としました。環境問題を後回しにし、一番書きたいことを書こうと決めたことは、テーマの選定に当たり、当然のこととはいえ、たいへん重要なことだったと思います。しかも、特別研究ではなく、授業科目の勉強の中でテーマ選定のきっかけが得られたわけですから、履修科目の選択自体も修士論文に関わる大切なことだったということになります。

3 毎月の小坂ゼミ

 しかし、基本的なテーマが決まったとしても、それをどのような内容で書くかは別の問題でした。論文全体の見通しと構成を決めること、そして必要な文献の収集と検討がなければ具体的に書く作業に入れません。ところが、先に話したように、ちらりと先輩の奮戦記を見たのが、一年次の終わりから二年次の始めにかけてのこの時期でした。うんざりした気持ちと怠惰な日々がずいぶん続きました。

 こうした状況を否応なしに打開してくれたのが、小坂教授が毎月開催されたゼミでした。そこでは修士論文の指導と西田哲学の読書会が行われ、 通信制にもかかわらず、教授のご好意により毎月直接の指導を受けることができたのです。このゼミへの参加によって、論文作成の準備が少しずつ進み、二年時の夏の合宿において集中的に詰めを行い、おおよその構成ができあがりました。

最終的な構成は、親鸞と道元に共通して見られる宗教心の深化を確認し、そこに見られる真の自己の構造を西田哲学の場所的論理によって跡付けるというものです。そのため、彼の最初と最後の論文である『善の研究』と『場所的論理と宗教的世界観』を整理し、さらに親鸞の「自然法爾」、道元の「本証妙修」の思想をも西田哲学との関連において考察することになりました。

この作業によって、真の自己は場所的絶対無において始めて存在するものであることが確認でき、さらに宗教心が仏の呼び声によって起こること、すなわち、自己とは何かと問うのは、場所的絶対無のいわば促しによって行われていたということを理解することができたわけです。こうして、「私とは何か」という長年の問いの対象である「私」そのものが明らかとなり、同時に問いそのものの由来も了解できたのでした。

4 30年の総括

30年前の大学時代、学園紛争で騒然としていたキャンパスはマルキシズム一辺倒でした。しかし、マルクスによっては長年の問いは解決を得られないことを直観していた私は、毎日のように一人大学の図書館にこもって必死にもがいていました。今、やっとその答えが修士論文を書く作業の中で目の前に現れた思いがしています。いわば30年の総括ができたとも言える思いです。修士論文奮戦記は、同時に私の30年の奮戦記でもありました。

 小坂先生にはほんとうに感謝をしております。ゼミにおける西田哲学の読書会は、師のもとで西田が読めるありがたさをつくづく感じさせるものです。西田の難解な文章の一行一行を先生とともに追っていくことにより、薄皮が一枚一枚はがれていく思いでした。修士論文を書く際の一番の助けはこの読書会でした。ありがとうございます。