「修士論文は如何にして締め括られたか」

人間科学専攻 淺野 章

著者紹介:
人間科学専攻二期生のなかで最高齢。札幌市在住。若い頃から「感謝」とは何か、を考え続けてきた。修士論文の題目は、「スピノザの宗教観――『感謝』の観念を中心として――」。


すべては時間との闘いであった。なんとしても期限には間に合わせたい、少なくともこの点のみでも有終の美を。

連日連夜これのみと言っても過言ではない執筆作業に追われ最後のページ付けも終えて急遽複写へ。さらに中央郵便局へと急ぐ。地下鉄車中で、追加した最終章「回顧と展望」に、目を走らせらせていると、180ページ目に到って文章が繋がらない。明らかに一ページ欠落している。夜を徹しての作業は機械的となり、一枚別に置いたのを気ずかぬままページ付けを済ませてしまったのだ。札幌駅より引き返しプリントのしなおし。既に14時30分を過ぎている。翌朝配達には間に合わない。自宅近くのスーパーで複写しなおし黒猫宅急エキスプレス便に収集を依頼。せかされるようにして包装を終えて手渡した。

直後の脱力感の回復とともにこんな情景が彷彿として浮かんだ。記憶は定かでないが光景は鮮やかであった。遠くに焼け落ちるイエナの町の火を望み、陣中のかがり火の間を行き来する兵士の姿を見ながら分厚い原稿を携えて印刷所へと急ぐ一青年についてである。

あらゆる点で比較にならぬが原稿用紙の束を抱えて心せく様にはどこか似たところがあるようにおもう。同時にすべての論文書物の持っているであろう声なき声を聴く思いがした。