ニューヨークで出会った政治的風景







国際情報専攻
田中鉄男

先日の昼、私が勤める会計事務所のオフィスの前でデモがありました。規模は50人ぐらいと中規模でしたが、その倍以上の警官とマスコミがデモ隊の周りを囲み、ビルの前をすっかり塞ぐという物々しい状況となっていました。昼食を食べに同僚と連れ立ってビルを出たとたん、正面からプラカードと張りぼて人形、シュプレヒコールが迫ってきたので、かなり面食らいました。

 

これは、その時期にNYで開かれていた世界経済フォーラムへの反対運動の一派が、エンロン事件に絡めて大手の会計事務所を糾弾してきたものです。「大企業が結託し、政治家を懐柔して経済社会を蹂躙している」という反グローバリズム派の主張の構図の典型的な具体例が今回のエンロン事件ということなのでしょう。

 

パークアベニュー沿いで世界経済フォーラム会場に近い、私の友人のオフィスでは、いかにもビジネスマンというスーツ姿だとデモ隊にペンキをかけられるおそれがあるというので、この期間中だけカジュアルウェアで出勤しているとのことです。実際にはそのような危険な目にあうことはなかったようですが。

 

デモの参加者は外国からも来ていたようですが、やはりアメリカ人も多かったようです。エンロン事件への抗議はともかく、世界経済フォーラムへの反対運動は、典型的な政治的な立場の表明といえましょう。テロ事件以降、特にテレビ報道を通してみていると、”United We Stand”などのスローガンのもとでアメリカ人が一枚岩になっているような印象を受けますが、今回の世界経済フォーラムへの反対運動は、アメリカ国内にも政治的な立場の対立があるということをあらためて気付かせてくれます。

 

この世界経済フォーラムも色々な側面や要素があり、見方によって強調する像も異なってくるようです。例えば2月4日付けのシカゴトリビューン紙では、”World Economic Forum takes left turn”と題したこのような記事が掲載されています。

http://chicagotribune.com/business/chi-020204forum.story

そもそも長年スイスのスキーリゾート地ダボスで開催されていたこのフォーラムが今回ニューヨークで開催されたのは、テロ攻撃のダメージから復帰しようとするこの街で団結を示すためとのことでした。しかし実際のフォーラムの中では、アメリカのグローバル覇権主義を戒める発言が、非西洋社会のリーダーのみならず、ヒラリー・クリントンやビル・ゲイツ、その他アメリカ政界の要人からも為されたことがこの記事では強調されています。団結を示すための計らいが、奇しくもアメリカ内の政治的立場も単純な一枚岩ではないことを示すことになったとも言えると思われます。

 

一般的にアメリカの人々はフランクで明るく元気なおしゃべりを好み、会社などでは政治的な話題になることはあまりありませんが、町の風景の中で時折、鋭い政治的なメッセージに出会い、驚かされます。

 

例えば、国連の近くでは時々デモがあるのですが、ある日、子どもの手を引いた女性も多く含んだデモ隊が、拡声器でシュプレヒコールをあげながら行進をしていました。そのメンバーの家庭的な顔ぶれから、てっきり環境保護、平和運動などのグループかと思いましたが、プラカードをよくみてみると、そのデモ隊の主張は「銃規制反対、市民の自衛権の確保」という強面なものでした。銃規制というのは人工中絶と並んで大統領選挙の定番の争点になっていますが、それが市民の観点からも重要で切実な問題と考えられているということを、このデモを見たことで初めて実感しました。

 

もうひとつ驚かされたのは、イエローキャブと呼ばれる公共タクシーの屋根の広告板です。普通はミュージカルや商品の宣伝が多いのですが、先日マンハッタン内で、「Darwin was wrong.」というメッセージを大書したものを見ました。バスの中から見かけただけなので、本かイベントなど何かの広告だったのかよく確認できませんでしたが、op-adsopinion-advertisements、政治的意見広告)と呼ばれるものだったようにも見えました。アマゾンドットコムで調べたところ、「Darwin was wrong.」という題名の本は1984年に出版されたものひとつだけでしたので、その広告だったとは考えにくいかと思います。1984年出版の本は数学者がダーウィンの進化論の誤りを科学的に論じたもののようですが、通常は「Darwin was wrong.」という主張は保守的ないし原理主義的な宗派から発せられ、そのような宗派は政治的保守派の一角をも形成しているようです。アメリカの新聞にはよくop-adsが掲載されるのは知っていましたし、街頭の張り紙であれば日本でも各種の政治的なものを見かけることと思いますが、公共タクシーの屋根にこのような聊か過激なメッセージをみるとは思いもしませんでした。

 

また、ニューヨークで勤務する友人から聞いた話ですが、彼が出席していたビジネス関係のパーティーの席で、ある共和党支持者と民主党支持者がその政治的な意見の相違から口論となり、あやうく乱闘さわぎということがあったそうです。日本では、与党支持者と野党第一党支持者がそこまで人目をはばからず熱くなることはまず考えられないと思います。アメリカ人にとっては、政治的な立場を公衆の場でも一貫させるということは、人格、プライドのコアな部分を守ることを意味するようです。

 

日本人向けのアメリカ生活の手引書には、パーティー等の社交の場で気をつけることのひとつとして、政治的な話題はさけること、という事項が載っています。これは単に気まずくなるという以上のトラブルになる恐れがあるからなのだ、ということを上記の友人の体験談から感じました。会社などでの普段の会話でも政治に関する話題があまり気軽にされないのも、日本人からみると一見無難な政治的トピックに見えても、左右両派や新保守主義、新リベラリズム、リバタリアニズムなどとさらに細分化された各派のアメリカ人の間に置けば、重大で引くに引けない論点になりうるからなのかもしれません。

 

写真1:ロックフェラーセンターのスケートリンクにて。昼休みの時間には時々フィギアスケート選手の華麗なパフォーマンスが披露され、人々の目を楽しませています。

 

写真2:世界経済フォーラムの会場となったアストリアホテル。普段はこのように静かな佇まいです。