「大学院1年を終えて」





人間科学専攻
荒木正昭

 現在私は、専門学校で「心理学」と「人間学」を教科担当するとともに、校長代行という立場にある。現在の専門学校は、18歳人口だけでは対応できない経営状態にある学校が少なくない。教科の内容をアップするだけでなく、学校独自の中身が問われている。そのような背景の中、数年後に校長職に就くことが決定していることもあり、昨年日本大学大学院に私自身も成長したいと思い入学を決意した。入学しての困難さは私だけではないと思う。「働きながら学ぶ」これが通信教育の精神である。しかし現実は中々厳しく、自身の学校の生徒募集や会議、あるいは授業準備と日常生活に追われる連続であった。さらに、苦労したのが「社会哲学」であった。アカデミックな哲学については大学(24年前に卒業)で学んだ程度であり、正直社会哲学の教科書は「難しい、読みにくい」が本音であり、中々正面から向き合う勇気がなかった。社会哲学の教科書が届いた時、読んでも読んでも本の内容(意味)が分からない。佐々木健先生からは、ある種の固定観念を排除するようにと言われたが、自分自身で勝手に意味をつけている。しかし、スクーリングに夏参加し、そして秋に参加するに連れ、徐々に意味が理解でき、改めて哲学の重要さが確認できた。具体的には、時代がどう変わっても生きる基本は同じであり、人間として生きていく基本とも呼ぶべき学問であるとの気づきであった。

「人生とはドラマであり、それを演ずる主役が自分なのです」で始まる私の授業(人間学)は、まさに学生の精神の骨格をつくる授業であり、単に思い付きや人生経験だけでなく、ある種の生きた教育であると自負をしてきた。自身の自立を目指し、倫理観や哲学を理解することの意味は彼らにとって重要な要素の一つである。しかし、社会哲学を学び、実は私が学ぶことが一番重要であることに気づいた。それは、私と学生との学問の位置関係が、私の方が高位ではなく、低位の位置にあり、私の知識を増やすことが学生のレベルを上げることに気づいたからである。先日の「人間学」の授業では、先のリポートの題材「家族論」をテーマにディスカッションを行った。おそらく私が現在関係している以上に、今後「哲学」は私の授業に関係してくると考える。もちろん、河嶋ゼミに所属し、河嶋先生から学んだことも大変有意義であり、他の心理学史や臨床心理学の教本から学んだことは私にとって大きなものであったことは言うまでもない。

以上