「放火された我が家―そして『すまい』への想い」


人間科学専攻 妻木尚美

著者紹介:
建築学科卒業後、不動産会社でマンションの商品企画を担当。 現在、小5、小3、小1の3人息子の母。在宅の仕事、PTAの役員などで スケジュールを埋め、家事から逃げようとしている毎日を送っています。 社会復帰する前に、共同住宅での、高齢者・障害者も考慮した避難計画 について研究したいと思っています。


 1982118日午前4時過ぎ、家族の「火事!火事!」の金切り声で目が覚めた。それと同時にすべてを理解した。この1週間、毎晩のように不審火とみられるボヤが近所で続いていた。我が家は12件目の標的になったのだ。

 

 前夜の警察官による張り込みは凄かった。買い物にでも出ようものなら、行きも帰りも警官に尋問され、水も漏らさぬ警戒振り。連夜のバケツリレーで寝不足の私とその家族は、この日ばかりは安心して眠りについたのである。

 

 しかし、火事に気づいてから窓を開けて人に知らせようにも、外には人っ子ひとりいない。ただ、メラメラパチパチという音が聞こえるだけである。(後に警察は、「引継ぎの時間だった」と弁明した。)パジャマのまま、貴重品だけを持って外に出た。消防署はすぐ近くにあるが、消防車が到着するまでの時間はかなり長く感じた。浴室の角にある雨樋につけられた火は、木製の外壁から天井裏へと伝わり、あっという間に家全体に回った。寝室の窓が爆発音とともに破れ、火を噴く。建築学科の学生だった私は、「ああ、これが防災計画の授業で習ったフラッシュオーバーか」と感心していた。取り乱すことも出来ないくらい、呆気にとられていた。

 

 山手線の大崎駅から徒歩7分。生まれてからずっと、この家で生活してきた。何度か改修や増築を重ねながら、いっしょに育ってきた。その家が今、目の前で燃えている。

 

 あわただしい日々が始まった。夜が明けてくる頃、パトカーに乗って警察署へ。そして事情徴収。テレビや新聞で火事を知った親戚や知人からのお見舞い。家族全員の葬式でもしない限りこれだけの顔ぶれは集まらないだろうと思うくらい、大勢の知人友人がたずねて来てくれた。そして犯人逮捕後は、各テレビ局のワイドショーの取材に、民事法廷での証言・・・。

 

 犯人は隣に住む当時61歳の女性だった。昔から顔見知りの母は、11件目のボヤでバケツリレーをしている時、隣にいるその女性に言った。「うちなんか、浴室の雨樋にでも火をつけられたらお仕舞ですよ。」犯人はバケツリレーで得た情報のとおり火をつけ、逃げ去る時にバケツリレーで使用したバケツにつまずいて転びかけた。その音で家族は目を覚まし、火事に気づいたのである。おかげで私たち家族は九死に一生を得た。災いと幸運を同時に呼び込んだバケツリレーだった。

 

犯人は普段から万引き癖や露出癖があったようだ。しかし彼女が警察の事情徴収で「80歳代の継母の看病疲れ」と語ったことでマスコミが飛びついた。「高齢化社会がもたらした犯罪」の烙印を押したがったのである。ワイドショーとは、自分たちが作ったシナリオに合致した情報しか流さないのだという事を知った。これらの報道が刑事、民事裁判両方の判決へ影響を与えるのではないかと心配したが、取り越し苦労だったようだ。犯人は5年の実刑判決を言い渡された。その後、世の中では羽田沖航空機墜落事件やホテルニュージャパン火災が相次ぎ、マスコミとの縁は切れた。

 

 保険会社の判定は幸い「全焼」であったが、火は天井裏を走ったため、燃えずに済んだ物は多かった。しかしほとんどの物が煙にいぶされ、水を浴び、衣類などは使い物にならなかった。唯一母の着物は、桐の箪笥に入っていたおかげで助かった。箪笥の外側は炭状になっていたものの、水分を吸って密閉状態になっており、見事に中の着物を守りきった。それに比べて合板の箪笥は無残だった。

 母は家を改修したときに、台所から出た火が全体にまわらないようにと、台所の天井裏にトタンを張った。貴重品の入っている押入れの周りにもトタンを張った。当時、大工さんは首をかしげながら作業してくれたそうだが、おかげで台所と押入れは焼けずに残った。

 

 私は当時、映画少女だった。月6本のロードショーを観て、映画のパンフレットにチラシ、鑑賞券の半券まで集めていた。時々自分の部屋でそれらのコレクションを眺めては、「火事になって燃えたらいやだな」などと考えていた。しかし実際に燃えている最中は、不思議と何の未練も感じなかった。焼け残ったと知ったときは嬉しかったが、回収した後、もてあましたのも事実である。

 

 結果的にこの放火事件は、私に短期間で多くのことを経験し、考える機会を与えてくれた。そして私に何よりも大きな影響を与えたのは、生まれてからずっと生活してきた『すまい』を失ったことである。いつも自分を守ってくれている『殻』が剥ぎ取られた。ずっと引きずって持ち歩いていた何かを、手放さざるを得なかった。しかし当時の私は、この不安な状況を快感として受け取った。成人した時よりも、就職した時よりも、大人へと脱皮できた自分を感じた。

 

 『すまい』は生活の基盤である。人はここで「休息」、「充電」、「育児」などをおこなう。そして家族は、この『愛の巣』の中でコミュニケーションをとり、時には趣味を楽しむ。『すまい』は家族の心の拠りどころであり、「幸福」を実現するための基盤となる活動の場である。それだけに、放火事件による強制的な「巣立ち」は、私に大きなインパクトを与えた。私自身にとっては、いいタイミングだったのかもしれない。これがもっと幼い時期だったら、無理に『殻』を剥ぎ取られることで大きな傷ができたかもしれない。

 

 『すまい』を計画する立場の人間としても、放火事件は貴重な体験だった。快適性とともに安全性を重視するのは勿論のこと、そこに住む子供にとって思い出に残る空間をつくりたいと思っている。なぜなら、私の夢に出てくる『すまい』は、全て焼けた大崎の家だからである。その後に住んだ家は一切登場しない。そのくらい、最初に身に付けた『殻』は、その人の心身の一部になってしまうのだと思う。