「懐かしのスコットランド
――アダム・スミスゆかりの地の思い出――」





人間科学専攻
井上植惠

 「人生とは偶然性と運命による」とか、「人生は偶然性の積み重ね」とか、誰かが言っていたような言わなかったような。それがはっきりしないのですが、しかし本当にそう思います。私が、今こうして自分の部屋にいて、2年前の旅行記なんかを書いたりしているのも、当たり前でありながら、実に偶然性によるとしか言いようのないことのようです。さらに、私をこのような状態に至らせたものこそが、アダム・スミス(172390)の道徳哲学であったというこの事実は、正に偶然性によるものでした。

 話は変わりますが、平成12年6月5日〜30日に、アダム・スミスゆかりの地、スコットランドはグラスゴー(Glasgow)、エディンバラ(Edinburgh)、カーコーディ(Kirkcaldy)に行って来ました。それらの地は、行くまでは別に憧れの地でもなんでもなかったのですが、ずっと自分なりに勉強してきたことで、論文も書こうとしていた時、全然行ったこともないというのでは話にならないと周りから言われ、行くことにしただけでした。海外旅行と言えば、安・近・短専門で南方志向の私には、あまり気の進まない計画でした。随分と遠そうだし、英語にも体力にも自信がないけれど、しかしまあ何とかなるだろうと、行く先はスミスに関係のある上記の三か所だけに限定した、全くの個人旅行を計画しました。

 最初に立ち寄ったグラスゴーにはグラスゴー大学があって、若きスミスは173740年に、ここで学びました。1740年にグラスゴー大学を卒業した彼は、オックスフォード大学に進学したのですが、1746年には失望してそこを中退。それほどに、当時のイングランドの大学は腐敗・堕落をしていたようです。それに比べて、スコットランドの大学は当時、ヨーロッパにおいてトップクラスのものでした。

 オックスフォード大学を中退したスミスは、後に私が訪れる、彼の故郷カーコーディに戻って二年ほどを過ごします。その時に書いたのが、佐々木先生も訳本を出しておられますが、『哲学論文集』のなかの「天文学史」という論文です。

 その後スミスは、175163年にグラスゴー大学教授として、グラスゴーで過ごすことになります。1759年には、彼の最初の著作である『道徳感情論』を出版して大成功を収め、その結果、彼はヨーロッパ中で有名となりました。今日のグラスゴー大学は、スミスのいた頃とは違うところにありますが、しかし十分に、スミスの時代の雰囲気を味わうことができ、大満足でした。

 グラスゴーのホテルに1週間程いて、次のエディンバラではホームステイ先の奥さんが出迎えてくれました。さすが、ヨーロッパの大観光地であるエディンバラでは、多くの日本人観光客とすれ違い、あちこちで日本語が聞こえてきます。でもその時、スミスの墓を探して悪戦苦闘していた日本人は、私ぐらいのものだったでしょう。それにしても、現地の一般の人たちが、スミスの墓や家を全然知らないのには驚きました。

何とか、スミスの墓や、亡くなるまで過ごした晩年の家も見つけることが出来ましたが、外見だけながら、彼の家が当時のまま残っていたのには感動しました。このスミスの家の辺りには、18世紀スコットランド啓蒙における、多くの有名人が住んでいたようです。彼の親友だったデイヴィッド・ヒューム(170476)も、その一人です。このエディンバラにスミスは、若い頃の1748〜数年と、主に177890年に亡くなるまで暮らしました。

 エディンバラには2.5週間程いたのですが、その間に2泊3日で、スミスが生まれ少年時代をすごした、故郷カーコーディを訪れました。エディンバラの対岸にある、この小さなかつての勅許都市は、今は平和な田舎の町で、観光客などはいないような感じです。でも私は、この小さな田舎町が最高に気に入りました。ここの人々はみんなとっても親切だし、小さな田舎町で特に見るものもないので、スミスの生まれた家跡や、『国富論』執筆の合間に散歩したという海岸への近道もすぐに分かりました。1767年に、約20年ぶりで帰ってきたスミスは、この故郷の家で『国富論』の執筆に専念します。やがて、1776年に『国富論』は出版され、経済学を生誕させたこの書物は、あまりにも有名なものになりました。

再びカーコーディで、母と暮らしたマザコン(?)のスミスにとって、それは最高に幸福な日々であったらしく、ヒュームにそのことを書き送っています。執筆に疲れたスミスが、海岸に出るために通った近道や、散歩を楽しんだ海岸を歩いてみて、彼の幸福な気持ちがなんか分かったような気がしました。

カーコーディ−にひとつしかなかった、古くて広い庭のホテルも、とってもすてきでした。夜、ホテルでやっていたパーティ−から、「蛍の光」の音楽が流れてきた時、一瞬日本にいるのかと錯覚しました。

ところで、世界中が何か将来に希望をもてなくなってしまったような今こそ、スミスの『道徳感情論』や『国富論』が、多くの解決策やヒントを与えてくれるように思えます。

この偶然性による、あまり乗り気ではなかったスコットランドの旅から帰ってきた私が、その後すっかりスコットランドにかぶれ、日々うなされているので、家族は皆、あきれているようです。