「弘前・津軽について想う」
人間科学専攻 木村千代子 |
小春日和のある日曜日、久々に弘前公園を散歩した。紅葉が終わりに近い、静かな日であった。天守閣がある本丸に辿りつくと、西に標高1625mの岩木山が嶺に雪をたたえ聳え立っている。晴れた日の夕暮れ時の岩木山は、さながら女性が眠っているときの横顔を思わせる。このシルエットの美しさを20年以上も前に教えてもらった。そのときから夕暮れ時の岩木山の美しさが気に入っている。
物は乏しいが空は青く雪は白く、林檎は赤く、女達は美しい国、それが津軽だ。
私の日々はそこで過ごされ、私の夢はそこで育まれた。
これは弘前市出身の作家石坂洋次郎の言葉である。まさに津軽はこれで語り尽くされてしまう。津軽の中心都市弘前市は、人口約17万7000人。日本一の桜と天守閣、そして最勝院の五重塔、明治時代の洋風建築、アップルロードなどが有名であろう。なかでも弘前公園は、およそ49haの広さをもつ城郭づくりの公園として築城形態の全貌を遺す城跡として保存されている。そして桜祭り(入場料300円)以外はいつでも誰にでも無料で開放されており市民の憩いの場となっている。
春4月。
梅、椿、桜の花が次々咲き始めようやく活気づいてくる。そして林檎の花と…。そうなるとじっとしていられず公園に出かける。学都でもある弘前に各地から学生が集まってくる。桜花に包まれた弘前公園で「出身〜」の声と共に奇声があちらこちらからあがる。4月といえども夜は寒さにふるえながら(ホッカイロを持参)桜舞う中、酒を酌み交わす。
この時期、弘前公園本丸から望む岩木山はまだ嶺に雪を残し聳え立つ。岩木山、天守閣、桜、松。そして夜になるとライトアップされた天守閣と妖艶な姿と化す桜、月。いつ訪れても「絵になる風景」がここにはある。
作家太宰治は『津軽』のなかで、「桜花に包まれた天守閣は、何も弘前城に限った事ではない」にしても、「弘前城は津軽人の魂の拠りどころである。何かあるはずである。日本全国どこを捜しても見つからぬ特異の見事な伝統が或る筈である。……それが何であるか、形にあらわして、はっきりとこれを誇示できないのが、くやしくてたまらない」との苦渋を表白している。そのうえで太宰は、彼があるとき見出した弘前城への想いをこう綴っている。
あれは春の夕暮れだったと記憶しているが、弘前高等学校の文科生だった私は、ひとりで弘前城を訪れ、お城の広場の一隅に立って、岩木山を眺望したとき、ふと脚下に、夢の町がひっそりと展開しているのに気がつき、ぞっとした事がある。……お城のすぐ下に、私のいままで見た事もない古雅な町が、何百年も昔のままの姿で……息をひそめてひっそりとうずくまっていたのだ。……万葉集などによく出て来る「隠沼」というような感じである。なぜだか、そのとき、弘前を、津軽を理解したような気がした。……隠沼のほとりに万朶の花が咲いて、そうして白壁の天守閣が無言で立っているとしたら、その城は必ず天下の名城にちがいない。 |
この町は、決して強い自己主張することはない。観光で訪れる町というより、暮らしてはじめてよさが伝わってくる町である。弘前・津軽で育まれた作家や著名人も少なくない。今、活躍中の芸術家奈良美智(よしとも)、彼もこの地で育まれた一人である。
東北、青森、津軽、雪、三味線……このようなイメージをもって連想されがちな姿とは異なった、もう一つの顔をこの町は間違いなく持っている。
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